夏季限定の相棒
「ねぇ」
返事がない。まぁもともと期待していなかったけれど。
というかこっちを見てすらいない。返事がないのはともかくとしてこれには少し傷ついた。
「ねぇねぇ」
またそっぽを向いている。そんなに私が嫌いか。
じりじりしながらこっちを向いてもらえるのを待つ。
奴は首をゆっくりと動かして、もう少しで私の方を向いてくれようとしたとき。
「ねぇってば」
「…なんだよ」
えっ。
今返事が聞こえたのは気のせいだろうか。
自分で呼びかけておきながら目をまん丸にする私に対する呆れたような声が聞こえた。
「何でそんな驚いてる」
気のせいじゃなかった。ちょっと待ってどういうこと。
真っ白な頭で考える。真っ先に思いついたのは、早く返事しなきゃ、ということだった。
「いや…別に。まさか返事してくれるとは思わなかったから」
「そんだけしつこく呼ばれたら誰だって返事する」
「しつこくないじゃないですか、三回しか呼んでないし」
「俺にとってはしつこい」
「しつこくないです」
「黙れ。黙らないともう返事しない」
「…ごめんなさい」
「ん」
愛想が悪い。まぁ返事をしてくれただけで奇跡に近いんだけど。
そしてなんでこんなおとぎ話みたいな展開にこうも私は順応しているんだ。
ちがう。順応してるんじゃない。
まさか奴が私に口をきいてくれるとは思ってなかったから、衝撃が強すぎて今のこの状況に疑問を持つ余裕がないだけだ。
私が頭の中で考えを巡らせる間奴は何をしていたかというと、いつもの通り周りをぐるぐると見回していた。癖なのかそれは。
そして向こうからは絶対話しかけてくれない。冷たい。真夏なのに涼しくなるくらい冷たい。
「…あの」
「ん」
よかった、返事してくれた。
幻聴じゃなかった。
「お話しできて、嬉しいです」
「そりゃよかった」
「だって今まで全然しゃべってくれなかったじゃないですか」
「上手くしゃべれないんだよ。慣れてないから」
「しゃべるの苦手なんですか」
「普段しゃべらないから」
「話し相手いないんですか」
「冗談よせ」
「すみません」
あ、またそっぽ向かれた。すぐそっぽ向くんだから、この人は。
そんな私の文句が聞こえたかのように、奴は頭を動かしてこっちを向いた。
そして珍しく奴の方から口を開いた。
「肩凝った」
「凝るんですか」
「逆に聞くけどお前は凝らないのか」
「凝りますけど」
「俺も凝る」
「その、首を動かすの癖なんですか。治せばいいのに」
「長年の癖がそんなに簡単に直るとでもいうのか」
「でも時間をかけて治せば良いんじゃないですか」
「俺一人じゃ治せない」
「毎日指摘してあげましょうか」
「やめろ」
「そうですか」
「それに時間をかけてって、もうすぐ会わなくなるだろ」
そう言って彼は目をそらした。
そうだった。
私が彼に会えるのは夏の間だけだった。すっかり忘れてた。
もう少しで夏が終わる。その短い夏の間で、今日初めて口をきいてくれた。
そう考えるとなんだか嬉しくなった。
そして、彼がもうすぐ会えなくなることを解って口をきいてくれたんだったらもっと嬉しい。
でも彼はそこまで考えるだろうか。
あらぬ期待をしていたことにがっかりする。
ここで少し私と彼の話をする。
初めてあったのは去年の夏。彼は少し離れた街からやってきて、それから毎日のように会うようになった。
私は彼が大好きだった。
彼はなんというか、すごく涼やかというかクールな人だった。
そして彼に興味津々な私の方を見ても絶対に口をきいてはくれなかった。
そして私はそれが仕方のないことだと受け止めていた。
こういう話し方をすると、恋だとかなんとか言われるのだろう。
でも、それとは少し違う。どこが違うかって聞かれたら解らないけど、彼に対して抱く感情は恋愛感情とはどこか違うのだ。
そんなことを考えていると、彼がこっちを向いていることに気が付いた。
「なんでしょう」
「お前こそ何ぼーっとしてたんだよ」
「いえ、ちょっと考え事をしてまして」
「お前もものを考えるのか」
「失礼な」
彼は何も言わない。少しの間沈黙が流れる。
何を話そう。いっぱい話したいのに何を話せばいいか解らない。
すると彼の方から口を開いた。
「来年の夏は、俺はまたここに来させてもらえるのか」
「むしろなんで来られないんですか」
「お前が来ていいって言ってくれないと来られない」
「確かにそうですね」
少し間を置いて私は言った。
「ぜひ来てください」
「…ん」
相変わらず無愛想な返事。でも、今回だけはその無愛想な言葉に続きがあった。
「ありがとう」
まさかあの彼がお礼を言ってくれるとは。
「いいえ、こちらこそありがとう」
彼はまたそっぽを向くかと思ったら、いつになく長い時間私の方を向いてくれていた。嬉しい。
そして彼は私の方を向いて言った。
「また来年、会おう」
なんだか照れくさい。
「はい」
すると彼も照れくさくなったのか、照れ隠しのようにまたそっぽを向いた。
「寝る」
「おやすみなさい」
再び彼は黙った。するとそれを見計らったかのようにインターホンが鳴った。
「はーい」
ドアを開けると母が立っていた。私が社会人になったあとも、実家が近いことをいいことにちょくちょく遊びに来る。せめて予告してから来て欲しい。
「しばらくぶりねぇ」
「そうでもないよ。ていうか次から来る前に連絡してよ」
私の言葉を無視して母は居間に入った。仕方がないのでお茶の準備をしにキッチンに入る。
「ああ、夏は暑いねぇ」
そう言って腰をおろして、ふうっと息をつきながら辺りを見回す。すると彼女の視線が彼の所で止まった。
「仲が良いのねぇ」
半ば冗談めかして言いながら、腰を上げて彼のもとへ行った。
「まあね、今時見ないタイプだけど」
「でも良いじゃない。気に入ってるんでしょう」
「うん、大好き」
「よかったねぇ。でもそろそろお別れだね」
「…うん」
そう言いながら私の準備した水ようかんを二人でつまむ。
「でも、来年の夏また会えるねぇ」
「そうだね。待ち遠しいな」
今日彼と話せたことは母にも話さないでおこう。不思議すぎて何を言われるか解らないし、私の秘密にしておきたい。
私の大切な、夏限定の相棒。
私はこの扇風機が大好きだ。
はい、奇抜なものを書こうとしたらこうなりました。
楽しんでいただけたなら幸いです。
私はクーラーより扇風機が好きです。