滅亡図書館 分類ファイル:絵本
閉架書庫最奥の席から、天窓を見上げる。四角く切り取られた空は上空から見下ろすプールのような、深海魚が焦がれて見上げる水面のような。
俺が潜む机に、常に積み上げられる古びた書籍との比較が、俺を深海魚側に引き下ろすのだが、今日に限っては俺の机の周りはいやにファンシーだった。
児童書の出版元から、先人の絵本の監修を頼まれたのだ。
子供の絵本など間違えようもないから適当にざっと斜め読みして『はいOKです』と突き返せばいいのだが、一応細かいニュアンスなどに齟齬がないか、原書と照らし合わせて確認する。絵本だからこそ、先人の意思は正確に伝えたい。
「あ、『ぐりとぐら』」
斜め後ろのパイプ椅子でカラシが一冊の絵本を手に取った。赤と青の服を着た二匹の鼠がカステラを作る、先人絵本随一のヒット作だ。俺も子供の頃、読んだ事がある。コーヒーを傍らに置いて振り向くと、カラシが意外にも少し嬉しそうにページを捲っていた。
「この、皆で食べている卵のお菓子が美味しそうで、食べてみたかったな⋯」
「カステラな⋯そう、この卵だ」
ツカツカと歩み寄り、ビシリと卵を指さす。
「これは何の卵だ」
カラシが目を見張って俺と絵本を交互に見つめた。
「いや、何の卵かって⋯え?⋯⋯⋯ダチョウ?」
顎に指を添えて首を傾げ、少し考えて、おずおずと答える。
「俺も子供の頃はそう思っていた。しかし鍋いっぱいのカステラを皆で食べるシーンを見るだろう」
「⋯⋯はぁ」
「奴ら、ライオンと大してサイズが変わらないんだよ」
「⋯⋯奴ら」
「つまりこの卵はライオンより遥かにでかい」
カラシが静まり返ってしまった。
「ちなみにこの卵のサイズとタメを張れる生き物が一種だけ登場する」
「⋯⋯では、その生き物が」
「象だ」
「⋯⋯⋯象ですか」
「卵生ではない。この象の脇に、大きめの鳥が出てくるだろう」
「ああ、フラミンゴ」
「この鳥は何だ」
「だからフラミンゴ⋯」
「象と同じ高さのフラミンゴか?」
またカラシが黙ってしまった。
「この鳥は恐らくフラミンゴではない⋯かつてオーストラリア大陸に生息していたと言われる巨鳥、ジャイアントモアだ!!」
「⋯がっつりピンク色ですが」
「アルビノだ、多分。フラミンゴのピンク色は赤い藻類やエビカニに由来している。同じものを食べればピンク色になりうるだろう。ちなみにこの巨鳥は15世紀には滅びている。この絵本が出版されたのは1963年⋯ということは、この話に出てくる動物は、この絵本が出版された当時、生息していた動物だけとは限らない!遙か太古に滅びた古代生物の可能性が出てくる!ていうかもうソレしかねぇだろ!!」
「⋯⋯お疲れなんですね、今日はもう休まれては」
「その巨大生物の卵を割って、森の真ん中で調理して、森の動物達に振る舞う⋯報復が恐ろしくないのかこの鼠共は!!卵のサイズに見合った巨大獣が森を襲撃するぞ!!」
「⋯⋯⋯あんたはもう、絵本を読むな⋯⋯⋯」
カラシの喉から、今まで聞いたことのない低い声が零れた。今まで見た事ないような冷たい視線が、俺に注がれている。
⋯⋯カラシを怒らせた。
「あ、言葉が過ぎました。あんたは訂正します、館長」
絵本を読むな、は訂正されなかった⋯。ど、どうしよう、カラシに嫌われたかもしれない。頭がグラグラしてきて、思わず席に戻って机に頭を落としてしまった。目頭が熱くなってきたが歯を食いしばって堪えた。
「⋯言い過ぎましたよ。昔から絵本に感性が向かない子は居ますから⋯そんなに悄気ないでくださいよ」
「悄気ていない⋯」
少し声が震えたが持ち堪えた。
「整合性のない記述が苦手なんだ。苦手だが嫌いな訳じゃない。俺も、ぐりとぐらは小さい頃よく読んだ⋯」
「そうなんです?」
カラシの声が明るくなった。がばりと顔を上げると、カラシはぐりとぐらの表紙を俺の方に向けてにこりと笑った。⋯あまり、はっきり笑う事がないカラシが笑った。
「館長だって、子供の頃読んだ絵本は楽しかったでしょう。子供たちに楽しく本に親しんで欲しい、それだけで作られたのが絵本なんです。理屈とか整合性とかジャイアントモアとかは、これに関してはナシでいいんです」
あ、少し根に持ってる。
「偶に地上の一般公開部に、子供たちへの読み聞かせイベントで呼ばれるんです。皆喜んで聞いてますよ、子供も、大人も。⋯こんなふうに」
絵本のイラストが見えやすいように俺の方へ向けると、突然読み聞かせが始まった。
「このよで いちばん すきなのは、おりょうり すること、たべること。 ぐり、ぐら、ぐり、ぐら♪」
カラシは首を少し傾け、両手を軽くグーの形に握り、『ぐり、ぐら』の下りでグーを猫パンチのように上下させた。
「ぐり、ぐら、ぐり、ぐら♪」
―――なにそれ!?
「そ、そんなのやってんの」
「子供大喜びですよ。ぐり、ぐら、ぐり、ぐら♪って」
またリズミカルにグーを揺らす。黒い髪もサラサラ揺れる。硬派な白ブラウスから覗く柔らかそうな胸元も、リズムに合わせてふるふる揺れる。
⋯⋯目眩がしそうだ。
「副館長のたっての希望で、読み聞かせイベントが増えているんです。割と盛況なんですよ」
―――あのスケベ野郎!!
「⋯どうしたんです?怖い顔して」
カラシがキョトンとしている。俺は無理やり作り笑いを浮かべて、カラシの肩に手を置いた。
「いやいやいや⋯子供たちに読書を促進する、素晴らしい活動だと思うよ⋯子供たちは、ママと来ているのかな」
「最近はパパが多いですね」
―――大喜びなのは大人じゃねぇか!!
「⋯大丈夫ですか?」
「⋯俺はどうなっていた」
「白目剥いて固まってました。⋯あの、今日は早退されては」
「いやいやいや⋯大丈夫⋯読み聞かせ、上手なんだな」
彼女は少し照れたように顔をふせ、頭を掻いた。
「閉架勤務が変ですけどね、こんなの。⋯弟達によく読み聞かせしてたんです。お陰で弟達はいまでも読み聞かせをねだってきます」
「⋯⋯弟、何歳」
「上は20歳から、下は12歳まで」
「弟大丈夫か」
性癖が。
「ああ、今日も読み聞かせに呼ばれてるんでした。⋯監修頑張ってください」
カラシはトレーにカップを戻し、黒髪を揺らして一礼した。
カラシがエレベーターホールに消えた事を確認し、周囲に誰も居ない事を確認すると俺は徐にクッションを床に敷き、ぼさりと顔を埋めてそのままのたうち回った。普段の3倍、のたうち回った。
読み聞かせのカラシ、死ぬほどかわいい。
本日の監修作業を、終了する。




