第70話 平凡な幸せ
穏やかにそよぐ風。
その中を自由に飛びまわる鳥達が、美しい音色を奏でながら、朝を告げる。
その鳥たちよりも早く起き出して農作業をしていた村人たちが、その鳥の声が聞こえだしたのを合図に村の中心にある天竜、セト像の周りに集まりだした。
彼らは毎日そこで天竜に感謝を捧げることが日課となっていた。
というのも、セトが村に来てからは村にとっていいことばかりだったからだ。セトが村人たちの家を強固に修理したおかげで頻繁に家を直さなくてもよくなったし、天竜が村にいると広まってからはあちらこちらの町から人が集まるようになった。
その観光客を狙って自然と行商人も集まってきたし、村人が作った農産物をわざわざ町まで売りにゆかずとも、訪れた人がその新鮮さと出来の良さを見て買っていくようになった。
村にとって、今やセトは福の神のような存在となっていた。
村人たちが日課を終えてさあ仕事に戻ろうというとき、穏やかだった風が急に暴風に変わった。
数秒吹き荒れた風はやがてまたもとの穏やかなものに変わった。
一体なんだったんだろうと村人たちが瞑っていた目をあけると、目の前に石の像ではない、本物の天龍が佇んでいた。
「セ、セト・・・様・・・」
福の神の突然の帰郷。
なんの前触れもなく帰ってきたセトを、村人たちは驚いて見上げた。しかし、ただひとり、満面の笑みを見せてセトを迎えた者がいた。
「セト様、ルティ君、 おかえりなさい!」
トクサのどこまでも明るい声が、セトの耳に届く。
『ただいま、トクサ、村の皆』
『ただいまー!』
やっと落ち着きを取り戻した村人たちも、トクサ同様満面の笑みをセト達に見せた。
「「おかえりなさい、セト様、ルティ君!」」
彼らの笑みを見て、まだ荒々しかったセトの心は、洗われたようにすっきりした。
そうして素早く人間体になると、カスティのボロボロになった服を綺麗に直してやった。
「ありがとう、セト」
当然、村人たちは不思議そうにカスティを見る。
「セト様、その子供は・・・?」
「俺の養子」
「へぇ養子・・・養子?」
「そう」
トクサ含めた村人全員が、口をパクパクさせてカスティを指差す。
「「よ、養子ですか!!?」」
だからさっきからそう言ってるじゃんとセトは笑ったが、ルティはそんなセトに苦笑した。
『いや、驚くでしょう、普通』
「驚くだろうなとは思ってたけどさ」
「いや、セトが思ってる驚くのレベルじゃないから、これ。 セト、天竜の自覚あるの?」
セトが本当は神竜だと知っているカスティだが、空気を読んでくれたようだ。
「あるある、天竜だろ? ちょっと珍しい竜だろ?」
契約者はヘタをしたら天下統一も夢じゃないとされる存在を、当の本人は「ちょっと珍しい竜」で片付けてしまっているあたり、自覚はない。それどころか神竜なのだから、なおさらだ。
「セト、頼むから変なやつとは契約しないでね」
「え? 俺今のところ誰とも契約する気ないんだけど」
『そうだったんですか?』
今度はルティが驚く番だった。
ルティは、セトがてっきりラルクと契約するのだと思っていたらしい。
そうルティに言われると、セトは微笑した。
「無理だろ、もう。 グランティスには戻れない」
「そんなことはないと思うけど?」
真後ろから声がした。
振り返ると、そこにはほほ笑みを浮かべたウル村長の姿があった。
「おかえり、セト。 戻れないって、一体何があったんだい?」
そこでセトはウルテカに全てを話した。
カスティの正体を知ったときは、流石のウルテカも腰を抜かしそうになっていた。
「こ、この子供がたったひとりで君を?」
村人たちも目を見開いていた。
「でもこのとおり、今は無害だ」
カスティは、村人から自分に向けられる驚いた表情を怖がって、セトの後ろに隠れていた。
そんなカスティを落ち着かせるように、セトはカスティの頭を撫でる。
「確かに、そのようだ。 で、セト、君はその子供を養子に?」
セトが頷く。
「理由は、さっき説明したとおりだ。 この子は悪くない」
ウルテカは、顎に手を当て、しばらく考え込んでいた。
「無理にとは言わない。 ウル村長や村の皆が嫌だというなら、俺はこの子を連れてこの村を去る。 それだけだ」
村人の一人が、口を開いた。
「あのな、セト様、前にも言ったと思うが、この村にはワケありの奴らしかいねぇんだ。 過去に盗人だったやつもいれば、人殺した奴もいる。 奴隷だった奴も、孤児も、王族だったやつもいる。 悪いことした奴は好きでそんなことしたわけじゃねぇから、改心してこの村にいる。 身分なんてのも、ここでは関係ねぇ。 天竜攫ったくらい、どうってことはねぇよ」
小麦色に日焼けしたガタイのいい男は、ニカッと白い歯を見せて笑った。
その男の言葉に、他の村人たちも頷いた。
「なら、私も構わない。 村長は確かに私だが、私だけが良くても決めれないからね、皆の意見が聞きたかった。 村人全員が構わないのなら、カスティ君はもうこの村の一員だよ。 ようこそ、我らの村へ!」
カスティが、セトの着物の裾を掴みながら、セトを見上げた。
「良かったな、カスティ!」
その言葉でやっと状況を理解したカスティは、嬉しさのあまり涙を流した。
「本当に・・・? 本当に僕はここに住んでもいいの? セトと一緒に、普通の生活を送れるの?」
嗚咽混じりに、セトに尋ねる。
「もちろんだ」
『僕も一緒だからね!』
カスティにとって、それは久しぶりに味わう、人の温もりだった。
「あ、あり、がと・・・っ!」
本当に久しぶりに心から笑顔になれたと、カスティ自身が感じていた。
「俺がお前の父親になってやる。 俺がお前を育てる」
セトのこの言葉が、カスティにとってどんなに嬉しいものだったか、どんなに恋焦がれていた言葉だったか。
カスティの視界は、もはや溢れ出る涙で霞んで見えなかったが、自分の周りにいる人間が皆笑顔で自分を見てくれていることは分かった。
「・・・あったかい・・・」
セトやルティ、村人達に、いつか絶対恩返しをする。
カスティは、そう心に決めた。




