第2話 竜、出会う
泉の淵で、泣いたり落ち込んだりを繰り返すという見事な情緒不安定ぶりを見せていたが、ふと顔を上げると、辺りはオレンジ色に染まっていた。
…兎にも角にも、いったんあの崖の洞窟にもどろう。
明日のことは、明日考えよう。
飛ぶとか泣きはらすとか普段しないことをしたからか、それとも今の状況に心がついていっていないからか、はたまた両方かは知らないが、精神的に疲れた。
涙の跡がついた顔を泉に突っ込んで綺麗にし、さあ飛び立とうと思ったそのとき―--
ガサッ
泉をはさんだ向こう側茂みからの音だった。
吃驚して、翼を広げかけ、ジャンプしようとした微妙な格好で固まってしまった。
が、すぐにそちらへ向き直って、茂みの隙間に目を凝らした。
比較対象が今のところ木とか草くらいしかないからなんとも言えないが、多分今の俺はそうとうでかい。
そんでもってさっきの茂みの動きからして、そんなに大きい生き物じゃない。
…今気付いたが、この身体は視力がめちゃくちゃいいらしい。
隙間からこちらの様子を窺っている“何か”を見つけた。
話しかけようと思ったが、またあの怖そうな唸り声が出るだけだと思い、やめた。
こちらも相手の出方を窺うことにして、翼を折りたたみ、姿勢を低くした。
それから木の葉が風で擦れる音しか聞こえない静かな時間が流れ………しばらく待ってもあちらは何もしてこなかった。
そこでちょっと脅かしてやろうと変なイタズラ心が湧き、すぅっと息を吸い込み―--
「グルルルァアアアアア!!」
思い切り叫んだ。腹から叫んだ。
かなり驚いたのだろうか。
隠れていたものが茂みからぴょーんと飛び上がり、着地に失敗してつまづき、泉の方へと転がり出てきた。
そんなに驚かれるとは思ってもいなかった(あんなにでかい声が出るとも思ってなかった)ため、俺は罪悪感から一歩後ずさって、転がってきたものを見た。
(…? 虎の…赤ちゃん?)
それは、真っ白い仔虎…のようだった。
ようだったというのは、仔虎の背には鳥のような羽があったからだ。
白い仔虎はすぐに立ち上がり、へっぴり腰になりながら潤んだつぶらな瞳で、上目遣いで俺を見てきた。
『お、お願いします! 食べないで!!』
頭の中に直接響くような声が伝わってきた。
驚いて仔虎を凝視した。
『ぼ、ぼくはきっとおいしくないです!』
いや、別にそんなつもりじゃ…。
というか、虎っておいしいのか?
まあそれは置いといて、一か八か、俺も仔虎のような方法をとってみることにした。
頭の中で言葉をつむぎ、それを直接仔虎に向けて放つように…。
『ま、待ってくれ。 俺はお前を食べようだなんて思ってない』
仔虎はキョトンとした目で俺を見てきた。
『ほ、本当?』
どうやら上手く伝わったらしい。
『本当だ。 さっきは脅かして悪かった。 そんなに驚くとは思っていなかったんだ』
それを聞いて、仔虎がホッと肩の力を抜いた。
どうやら警戒心は解かれたらしい。
『どうしてここに?』
親が居るなら普通こんなでかい牙を持った生き物の近くになんて寄り付かないし、見つけた時点で遠ざかるだろう。
そうでないにしても、仔虎が見つかった時点で、こんな状況になる前に仔虎をかばうように出てくるはずだ。
ならば仔虎がここにたった1頭でいるのは何故だと疑問を感じた。
聞くと、仔虎は急に泣きそうな顔をした。
『…この森を抜けたところに、カタリナって町があるんです。 ぼくはそこの領主に飼われていました』
どうやらこの世界にも、人間はいるようだ。
少し安心した。
『つい先日まで、平和な町でした。 でも・・・』
そこまで言うと、仔虎は「キューン」と鳴いて、涙をぽろぽろ流し始めた。
俺が危険でないと分かって、なおかつ話の通じる相手だったことで緊張の糸が切れたのだろうか。
でも泣くと思わなかった!
『待て、泣かないでくれ。 話しにくい話なら、無理に話さなくてもいい。 その…悪かった。 頼むから泣かないでくれ』
だいぶあたふたしたが、仔虎は違うんですと言い、再び話し始めた。
『町が盗賊に襲われたんです。 それで母上が…僕を庇って殺されました。 ぼくら一族は珍しい種だと聞きました。 それで、毛や牙なんかが高値で売れるらしいので・・・。 母上は死ぬ直前にぼくに魔法をかけて、この森まで飛ばしてぼくを逃がしてくれたんです』
ひどい話だと思った。
それじゃこの仔は、目の前で母親を殺されたっていうのか。
金のためだけに、最愛の母を無くしたというのか。
『森にきたぼくはあてもなく歩いて、見つけた泉で水を飲もうと思ったちょうどそのとき、貴方がそこに舞い降りるのを見ました』
仔虎は涙を前足で拭った。
…ってことは、カタリナの町が襲われたのは割とついさっき。
そんなこの仔を一時の気の迷いで驚かそうとか考えた俺って…。
『悪かった』
心底申し訳なくなって謝ると、仔虎は不思議そうな顔をして見上げてきた。
『なんで貴方が謝るんですか? ぼくは、ひとり寂しかったときに、泉に舞い降りた貴方を見て感動したんです。 竜なんて高貴でめったに会えないと言われてる生き物に出会えたことに、感動したんです。 確かにびっくりしましたけど、こうやってぼくを食べないで話を聞いてくれた貴方は優しい竜です』
めちゃくちゃ褒められた。
というか、竜って珍しいのか…。高貴ってのがよくわからないけど。
…あれ? 降り立ったときから見てたってことは、俺がさんざん泣いてるところも見られてるよね? はっずかし!
『あ、ありがとう…。 あー…それで、おまえこれからどうするんだ? 行く当てもないんだったら、とりあえず今日のところは俺と一緒に来ないか?』
一人じゃ心細いし、なにより話し相手がいるのはいいことだ。
そう思って声をかけると、仔虎は目をキラキラさせて取れるんじゃないかと言うほどに首を縦にガクガク振った。
『あ、あの、ぼくルティっていいます。 貴方は?』
ルティか。
呼びやすそうな親しみやすい名だ。
『よろしくルティ。 俺は…』
…あれ? 名前…。
俺の名前…?
……分からない……。
黙り込んだ俺を見て、ルティが心配そうに見上げてきた。
『…?』
『名前…は…』
思い出そうとするも、霧がかかったように何も思い浮かばない。
そもそも俺に名前なんてもの、あったんだろうか?
『すまない…俺には…名前は無いみたいなんだ…』
ようやく出した言葉だった。
きっと震えていたかもしれない。
なるべく普通に聞こえるように努めたが、それがルティにも伝わったのだろうか。
俺の足元に来て、ペロペロとなめてくれた。
『セト…』
仔虎が、そう呟いた。
『…え?』
『ぼくの父上の名前です。 真っ黒い毛皮で、母上が言うには夜の似合う美しい天虎だったと。 ぼくが生まれたときに、戦争に出されて戦死したそうです。 真っ黒い綺麗な鱗の貴方をみて、父上の名前が思い浮かびました。 貴方がよかったら、この名前で呼ばせてください』
照れるように話してくれた名前の由来を仔虎から聞いたこの瞬間、俺はセトになった。
『セトか……うん、気に入った。 ありがとうルティ』
ルティもとても嬉しそうに喉を鳴らし、尻尾をゆらめかせた。
名前をもらって気を持ち直した俺は、いざあの洞窟に向かうため、小さな相棒に声をかけた。
『ルティ、飛べるか?』
『はい!』
その声を合図に、俺はその場から真上に向かって飛び立った。
すぐ後に、ルティが並んだ。
1頭と1匹、白と黒は、並んで洞窟へと向かって飛んだ。
辺りはすでに、紫色になっていた。