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滅亡図書館 副館長 山田の業務日報 その1

倒木による断線、停電被害は復旧まで3日を要した。


例年であれば1日で復旧出来るのだが、連日に及ぶ吹雪で技術者の出向がままならなかったのである。

『地上部』の営業は、私の権限において復旧までは停止とした。その旨を館長に事後報告したところ、非常にどうでもよさそうに『おぉ』と呟くのみで終了。上の経営なんて殆ど興味ないんだろう。もしも私がクーデターを起こして館長の座を奪ったとしても、『あそう』とか言っていつも通り書庫の最奥に戻っていくだけで済みそうな気さえする。

尤も、私も館長の座に野心は持っていない。私が副館長の座に就いていることを、彼はもう少し感謝した方がいい。


先人の遺したものを、もっと知りたいんだ。


思えば私が入学した頃からあの人は一貫して、そればかりだった。何かに夢中になると、周りが見えなくなるのだ。そして私はとばっちりを喰らい続ける。

あれはもう15年近く前の事になる。一年留年して入った最難関の最終学府で、あの人に会ったのだ。


最初に彼を見かけた時の感想は『お、可愛い子いるじゃん』だった。


サークルの新入生勧誘は最初は新鮮だった。だが1週間続くと疲れてくる。上級生の追跡を逃れて私の専攻ではない研究棟に迷い込んだ時、黒いパーカーの先輩が私の前を横切った。


最初、上級生の女の子かと思った。


赤みがった天パの髪は正直、好みではなかったが、抜けるように白い肌と子鹿のように大きい切長の目は可愛い。油断なく周囲を睥睨する仕草は神経質な性格を伺わせたが、経験則上、そういう子は一度懐に入れば意外とデレデレになるのだ。別の専攻というのもポイントが高い。万一別れても後腐れがない。私はウキウキで声をかけた。

「すみません、先輩!迷い込んでしまって!」

振り返った先輩をまじまじと見た瞬間、私は⋯凍りついた。


黒いパーカーの下に、当時小学生男子の間でバズっていたゲームのキャラクターTシャツを着込んでいた。


当然、胸部に隆起はない。これは小学生男子。そう思って今一度凝視すると、完全に小学生男子だった。目が大きい天パの男子だ。この研究棟の生徒が弟を連れてきたのだろうか⋯凍りついている私に、意外にも警戒心が強そうなこの少年は真っ直ぐに近づいてきた。

「ここは古書籍学部だ。後輩は、何処に行く予定だ?」

「え、えと⋯経営学部に」

彼はニヤリと笑って癖の強い髪をいじった。

「全然、逆だ。⋯こっちだ、後輩。連れて行ってやる」

嬉しそうに後輩を強調しながら少年は私の手を取り、引っ張り始めた。

「⋯どうした後輩、来るんだろ」

不審な目で見上げられて、はっと我に返った。私が歩かないと、少年の腕力では俺の巨躯を引き摺れるわけがない。慌てて「は、すみません」と口走り、引かれた方に歩いた。


少年に手を引かれながら、私はふと『去年飛び級で入学した11歳の少年』の噂を思い出した。野球サークルの新歓コンパでその話を聞いた時は「こっちが一浪して入った難関に飛び級か⋯」と、あまり良い印象を抱かなかった覚えがある。他の学生もまぁ、同じようなものだろう。

「全く逆方向じゃないか。方向音痴な後輩だな」

少年は私の手を引いたまま、離さない。お陰で子供とお手々繋いで研究棟を縦断する絵面になっている。すれ違う先輩たちも、私と少年をいぶかしげに凝視しているが、それでも手を離す気配がない。

「経営学部は何を研究するんだ」

「えぇ⋯経営戦略とか、マーケティングとか⋯」

「ふぅん」

興味なさそうだ。

「サークルとかはもう入ったのか?」

なんか面接みたいだが、どうやら必死に話題を振ってくれているようだ。

「色々見てるけど、今の所はまぁ⋯野球です」

「ふぅん」

興味ないんかい。

「先輩はその⋯サークルとかは?」

『先輩』という言葉に反応して、ばっと振り返った。なんという分かりやすい子供だろうか。

「お、俺は入ってない⋯バイトが忙しいから!」

「バイト⋯ですか?」

12歳を雇うバイト先があるのか?そこ大丈夫か?

「バイトというと語弊があるな⋯インターン!」

「え⋯もう就職先決まってるんですか?」

彼は小学生のようにぶん、と首を力いっぱい縦に振った。

「俺は『図書館』に就業が決まっている」

「へぇ⋯なんかもったいないですね」

「⋯⋯そう?」

「先輩、飛び級ですよね。院に残って研究を続ければ、凄い研究者になるでしょうに」

先輩は視線を宙に彷徨わせ、ふと私を見上げた。

「⋯そういうの、いいや。俺は誰よりも先に知りたいんだ。先人が遺した全てのものを」

学校に閉じこもって、他の奴らが翻訳済の古書をこね回して論文書いて何になる。俺が一番先に読むんだよ。そう言って彼は挑戦的に笑った。

「ついたぞ、ここが経営学部だ」

そう言ってようやく手を離した。

「あ、ありがとうございます。えー、私は8119」

就業するまで名前はない。通常、自己紹介は出生時に付けられた番号の下4桁を名乗る。

「俺は、クロエ」

そう名乗ると、少し得意げに顔を上げた。

「⋯もう通称持ってるんですか」

「バイトでも名乗れるよ。学内にも結構いる。もう通称決めてるならバイトしたら?」

「考えときます」

一礼すると、クロエ先輩は軽く手を振って踵を返した。



その後も学部が違うにも関わらず、ちょくちょくクロエ先輩に遭遇した。一緒にバイトしようぜと誘われたり、古書籍も間もなく規制が緩くなる、そうなれば市場に流れるかもしれない、古書籍も授業選択しておけ、俺が過去問流してやるなどと誘ってきたりと、要は懐かれた。一緒に移動する時は、いつもクロエ先輩に手を引かれた。そういうものだと思っていたらしい。3年目くらいに、突然手を引かれなくなった。思えばあの頃、ようやく思春期に突入したのだろう。


⋯初年度の科目選択時、猛烈なプッシュに負けて、結局私は古書籍学も選択した。実を言えば先輩のプッシュだけが動機ではない。政府が厳重な規制を敷いている古書籍が解禁される噂は私も聞いていて、ビジネスチャンスの可能性は感じていたのだ。

同じ教科を選択して、古書籍学部におけるクロエ先輩の立ち位置を見るにつけ、色々な事に合点がいった。


クロエ先輩は人望がない。


実力があろうがなかろうが、12歳の先輩に頼る後輩が居るはずもなく、後輩達はクロエ先輩には寄り付かない。コンプレックスもあるのだろう。

そして誰一人、彼を『先輩』と呼ばない。『君』と呼ぶ。敬語すら使われているのを聞いたことがない。

同級生は⋯特に仲間はずれにしたり、虐めたりするような人間はいない。ただ、やんわりとスルーされるのだ。飛び級の天才児を、どう扱っていいのか分からないのだろう。彼は学部で、一人浮いていた。


敬語を使い『先輩』と呼んで過去問や課題で頼るのは、私一人だった。



⋯⋯そんな館長との腐れ縁の始まりを、ふと思い出していた。何故なら。



とばっちりの予感がビンビンに感じられるからだ。



「これを見たまえ山田。チルというやつだ、いいだろう」

館長はワクワクを隠せない様子で先人のアウトドア系雑誌を出してきた。文字は読めないが、鼻の高い青年が森の中、一人で焚き火の前に椅子を置いてうっとりしている写真が掲載されている。⋯今度は何に嵌ったのだろう。

「⋯⋯焚き火ですね」

「これはソロキャンというリラックス方法だ。この時に感じる何とも安らぐ気持ちを先人達は『チル』と表現したらしい。あの感情に名前がついた」

「一人でキャンプを。巨大昆虫や猛獣が跋扈する森で。そんなの野戦必至じゃないですか。その状況で先人はよく『チル』出来ましたね。サイヤ人ですかね」

「先人の時代は猛獣や昆虫が多くはなかったんだろうよ。俺だって森で焚き火なんぞ御免だ」

そう言って館長はいそいそとプリントを持ち出した。

「いやいやいや⋯焚き火は外でやりましょうよ先輩。私、焚き火おこして人集めてギター弾きますよ」

「要らん。いいからこれを見ろ」

プリントに描かれていたものは、くっそ下手な棒人間と、焚き火と思しきギザついた火の玉、その上空に置かれたプロペラと管。周囲には赤い塔のような建造物が数本。⋯宗教儀式だろうか。

「⋯このプロペラは何ですか」

「換気扇だ。焚き火の上部にダクトを引っ張って配置する。消火器も複数配置だ」

消火器だった。

「まだ諦めてないんですか。書庫は火気厳禁です。ファンヒーターだって最大の譲歩なんですよ。寒いの嫌なら個室使って暖房でも何でも付けてくださいよ。他の職員は適当な個室使ってるでしょう。何故わざわざ吹き抜けに机置いてんですか。とにかく焚き火はダメ、絶対」

「⋯火事のリスクは最小限に抑えたじゃないか」

「他の職員に示しがつかないんです」


―――12歳だった少年は20代後半の大人になったが、夢中になると周りが見えなくなる性質はまるで変わらない。


「うむ⋯君の言う通りだ。勝手に真似されて火事を起こされたらエラい事だ」

やっと諦めてくれた。

「どうしたものか⋯」

いやどうしたものかじゃねぇよ諦めろよ。

「焚き火がやりたければ、街中の広場とかでやったらどうですか。何なら図書館の前庭使っていいですよ」

「人目に晒されて焚き火にあたるのはチルじゃない」

「じゃ、比較的安全な人工の林を狙って」

「嫌だ絶対遠い。虫も獣も出るだろうし面倒くさい」

⋯くっそ面倒くさいのは12の頃から変わらないなこの先輩は。



「屋上なら、どうです?」



振り向くと、返却本の台車を押していたカラシが立ち止まっていた。

彼女も変わり者だ。通常、地下に配属された女子は華やかな地上部への転属を希望することが多い。容姿が優れている彼女が来てくれるなら客寄せになるし大歓迎なのだが⋯一向に希望する気配がない。こちらから誘いをかけても『地下がいいです』の一点張りだ。おまけにクロエ先輩が気に入っているくっそ寒い吹き抜け最奥エリアは彼女も気に入っているらしい。似た者同士なのかもしれない。

「屋上⋯ってなぁ、寒いし、雪降ってるし⋯」

クロエ先輩が軽く渋っていると、カラシがふふ、と含み笑いをして目を細めた。⋯偶に、妙な色気を感じる。

「焚き火なんて、寒いからいいんじゃないです?」

「あっ⋯え、そう、だな⋯」

目を泳がせて、クロエ先輩が声を詰まらせた。⋯こいつらは停電の時、よりにもよって吹き抜け最奥で焚き火にあたっていたのだ。⋯いや、こいつらと一緒くたにしては、わざわざ館長を呼びに行きます、と長い階段を降りていったカラシに申し訳ない。欲を言えばクロエ先輩の焚き火敢行を諫めてほしかったが、勤続2年目の駆け出しが館長に逆らうのはハードルが高いだろう。⋯いや、割と対等にやりあっている気もしないでもないが⋯。

「屋上ならいいけど⋯消火器は念の為、近くに配備してくださいよ?」

「最上層と最下層⋯遠いなぁ⋯」

「林よりは近いでしょう。これ以上ワガママ言わんで下さいよ先輩」

肩を落としてぶつぶつ言いながら仕事に戻ったクロエ先輩だったが、その後時折吹き抜け最奥部の机に『屋上に居ます』というメモが散見されるようになった。


本日の業務を終了する。

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