序章
四者コラボ企画のルール
1.本文は6000文字に収める事(スペース・改行は除く)
2.序文の伏線はすべて回収する事
・痩せた教頭
・手紙
・謎の声
・黒板の知らない名前
・散った桜
「須田雅弘!」
名前が呼ばれると、僕は大きな声で返事して勢い良く椅子から立ち上がった。
全校生徒、全教員、父兄が一同に会した体育館には、荘厳なパッヘルベルのカノンに混じって早くもすすり泣きが聞こえている。
三年間を共に過ごした同級生の海から、ステージ上の演壇へと進む。
いつもしかめ面で生徒を叱っていた校長先生が、今は涙を浮かべて僕を待っていた。
「卒業証書、須田雅弘。右は、普通科過程を終了したのでそれを証する」
恭しく証書を受け取り、短い階段を下りながら、僕は思った。
……事件も、ドラマも、何もない平凡な三年間だったな。
ただただ過した毎日は、それなりに楽しかった筈なのに、今はもう何も思い出せない。エスカレーターに乗っているように、周りの景色だけが動き、気がつけば頂上に立っている。
ここからは自分の足で歩かなければいけない。
そう思っても、僕の心は春風が通り抜けてしまうほど、ぽっかりと何かが欠落している気がした。
ぼんやりとそんな事を考えている内に、本当にあっけなく卒業式は終わった。
桜の花びらが舞う渡り廊下を歩く。なんとなく俯いていた僕は、ピンクの上履きが視界に入って立ち止まった。
顔を上げて、思わず息を呑んだ。
一宮詩織さん。学校でもっとも頭が良く、もっとも綺麗で優しく、もっとも僕が好きな人だった。
「須田くん、これ書いてよ」
渡されたのは可愛い熊の表紙の手帳。開くと、すでに数人の連絡先とメッセージが書かれている。
「え、いいの?」
動揺のあまり、僕は間抜けな質問をしてしまった。でも、詩織さんは、三年間憧れ続けたあの笑顔で言った。
「うん、須田くんとはあんまり話す機会がなかったから」
心臓が早鐘のように鳴った。どういう意味で言ったのだろうか?
「そ、そうだね」
裏返らないように小声で返事をして、手帳に連絡先を書き込む。メッセージは少し悩んだが、結局「三年間ありがとう」というつまらない言葉になってしまった。
「あ、それとこれ!」
詩織さんは白い四角形の、紙の包みを差し出した。古い粉薬の包みに似た、いったいどうやって畳むのか良く分からない、女子特有の手紙だった。
「これ、帰ってから読んでね」
俯き加減で照れくさそうに言う彼女の顔を、僕は直視出来なかった。それどころではなく、完全なパニックに陥ってしまったからだ。
彼女が? 僕に? 何だこれは。手紙。メッセージ。意思の伝達。……ラブレター?
思考が地球を一周して大気圏を飛び出し、再突入するまで数秒ほどだっただろうか。
気がつくと僕は、油の切れたロボットのようにぎこちなく、手紙と手帳を交換していた。
「帰ってからだよ!」
念を押され、かろうじて頭の上下だけで返事をすると、彼女は「じゃあね!」と言い残し、パタパタと駆けていった。
僕は手紙を手に呆然と立ちすくむ。
そして、視界が霞んだと思うと、周囲の音が消えうせた。手足の感覚がなく、自分が立っているのか座っているのかすら分からない。
ただ、その声だけはハッキリと聞こえた。
――力が欲しいか……。
まるで男のような、女のような、懐かしいのに、初めて聞いた、不思議な声だった。
ちから……?
そう思った瞬間、すべての感覚が一気に戻った。
水中から顔を出したように、五感がクリアになり、思わずその場で膝をつく。
「おい、須田。大丈夫か?」
声に振り返ると、痩せこけた初老の男性が立っていた。
「具合でも悪いのか?」
誰だろう? 一瞬そう思ったが、心配そうに覗き込む顔には見覚えがあった。
「教頭……先生……?」
そうだ。確かにこの人は教頭先生だ。だけど、違う。自分の知っている教頭はもっと太っていた。生徒にすら糖尿を心配されるような人だったのだ。
少なくとも昨日までは。それなのに、目の前の教頭は痩せていた。
理解を超える現象が続いて、僕は急に怖くなった。
「だ、大丈夫です! ありがとうございます!」
そう叫んで走った。背中に名前が呼びかけられるが、振り返りもせずに逃げ出した。
教室に戻ると、知った顔がこちらを向いて、僕は安心した。息を整えて、気持ちを落ち着かせる。
「須田! お前も書けよ」
親友の大山慶太にチョークを渡された。黒板には大きく『3年B組 祝!卒業!』と書かれており、周囲にクラスメイトがメッセージを寄せていた。
僕は最後だったようで、書くスペースは決まっていた。
お調子物だった高橋の『来年もよろしく!』という、彼にしか許されない寒いコメントの隣にチョークを走らせる。
『ありがとう 須田』
高橋と良い勝負だな、と我ながら思うと、高橋と反対側のコメントに目が行った。
『忘れるな 中村浩二』
その名前に覚えはなかった。中村なんていうクラスメイトは居ない筈だ。
「安田、この中村って誰だ?」
尋ねると安田も眉をしかめた。心当たりはないらしい。
「……別のクラスかな?」
そんな所だろうと思う。どこのクラスにも調子乗りはいるもんだ。
消そうか相談していると、急に甲高い女子の悲鳴が上がった。振り向くと、窓から校庭を指差して叫んでいる。
「さ、桜が! 桜が大変!」
その声に窓際に集まった他の生徒からも、次々と驚きの声が上がる。僕も直接見ようと同級生の隙間から顔を出した。
変化はすぐに分かった。校庭の植えられた桜の木。そのすべての花びらが散っている。
それは異様な光景だった。落ちた花が枯れ木をサークル状に囲んでいる。それが何本、いや何十本も。
教師が呼ばれ調べたが、原因は全く分からないという。誰かの悪戯じゃないかと噂が流れ、ざわつきを残したまま最後のHRが終わった。
不思議な卒業式だったけど、それでも、僕は三年間を過した学び舎を振り返った。
「ありがとうございました」
恥ずかしいので口の中でそう唱えて、僕は踵を返す。
こうして、僕の高校生活は終わりを告げた。