第57話 生物学 ①
朝から学院中は一つの話題で持ちきりだった。
人気教師スティールが帰ってきた、それももちろんある。
しかしそれ以上の話題で、主に生徒たちがはしゃいでいた。
話題というのはそのスティールが城から一緒に連れてきた天虎を従えた助手のことだ。
女子たちはそのあまりに整った顔立ちと凛々しさに心を奪われ、男子たちはこの世で最も珍しいとされる”天”のつく珍獣、天虎を従えていることと、話しかければ気さくに答えてくれるその話しやすい性格を気に入った。
そして何より、前日の授業で騎竜のサポートがスティールも絶賛するほどの腕前だったことが、全校生徒の興味を一気に集めた。
俺はその日、学院を歩けばどこへ行っても生徒たちに囲まれた。
授業が終わり、ルティの待つ職員室へ行こうと思ってもすぐに数人の生徒たちに囲まれ、あれこれ質問された。
「身長何センチあるんですか?」
「どこ出身ですか?」
「お城の人?」
「好きな食べ物は?」
「黒が好きなんですか?」
「彼女いますか!?」
と、こんな感じにまるで嵐のように次々と。
特に一番最後の質問が一番多い。
この子達、情報交換とかすればいいのに。
そしたらわざわざ俺が同じ答えを何回も言わなくてすむのに。
とルティにもらしたら、『皆セトさんと話したいんですよ』と言われた。
確かに城からの助手なんてめったにいないから皆ものめずらしいんだろうな・・・。
俺がそんなことを考えている横で、他の教師たちとルティは・・・
「ルティ君、セトさんってもしかして鈍いのかい?」
『たぶん皆さんが思っている以上に』
「あのルックスでそれは反則だわ・・・。 どうしてこう顔のいい男の人は皆決まって鈍いのかしら・・・」
『んー、でもスティール先生は違いますよね? あの人は顔もいいし、勘もいいです』
「あら、ルティ君よく見てるわね。 だけどね、スティール先生も、恋愛においては鈍いのよ・・・」
『・・・そうなんだ・・・』
教師たちとルティはため息混じりにセトを見た。
当の俺はそれにまったく気づかず、今日一日をどう切り抜けるかを考えていたのだった。
話題といえば、もう一つ。
スティールが学院に帰ってくると同時に学院に転校してきた謎の美少女、リーメルのこともあがっていた。
常に護衛を両脇に従えて一見物騒に見えるが、話しかけてみたら案外話しやすい子だと、転校から二日目にして早くも男子生徒から絶大な人気を集めている。
「学校ってこんなに楽しいところだったのね! もうたくさん友達ができたわ」
朝校門で俺とバッタリ会ったリーメルが開口一番にそう言った。
普段のリーメルに比べるとなんだかとても生き生きしていて、見ているこちらまで嬉しくなった。
+ + + + +
「はい、席につけー。 授業始めるぞー」
スティールの掛け声で教室のあっちこっちでおしゃべりをしていた生徒たちが一斉に席に着いた。
俺?
俺はもちろん助手としてスティール先生の横にいる。
今は午後の部最初の授業。
スティール先生が竜騎士学だけでなく、生物学も教えていることを知ったのはついさっきだ。
正直、俺はこの世界のことをまだほとんど知らない。
だからスティール先生の授業ではサポートというよりも学ぶことの方が多い。
・・・あくまで助手として来ているから表情には出さないようにしているけど。
授業開始の鐘がなる。
「よし、今日は教科書316P『竜と人の見分け方』をやるぞー」
生徒たちが一斉に教科書を開きだした。
俺も事前に渡された教科書を開く。
そこにはワイバーンの姿と、そのワイバーンが人化したときの姿の挿絵が描かれていた。
「じゃあまず、竜と人の見分け方を一つでも知っているやつ、いるか?」
数人が手を上げた。
彼らは確か前日の竜騎士学で竜に跨った事がある生徒たちだ。
貴族以上ともなれば日常的に竜と触れ合う機会も多いだろうから、その見分け方も知っているのだろう。
俺は当然身をもってその「見分け方」とやらを知っている。
あのルーネさんという雌豹・・・いやいや、”王女様”のおかげでね。
「よしシーグ、お前一つ言ってみろ」
スティールにシーグと名を呼ばれた生徒は元気に返事をして起立した。
「はい。 私が知っているのは、竜と人とを見分ける最も簡単な方法です。 確か・・・耳の付け根を見る、でしたっけ・・・」
少し自信なさげに答えたが、スティールは拍手をした。
「よくできました。 座っていいよ、シーグ」
それを見て他の生徒たちも小さく拍手をした。
・・・よくある授業風景だなぁ・・・。
あれ?
だから俺はこういう風景をどこで見たことがあったんだっけ?
思い出せそうで思い出せない。
そんなもやもやが胸いっぱいに広がりそうになったため、慌ててそのことを考えることをやめた。
この記憶のことを考えてもどうせ思い出せないのだから仕方ない。
スティールはその間に、説明の補足をしていた。
「シーグの知識は間違ってはいないんだけど、少し足りないかな。 正確には、耳の付け根の上の部分にある突起を確認することなんだ。 その突起は竜体のときの角の名残なんだ」
スティールは言いながら同じことを黒板に書き出した。
「これテストに出すからノートにとること!」
”テスト”の単語に生徒たちは敏感に反応し、全員がものすごい勢いで黒板をノートに写し始めた。
俺はてっきり、生物学なんていうからもっと体の仕組みだとか血液の循環だとか内臓の働きだとかホルモンの関係性だとか、そういったことを勉強するのかと思っていた。
そのことを念話でスティールだけに聞こえるように伝えると、かなり驚かれた。
「そんな難しいこと、国家レベルの医療機関や最先端の研究者でないと知っていませんよ?」
・・・え、そうなの?
というか、スティール先生がそんな素っ頓狂な声をあげるもんだから、生徒たちが驚いてこっちを凝視してるよ・・・。
俺が生徒側のほうを指差すと、それらの視線に気がついたスティール先生は、少し顔を赤らめて小さく咳払いをして取り繕った。
「失礼。 ・・・皆ノートはとったね? 授業を進めるぞー」
生徒の何人かは不思議そうな顔をして俺とスティール先生を交互に見ていたが、そのうち授業に意識を戻した。
「さっきの、突起の有無を確認する方法は初歩的な見分け方の一つだが、知ってのとおり竜ってのは高貴な生き物だ。 今の時代ほとんどの大都市では人間と契約して暮らす竜も増えたが、一昔前までは我々人間にとって崇めるべき存在だった。 神に近しい存在、とね。 そして竜たちは己の弱点を人間に見せることを嫌う。 当然だね、皆も自分の弱みを握られたら嫌だろう?」
そりゃ、誰だって嫌だろう。
一番身近な例としては、くすぐられて耐えられないポイントを知られることか?
そこを知られたが最後、何かにつけてそこをくすぐられるからな。
たまにくすぐられても平気なやつもいるが、そういうやつは必ず他人のポイントを抑えたがる。
・・・だからこの経験はいつどこで積んだんだ・・・。
「竜たちはそう簡単に突起を見せてはくれない。 もし見せてくれても、珍しいからといって絶対に触っちゃいけないよ。 竜にとって”角”というのは魔力の源。 そこを触られてしまうとたいていの竜は気絶してしまうし、何より竜に対してとても失礼な行為にあたる」
スティールは黒板に書いたその文字を赤で囲んだ。
「じゃあ、竜に失礼のないように見分ける方法ってなんですか?」
女子生徒が手を上げて質問した。
スティールはその子にいい質問だと返し、もう一つの説明を始めた。
「もう一つは、興奮させたり緊張させたり、つまりは感情を表してもらう方法だね。 そうすると、竜であるならその瞳の色がその竜の魔力の色に・・・」
そこでスティールは急にハッとなって俺を見た。
何だ?
何か忘れ物か?
俺がキョトンとして見返すと、慌てたように視線を生徒たちに戻した。
「りゅ、竜であるならその瞳の色がその竜の魔力の色に変化する。 まあこれもよほどの状況下に置かないと竜はそんなに心を動かさないんだけどね。 竜は人に変化するのがうまいから、見分けるのは大変なことなんだ」
「先生! 俺もう一つ知ってます!」
元気に手を上げる生徒がいた。
「お、言ってみてくれ」
「魔力を見る方法!」
あー、あれか。
ウル村長とかラルクさんとかコロラドの町長がやってた方法か。
でもまあ、今の俺ならあの人たちにも絶対ばれないけどな!
・・・もうばれてるから意味はないけど。
「よく知ってたな、その方法。 そう、それはとても高度な見分け方だよ。 魔力量がよっぽど多くないとこの方法はできない。 そうだな・・・お城から借りてきた竜を一頭呼んでみるか。 セトさん、頼みます」
お! 俺の出番ですか。
俺は頷き、教室の床に魔方陣を描いた。
いつの間にそんなことできるようになったのかって?
いや、これ実はお飾りで描いてるだけなんだ。
神竜の特権で本当は念話一つで呼びたい竜を召還できるのだが、そんなことをしたら大変な騒ぎになる。
だから魔方陣を描いて、いかにもそこから呼び出したかのように見せるのだ。
もちろん魔方陣自体を少し発光させてリアルに見せる。
自分で考えておいてなんだが、手品のようだと思った。
一見とんでもないことをやっているようで実は種は簡単、みたいな。
まあ、種は簡単でもなければやっていることは見せていることよりもものすごいことをやっているわけだが。
そうして俺はなんちゃって召還で教室にワイバーン一頭(人型)を出現させた。
スティール先生には授業の流れを説明してもらったときにあらかじめこの方法の仕組みを教えてある。
そもそも、魔方陣召還自体はそこまで高度な技ではない。
・・・呼び出すものの質量にもよるらしいけど。
「・・・すっげー・・・・」
しかし、日常的に魔方陣召還なんて見ることはないために、生徒たちはすっかり感心していた。
「今セトさんがやって見せてくれた魔法陣召還だけど、明日の魔法学で習うはずだよ。 ウィッチ先生が簡易魔方陣を用意していたから」
それを聞いた生徒たちは大はしゃぎだった。
『・・・なんか悪いことをしたような・・・』
心の中で思ったことを、つい念話でスティール先生だけに聞こえるように言ってしまった。
流石にスティール先生は念話は使えないため、苦笑で返すより他はなかったのだが。
俺自身が魔方陣召還なんてこの学院にきて初めて知った召還術だったために、とっさにやれといわれてもやり方も何も分からなかったからさっきの方法をとらせてもらったのだった。
ここまでで、やっと授業の半分が終わったところだった。




