第35話 一時の別れ
運悪くその日は朝から雨が降っており、セトは窓の外を眺めて少しガッカリしていた。
せっかく村へ帰る日なのだから、もっと快晴であってほしかった。
雨だけは降ってほしくなかった。
しかし、アーサーを泣かせてまで昨日あれだけ帰るといった手前、雨が降ったからといって今更今日はやめるなんて言えない。
「・・・しかた・・・ないか・・・」
窓のふちに頬杖をついてぽつりと呟いた。
そんなセトの様子を見て、ルティも雨を恨めしそうに見つめる。
昨日アーサーに帰ると言って部屋に戻ってきた後、彼の使いで使用人が部屋を訪ねてきて、朝食だけでも一緒に食べていってくれ と言う伝言を伝えられた。
それくらいならいいだろうとOKしたのだが、恐らく彼もこの雨を見てまた駄々をこねるだろうな・・・。
重い腰を上げて ルティ と声をかけ、食堂に向かう。
廊下ではやはり多くの人に頭を深々と下げられて朝の挨拶を丁寧に言われる。
もう面倒くさくなって、セトは簡単に おはよう とだけ返す。
王族や貴族は基本的に魔力を多く持っている者が多く、成長してきたルティの念話を聞き取れる人も増えてきて、ルティは少し楽しげだ。
食堂の前まで来ると、なにやら中が騒がしい。
ルティと顔を合わせて、何だろうと首をかしげる。
食堂の大きな扉の前まで来ると、使用人二人が左右に扉を押し開けた。
食堂の中は・・・
「「おはようございます!! セト様!! ルティ様!!」」
セトとルティの姿が見えると同時に食堂の中にいた人々が各々の魔法で小さな花火を打ち上げた。
「え、ええ!?」
『え!?』
セトたちが驚いているのを見て彼らは楽しげに笑い、使用人がこちらですと促して席に案内した。
何がなんだかわからないまま、セトとルティは案内された席に座る。
長いテーブルに幾つもの椅子が並び、その一番奥にはアーサーが座っいる。
セトたちが座らされたのはそのすぐ隣。
そして、そのほかの席には王族や貴族達が座っている。
セトの向かいにはルーネが、その隣にはラルクが座っている。
まだ驚いて目をぱちぱちさせているセトたちを見て、アーサーはにこにこ笑って言った。
「はっはっはっは! どうだ? 驚いただろう?」
アーサーをゆっくりと振り向いたセトは、まだ驚いた顔で はい と答える。…どうやらアーサーは昨日散々泣いて吹っ切れたらしい。
「…え? こんなのいつ準備したんですか?」
普段の食堂は主に使用人たちが使うもので、こんな長いテーブルなど置いてあるはずもなく、小さなテーブルが幾つも並んでいる空間だったはずなのだ。
しかも、王や王族、貴族たちは、城に滞在している間は大抵、食事は使用人が部屋まで持って行って、自室で食べていたはずなのだ。
・・・昨日までは。
「これか? これはルーネにやってもらったんだ。 な?」
「ええ。 魔法でちょっとね」
ルーネはセトにウインクをして言った。
それからセトはもう一度長テーブルに座っている人たちを見る。
やはり女性陣は顔を紅潮させてセトを見ている。
「皆、セトとの別れを惜しんでここに集まったんだ。 彼らも今日ここを発って自国に戻るからね」
こんなにも自分との別れを惜しむ人たちがいると思うと、セトの心はとても温かい気持ちでいっぱいになった。
「・・・外は生憎の雨だけど、皆俺のために集まってくれてありがとう」
セトの言葉を聞いて、皆笑顔になる。
「さて、セトとルティも来たことだし、皆で朝食を食べようじゃないか」
アーサーはそう言うと手をパンパンと叩く。
すると、食堂のそでから色鮮やかに盛り付けられた食事が次々と運ばれてくる。
「朝からこんなに食べれるかな・・・」
ははっ と笑って言うと、皆も同意したようにセトと同じように笑った。
「大丈夫だろう。 見た目ほど量は多くないぞ」
アーサーはそう言うが・・・割と多いぞ?
そうは思いながらも、皆と楽しく話しながら食べる朝食は案外ぺろりと平らげられた。
その後その場にいる多くの人に別れの挨拶をされて、小さなお別れ会は終わった。
+ + + + +
いったん部屋に戻り荷物をまとめると、セトは一人である場所に向かった。
「・・・やあ・・・」
鉄の格子をはさんで目の前にいる小さな極悪人は元気のない声で近づいてきた人物に声をかけた。
「・・・・」
セトは彼…カスティを、無言で見つめた。
あれからまだ数日しかたっていないというのに、彼の小さな体は驚くほどやせ衰えていた。
「・・・何をしに来たのさ? まさかこの愚かな子供を見下しにきたわけじゃないんでしょ?」
「・・・まさか。 ・・・俺は今日ここを発つよ、カスティ。 それを……伝えたかったのかな・・・俺は・・・」
自分でも、何故城を発つ前にカスティの顔がよぎったのか分からない。
「・・・変なの。 ねえ、あんたはさ、あんたのその大きすぎる力をどう使うの?」
急に質問をされた。
そして質問の内容に戸惑った。
「・・・まだ・・・わからない・・・。 おれ自身、自分が神竜だと知ったのはつい最近なんだ。 それまでは、自分が何者であるのか、分からなかったんだ。 ルティ・・・あの天虎のことだが、ルティにセトと名づけられるまで何も・・・分からなかったんだ・・・」
何故カスティにここまで自分のことを話してしまうのか・・・。
不思議でならない。
「・・・あんた・・・僕と似てるのかもしれないね・・・。 僕もね、何も分からなかったんだよ。・・・僕はスラムで育った。 ガラクタの山に捨てられていた赤子だった僕を拾ってくれたのが、僕にとっての母親だった。 名前もその人につけてもらった。自分ひとりでも食べ物がなくて大変だってのに、お人好しでしょ? でも、食べ物がなくても、お金がなくても、僕は母さんと一緒にいるだけで幸せだったんだ。 普通に生活している人を見て、羨ましいと思ったことが無いとは言わないけど、僕には母さんが全てだったんだ。 ハエがたかってる食べ物しか食べられなくても、残飯をあさる生活をしていても、母さんがいるところが、スラムの皆が僕にとっての世界だったんだよ」
カスティはどこかを見つめているような目をして語る。
セトはそれを黙って聞いていた。
遠くを見ている彼の目から涙があふれてきた。
「なのに・・・なのに・・・っ!! なんで母さんは殺されなきゃなかったんだよ!!! 『スラムのゴミ』だって!? 僕らをそうしたのは上の人間たちじゃないか!! 母さんはただ・・・僕の…ために…っ! 僕のために盗みを働いただけじゃないかっ…!! 生きようとして何が悪い! 生きようともせずにのうのうと暮らしてる上の人間に、スラムの人間の苦しみが分かるかっ!! 人間扱いされない人間の苦しみが、自分が恵まれていることにも気付かない奴らに分かるかっ!! 自分より多めに食べ物を分け与えてくれてた母さんが弱っていることくらい、幼い僕にも分かってたさ!!! 栄養が足りなくてやせ細って目も見えなくなってきていた母さんが、あんなに殴られたら死ぬのは当たり前じゃないかっ!! 殺しておいて『スラムのゴミはこれだから』だって!? ふざけるなっ!! 僕らを…スラムの『人間』を何だと思ってるんだ!!」
叫んだ彼の目からは殺気が、憎しみが、悲しみがあふれていた。
ああ、そうか。
こいつは・・・世界を呪っていたんだ。
自分の世界を壊した人間だけではなく、この世界そのものを呪っていたのか・・・。
だから世界を自分の思うままに・・・自分の世界を壊した奴らを、今度は世界の一番下に落としてやろうと思ったのか。
・・・この子に比べたら、俺の苦しみなんて小さいものだ。
自分が分からない?
ルティにもらった名前がある。
俺の居場所?
ルティが、皆がいるところが俺の居場所だ。
・・・なんだ・・・俺はこんなにも恵まれているじゃないか。
誰に捨てられたわけでもない。
傷つけられたわけでもない。
むしろ俺はたくさんの温かい人たちに囲まれている。
・・・それで十分じゃないか・・・。
「・・・カスティ・・・。 さっき、俺にこの力をどう使うと聞いたね?」
カスティは涙でぬれた顔をセトに向けた。
「俺、この力を世界のために使うよ。 もうカスティのような思いをする人がいないように、スラムの人が温かな家を持てるように。 誰も食べ物に困らないような、そんな世界を作ってみせる。 少し時間がかかるけれど、そういう世界を作ってみせる。 ・・・どうかな?」
カスティは少し驚いた顔をして、そしてふわっと笑った。
「うん・・・うん! あんたが・・・セトがそう言ってくれるなら、僕はそれまでここで待ってる。 スラムの皆が幸せになるなら、セト、そういう世界を作って!」
セトは頷き、カスティの小さな頭をやさしく撫でる。
こんなに小さな頭に、あんなにつらい思いを隠していたなんて・・・。
「じゃあカスティ、俺がそういう世界を作るまで死んじゃだめだ。 ちゃんと食べて、生きることを諦めるな。 分かったね?」
カスティはコクンと頷いた。
彼の頭をくしゃくしゃっと撫で、じゃあまたね といってその場を去った。
心のうちに大きな目標を立てたセトの表情は、なんとも凛々しいものだった。
外の雨はいつの間にか上がって、空には虹がかかっていた。




