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始まった瞬簡には終わってる

「其れが限界か」

 薄汚れた白衣を着た少年がぼさぼさの頭を掻く。

「少しは有用なデータが取れると思っていたが、想定内だ。予測した閾値を超えていない」

 少年は冷徹な視線で血だらけの何かを見下ろしていた。

 血だらけの何かは少年を恐れるかのように僅かに身じろぎをする。

 もはや何処が足で腕で頭なのか、そもそも一体何であったのか分からなかった。

「君にはそろそろ退場してもらおうか」

 強者のみがより深みに堕ちていき、弱者はその存在の痕跡すらも残すことを赦されない。

 其れがこの世界のルールである。

 此処はそんな世界である。

「正直なところ残念だよ。君なら僕の望む乱数を見せてくれると期待していたのにね」

 少年の顔が惜しむように歪む。

「『零れ堕ちた楽園アルビヨン』」

 言葉が紡ぎ終わった瞬間、何の脈絡もなく唐突に血だらけの何かは姿を消していた。

「……TP稼ぎにはなったかな。曲率反転の実験もできたし、無駄ではなかった」

 少年は冷徹な研究者の仮面を消し、年相応の顔を貼り付けた。

 『裏世界アンチ・ワールド』は異常に満ちている。

 人は一度はその世界に誘われる。淀んだ瘴気のようで、甘美な麻薬のような『裏世界アンチ・ワールド』の雰囲気に狂わされずにいられない。皆が終わらぬ幻想に夢を見て、溺れ、堕落しつつあることを知ってなお、その世界に囚われ続けることを選択する。病的なまでに執着する。

 取り返しようのない病だとしても其れは望んだことだから

 いつか壊れる幻想だけど其れは自身の夢だから

 とはいえ裏と銘打たれるからには表の生活というものも存在する。

 非日常とは日常がなければ成り立たない。天才の背景に必ず凡人の努力が存在するように、夢を追うには過酷な現実が必要なのだ。

 そして其れはこの少年、山「その名で僕を呼ぶんじゃないっ!」

 失礼、真の名を黒ヶ峰十字くろがみねくろいつという少年もまた例外ではない。白衣の下に着た制服からも黒ヶ峰(語呂が悪いので以下クロイツとする)が現在登校中であることが伺えるだろう。そう、クロイツは表向きはごく普通の高校生なのである。

 クロイツは十二歳という若さでこの世界に足を踏み入れ、高校二年生となった現在に至るまでずっと戦い続けてきた。其れが意味するのはクロイツが未だに何者にも屈していないという事実だ。

 黒ヶ峰十字の戦歴は何も『裏世界アンチ・ワールド』だけで重ねてきたものではない。闇に生きる者は光から拒まれるのが定め。しかしあまりにも強大な力は秘匿しきれぬものであった。強大な力は疎まれ、排除される。力だけではない時には知識ですら糾弾の対象となりうる。

 クロイツは此の世の真実が見えてしまうほど、常軌を逸した天才であった。しかし真実とは欺瞞に満ちた表の世界で生きる者達にとって毒であり排除するべきものでしかない。

 例えばこんなことがあった。

 あれはまだクロイツが小学生で社会科の授業を受けていた時のこと――

「この地図記号の意味が分かる人はいますか。 じゃあ、山田君」

「ハーケンクロイツです」

「いや…………確かに似てますけどこれはお寺を意味する記号」

「いえ、だから其れは表向きの意味なんです。実はこれはオデッサの暗号で、いつの日か全世界の空にハーケンクロイツが翻る日が来るんだっていう決意の表れなんですよ」

「…………」


 あの時の沈黙は確かにクロイツを拒絶するものだった。しかし同時にクロイツは悟ったのである。

 この世界に真実なんてないということを

 自分の名前ですら実は真実ではなかったということを

 真理とは探求され続けるべきモノである。科学とはその手段であり、真理そのものではない。愚鈍で怠惰な凡人達はどうもその境界を曖昧にする傾向にあるようである。つまり科学的に正しいことが真理だと妄信しているのだ。その姿は宗教に傾倒する者達となんら変わることがないと果たして連中は気づいているのだろうか。

 自分が奴隷であるとも気づかずに、いいように働かされている姿はなんとも滑稽である。

 科学的に正しいことが真理であるとは限らない。

 それ故クロイツは自らをこう称する、『真理の探求者エイレナイオス』と。

 この欺瞞に満ちた世の中で唯一絶対の真理を探究することこそ黒ヶ峰十字の目的である。

 だが、学者だろうと戦士だろうとしばしの休息は誰にでも必要なことである。

 であるならばクロイツがここで学校に向かおうと白衣を翻し、歩み始めたのは至極当然なことといえるだろう。

「耕介ぇえええ!!!」

 しかし自然だからといって其れが何者にも阻まれることがないかというと、そうでもないと答えざる得ない。

 クロイツに背後からドロップキックをくらわした少女のように、現実には常に突発的事項というものが付きまとうものだ。ちなみに少女はスパッツを履いていた。

 少女の名は今鶴羽都いまつるはみやこ、戸籍上に記載された本名である。

 今鶴羽都はクロイツと同じ中須川高校に通う、生徒会会計兼、風紀委員長兼、学級委員長兼、助っ人部部長兼、クロイツの幼馴染という肩書きの多い少女ではあるが、その全てを完璧にこなすことはもちろんのこと、学業では学年トップクラスの成績であり、運動も万能、一日一善をモットーとし、親は地方では有名な食品会社の社長という、文武両道どころか全道舗装(こんな四字熟語はない)という非常に恵まれた少女である。

 付け加えるなら、今鶴羽都は世間一般に見て美少女である。

 他人に厳しく自分には更に厳しい今鶴羽都は校則を破ったりしない。頭髪は加工をしていないストレートの黒髪で、一つにまとめて腰の辺りまでたらしている。化粧の類を一切しないでも、肌は雪のように白くキメ細やかで、艶のある桃色の唇、細く通った鼻筋、怜悧な印象を受ける切れ長の目、それらのパーツが理想的に整えられており、刀剣の美しさに似た美貌を持つ少女だった。

 そんな今鶴羽都に彼氏がいないのは目つきが悪く性格が悪いのが「殴る、刻む、殺す」永遠の謎だ。

「その白衣一体何着あるのよ。何回注意しても没収しても止めないなんて、あんたは私に喧嘩を売りたいわけ?」

 そう、クロイツの白衣は校則違反だ。中須川高校は生徒会長が模範といえる生徒ではないために風紀に関しても多少緩いところがあるが、クロイツの白衣は許容できるものではなかった。風紀委員長たる今鶴羽都にとってはなお更だ。

「ちょっと待て、その前に僕の名前は耕介では」

「うるさい! 山田の分際で」

「そ、その名で僕を呼ぶんじゃない!」

 『風紀の番犬ゲートキーパー』とはクロイツが今鶴羽都に勝手につけた異名であるが、この名は予想外に学校中に広がっていた。朝誰よりも早く登校して校門前に立ち校則違反者を取り締まる姿からついた渾名であるが、所謂不良と呼ばれる人種に一対二十で勝利し非行少年を更正したという伝説もこの渾名の伝播に拍車をかけたのだった。

 今鶴羽都は素手でも強い。

 よって常人ならば霞んで見える右ストレートをクロイツがくらって吹き飛んでしまったのは、何も恥じることではない。

「ここは校内じゃないし多少は手加減してあげるつもりだったけど必要ないようね」

 今だ痛みを堪えるのに精一杯のクロイツから今鶴羽は白衣を剥ぎ取った。

「ぐぅ、だがせめて僕のことは十字クロイツと呼んでくりゃ」

 必死に半身を起こして訴えるクロイツを今鶴羽は無常にも踏み潰した。

「死んでも呼ぶか」

 こうして気絶したクロイツを背負って登校するのが今鶴羽都の日常である。


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