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不敵な奴ら

作者: 大輔華子

(一)

 梨華りかは会社帰りの最寄り駅のスーパーマーケットで普段より少し多めの量の食料品を買い込んで、自宅マンションに向かっていた。駅から自宅マンションまでは歩いて五分程である。

 マンション脇の児童公園を横切って、細い通路を歩いていた時、その前に、なお狭い横道から女の子の三輪車が走り込んできた。三輪車のペダルはまだ女の子には重そうで、その動きはかなり遅い。後部には俗に言う『たらこ唇』(アヒル口でなくて)に『うなぎの尻尾』(訳わかんない)の四足歩行(完全にわかんない)の奇妙な生き物の絵の描かれたプレートが付いており、その訳の分からない生き物の目は小憎らしく嘲笑うようかのように梨華の方を見ていた。

 梨華は思った。


――三輪車邪魔だなあ。それにその絵、チョーむかつく……。


 女の子は三輪車に乗りながら梨華の方に振り向いた。

「おばちゃん。これね。『うなぎイヌ』って言うんだって。かわいいでしょ」

 梨華は決しておばさんではない。うら若き独身女性なのだ。 

 しかし、不意を突かれて梨華は口を開いたまま一瞬その場に立ち止まった。その後再びゆっくりと女の子の後ろに付くように歩き始めた。

 突然背後で大きな声が響いた。梨華は思わず首をすくめた。


「止まれ!!」


 振り向くとそこには『やっちゃん』としか思えないような角刈りの怖いお兄さんがいた。お兄さん!? いえ、よく見るとおじさんだ。

 三輪車の女の子が止まって振り向いた。


「何い?、お父さん何い?」


――おっ、お父さん!? あの男がこんなに可愛らしい子のお父さん!?


女の子の父親らしき男は一瞬梨華の方を見たが、女の子に向かって怒鳴り声をあげた。

「人が歩いてる時に……。止まれって言ったら止まれ!」

 しかし女の子はこれを半ば無視するように再びペダルを踏んだ。

「止まれって言ってるのが分からんか! ぼけ!」

 女の子は振り向きながら、「ええ? 何で?」と言ったが止まる様子がない。

 梨華は女の子とその父親らしき男に挟まれてとても居心地が悪かった。男は梨華の歩行を妨げている娘をたしなめたのであろう。しかし、大人二人がすれ違うのも窮屈な路地で、今、三輪車が止まっても、大きな袋を二つ持った梨華が追い抜くのは困難だ。

 梨華は男に向き直って、止まらなくてもゆっくり付いていくから大丈夫、というように笑顔を見せた。

 ところが次の瞬間、梨華の目には信じられないことが起こった。

 男が急に走り出して来て、梨華の横を追い抜き女の子の頭をかなり強く殴ったのだ。

 ガツン!

「ぼけえ!」

「びええええーーーん!」 

 女の子は忽ち、けたたましい声で泣き叫んだ。


――ええっ! 何てことを……。これは幼児虐待だ!


 梨華はただ事でないと思った。そしてこの男を許せない、と思った。

「ちょっとぅ、何してるのよ! あんた! こんな小さな子を! いくら父親でも許せないわよ! ぼけですって!? ぼけはそっちじゃあ、ぼけ!」


――…………。


 と、言ってやりたかった。が、梨華は男が怖くてとても言えるものではなかった。しかし男は梨華の気持ちが通じたかのように律儀に会釈をして路地を譲った。梨華は自分も殴られるのではないか、という恐怖感にかられながら二人の元を離れて行った。

――あの子可哀想に。何とかしてやりたいけど……。

 梨華の『おせっかい』はいつも通り、またしても空回りである。


(二)

 梨華はとある中堅企業で役員秘書をしている。会長・社長を含め役員十二名の内、営業系の役員は七名で全員がいわゆる営業の『たたき上げ』であり、皆バイタリティーの塊のような男なので秘書の仕事も結構忙しい。稟議書の持ち回りや役員のスケジュール管理、得意先のアポイントなどが仕事の中心であるが、役員の出張に伴って訪問先での議事録作成や、ご接待紛いのことまでやらされることもある。

 今回も、梨華は役員の出張先からお呼びが掛かり、朝一番東京発博多行きののぞみ号でビジネスマンに混じって出張ということになった。朝一番の新幹線は普通、ビジネスマンが利用客の殆どを占めるので、車内には緊張の糸が張り詰められていて会話の一言もないことが多い。ノートパソコンのキーボードを叩いている人、プレゼン資料を見ながらおさらいをしている人、報告書に目を通しながら所々に何かを書き込んでいる人などなど、会社こそ違うもののそこは仕事場の戦場だ。携帯電話は周りの人への迷惑を考えて、かかってくると皆必ず席を立ちデッキへ向かう。

 梨華は仕事をする男性に囲まれ、穏やかにすやすやと眠るのがとても心地良く好きだった。

 しかし今日の梨華には、一つだけ気にかかることがあった。指定席の梨華の前後左右、周りの席はぽっかりと十席ほど空席である。途中でどんな男性が乗ってくるのかを確認してから梨華は眠りにつくことにした。つまり男性によっては『眠り』につかない、という選択肢もあるのだ。それはそれで、またドキドキ楽しみでもある。


◆◇◆ 

 新横浜で事態は急変した。乗ってきたのはおばさん軍団である。しかも、おそらく東京見物を終え、昨日横浜のランドマークタワー辺りで夜景を見ながら飲んだくれたような最強軍団、泣く子も黙る、『大阪のおばちゃん』である。

「おっ、若い男多いやんけぇ」。「ほんまや。イケメンもぎょうさんおるでぇ」「がはははは。手ぇ出したらあかん。メロメロなって仕事でけへんようなったらえらいこっちゃでぇ」。「がはははは」。

 梨華の席は大阪のおばちゃんの群れの、ほぼ真ん中に位置する。

「おう。今横浜やねん。だれか芸能人おれへんかいな」。おばちゃんの一人は大声を出して携帯で会話を始めた。

 ビリビリビリ。菓子の袋を破る音。バリバリバリ。せんべいをかじる音。大きな笑い声。その内車内には強烈な匂いが漂い始めた。買ったばかりのフライドチキンとフライドポテトである。梨華の二列前、斜め前の席に座っていたビジネスマンは堪りかねて振り向き、梨華と目が合うと睨みつけてきた。

――違う! 違う! 私、仲間じゃない。違う!

 おそらくその男性は比較的若くて、常識のありそうな梨華に、皆をたしなめるよう要求したのだ。その男は梨華が必死で首を横に振るのを見て、諦めたように溜息をついた。これだけ多くの男性がいながら誰一人としてたしなめる勇気のある者はない。下を向いたまま目立たないようにしている人が多い。中には不愉快そうに向き直る男性はいるが、『大阪のおばちゃん』とまともに目を合わせられる人はいない。そんな時彼らは梨華を見て目配せをした後、皆一様に失望の溜息をつくのだ。


――もう……。溜息つきたいのは私の方よ。


「なんぞ言うたかいな。ええ?」

 おばちゃんの一人が梨華に『インネン』をつけてきた。その時、ついに許せない事態が起きた。後ろの席からせんべいの袋を投げ渡そうとしたおばちゃんのコントロールが悪く、梨華の後頭部に当たり梨華の席はこわれせんべいの『雨あられ』となったのである。さらに、立ち上がってたしなめようとした梨華の足元にはバターピーナッツが転がってきて、梨華はずるっと足を滑らせ顎を座席シートに強打した。

「なんぞ言うたかいなって、言ったわよ! ちょっとあんたら! いい加減にしたらどう! この恥さらしの下半身デブ集団!」

――…………。

 と、言ってやりたかった。が、下半身デブは梨華も同じだし、いや、いや、そんなことではなくて、梨華は大阪のおばちゃんの逆襲が怖くてとても言えるものではなかった。しかし、梨華の気持ちが通じたかのように、いや、梨華がシートに顎を強打したのを見てさすがに気の毒に感じたのか、大阪のおばちゃんたちはこの時を境に急に静かになった。

――ひどい出張初めになっちゃったよぅ。でも、まっ、いっか。一応静かになったみたいだし……。

 梨華の『おせっかい』はいつも通り、またしても空回りである。


(三)

 梨華は、前述の通り役員秘書である。このため、普段役員の人とは頻繁に会話を交わすが、部長以下、まして一般社員との会話の機会が極端に少ない。梨華はそこそこのルックスではあったが下半身デブのため、相手の独身男性も敬遠する。いや、いや、そうじゃない! 独身男性は役員の目を気にして、気軽に話しかけることはしない。そんなこともあり、そこそこ年齢も行ってしまい、年齢が上がるとますます話しかけられなくなる。梨華は完全に負のスパイラルに陥ってしまっていた。

 そんな中、梨華は少し年上で婚期を逃しかけている男性社員で梨華の好みのタイプであった、いわゆる『デブちゃん』の中島課長に心惹かれるようになり、時々役員室へ報告書を持って訪れる彼の気を何とかひこうと、ある日思い切った行動に出た。

猿渡さるわたり常務は在籍ですか?」

「はい。あと。伝言があります」

「伝言? 常務からですか?」

「いいえ。あたしから……」

 梨華は、投げキッスをしようと口を少し尖らせ、顔に掌を近付けた。しかし、中島課長はそれに全く気付かず、

「何でしょうか。書類か何か?」と言った。

 梨華は途中で引っ込みがつかず、口を尖らせたまま言った。

「ううえ、ぬんどぅもうるむすん」(いいえ、何でもありません)

 中島課長は梨華の顔を見て一瞬たじろいて暫く固まっていたが、我を取り戻し秘書受付を離れて行った。

 

 次の日、梨華は役員の一人から話し掛けられた。

「君。秘書の受付で『タコ』を飼っているらしい、なんて奇妙な噂が出廻ってるけど、そんなことないよね」

「ええっ!? 誰がそんな話を……。タコなんていません! あったり前です!」

 人の噂はおかしな方向へと展開していくことを梨華は身をもって思い知った。そして、心に思ったことをはっきりと口に出して相手に伝えるべきだ、と強く感じた。


◇◆◇

「僕が秘書の受付でタコ飼ってるなんてそんなこと言う訳ないじゃないか。秘書の君がタコみたいな口すると結構かわいい、って言ったら、噂が、秘書がタコ飼ってるってことになったらしいんだよ」

「言い訳は要りません。それより今週末空いてますか? お天気良さそうだし、気候もさわやかだから、一緒にピクニックに行かない?」

 これを期に二人の男女関係の距離は一気に縮まっていった。タコさん万歳、である。

 しかし、梨華は中島課長と何度となくお付き合いを重ねるようになって、ある重大な性格の癖を彼に指摘された。

「君ねえ。前から気になってたんだけど」

「なあに?」

「君って、自分で気付いてないけど、心に何か思ってる時、それがそのまま言葉になって口から出ちゃってるんだよね」

「!」

――ええっ!? 本当? 有り得ないよぅ!  

「君今、『ええ!? 本当? 有り得ないよぅ!』 って思ったでしょ」

「そうだけど……何で分かるの?」

「だから、無意識に口から出てるよ。その言葉」

――もしかして、『やっちゃんお父さん』へも、最強の『大阪のおばちゃん』へも……。

――怖い! 私。私が一番怖いかも。

 彼は完全に梨華の心を読み取っていた。てか、そのまんま聞こえてるもの。

「怖くないよ。大丈夫。癖だから治る。努力すればきっと治るよ」

 彼は優しくそう言って梨華の肩を引き寄せた。


(四)

 その日から梨華は、何か言葉で物を考える時、口をタコのようにして意識して言葉を発しないようにした。

 努力の甲斐有って、彼女はとうとう自分の癖を克服した。思っていることを無意識に口にしない。そのことは彼女にとって大きな性格改造となったようにも見えた。

 しかし、彼女が思っていることを口にする、という癖は単なる『癖』ではなかったのかも知れない。根本的に彼女の心の底に流れる性格が彼女にそのようにさせていたのかも知れない。

 梨華は、思ったことを口にすることがなくなった代わりに、思ったことを思いっきり表情や態度に表すようになった。

 

 中島課長のもとへ、梨華から一通のメールが届いた。

 To:********

 From:********

 件名:おでぶの中島課長さんへ

 本文:

 昨日私はおばさんと二人で茨城フラワーパークに行きました。

 ヤマザクラって今頃満開なんですね。

 ソメイヨシノと違って花びらがもくもくしていて、素朴な感じがいいです。

 (デジカメ忘れたことをつくづく後悔しました)


 展望台では勇壮な筑波山を見て、気持ちの良い風に吹かれました。

 仲のいい若いカップルが目の前でいちゃいちゃしているので、ちょっとだけムッとしちゃいました。

 でも、課長みたいなおデブさんと私みたいにスリムな女の子の二人でしたので、何となく微笑ましい気持ちになって、思いっきりおデブさんに微笑みかけて会釈をしました。

 おデブさんは「誰だったかな?」というような表情を見せながらも、にっこり笑って会釈を返してくれました。

 やったね。

 知らない人であっても、道すがら、微笑み合うということは何となく心洗われ気持ちの良いものです。

 日本人は、よく、笑顔が足りないと言われるますものですからね。

 一つ良いことをしたような気がしました。


「行きましょうか」


 邪魔するのも大人げないので、二人にしてあげようと思い、おばさんとその場を立ち去ろうと歩きだしていると、背中のほうで低い声がしました。


「誰よ? 今の女の人」

「知らない」

「…………」(ビミョーな間)


「ホントだよ。知らない。会ったこともない、と思う」

「嘘! あの女の人、すっごい笑顔だったじゃないの」

「だから……」

「だからどこの誰なのよ!?」

「…………」(再びビミューな間)


――ああ気持ちいい……。

 とても風のさわやかな一日でした。

【梨華】


 メールを送信し終わって梨華はにこっと微笑んだ。


――私って、やっぱり一番怖いかも。やっちゃんよりも大阪のおばちゃんよりも……。ねっ。


――そんな私でも、愛してくれるあなたが好き。


――ねえ。今日また逢いましょう。ねっ。


 梨華は久しぶりに、思っていることをはっきりと口にしていた。


《 「不敵な奴ら」 完 》


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