滅亡図書館 分類ファイル:アウトドア
吹き抜けの天窓に、しんしんと降り積もる雪が全ての光を遮る。外はまだ昼間なのだろうか、それすらも分からない暗闇に包まれて俺は唯一の光源⋯災害用のLEDランタンをかざして小さく振った。階段を降ってくる小さなランタンの主は、多分カラシだろう。
「⋯こたえますねぇ」
保温ポットからコーンスープをどぼどぼ注ぎ、カラシが呟いた。
「あぁ⋯よりによって今日、断線とはな」
昨日から大雪の予報は出ていた。
自宅が遠い職員は早めに帰らせ、本格的に吹雪き始めた昼過ぎには閉館したのだが、折悪しくも近くの古木が強風で倒れて一帯が停電してしまった。
「厚着してきて良かったです」
カラシはふわふわの毛がついたフードを目深に被ったまま、スープに口をつけた。白い息が全てを隠して、顔が見えない。
「⋯すごいの着てきたな」
「パパが南極調査の時に着た、極寒地対応ジャケットです」
⋯⋯⋯パパ呼びか。
「すごい色してんな。ハンコ押せる?」
「朱肉ですか、失敬な。雪山とかでカワイイ白とかシックな黒とか着てると遭難しても発見されないんです」
「ガチの装備だな⋯」
かつて翻訳した軍隊に関する書籍で、どこかの軍隊では、海で遭難した時に発見されやすいように裏地が鮮やかなオレンジ色のジャケットを採用していたと書いてあったな、そう言えば。
「先人が滅びた理由って、この寒さじゃないのか」
「滅びる程ですかね⋯」
大きいフードが僅かに傾き、サラサラの黒髪が少しだけ覗いた。
「こんなの氷河期だろ氷河期。マンモスが滅んだ氷河期」
「氷河期が来たとしても、そんな瞬で滅びますかね⋯」
「マンモスも瞬で滅びるんだから滅びるんじゃね、知らんけど」
「体調悪いとテキトーなこと言いますね⋯」
フードの下からくっくっと含み笑いが聞こえた。⋯仕方ないだろう。寒過ぎて思考が纏まらない。震えも止まらなくなってきた。黙ってスープを啜っていると『私は極寒仕様なので』と言いながらカラシが膝に掛けていた毛布を俺の肩に被せてくれた。⋯体温で少し暖かい。顔が上気しそうで俺もフードを被り直した。
「⋯地上部に残っている連中はどうしてる?」
一般公開は午前中で終わらせて、帰れる職員は帰らせているが、それでも20人くらいは残っているはずだ。
「カフェテリアに集まってます」
一般公開している地上部は一部カフェテリアに改装している。カフェテリアは3階分吹き抜けになっていて開放感があるので図書館を利用していない一般人にも人気があるらしい。
「⋯何故。寒いだろあんな吹き抜け。密室でペンギンのように密集していればいいものを」
「嫌ですよ気持ち悪い」
「だよなぁ」
俺なら凍死寸前までは参加しない。
「副館長の指揮でテーブル等を撤去して、中央で焚き火を」
「焚き火?室内で?」
「非常事態ですから。吹き抜けのカフェテリアなら防災上のリスクは低めかと。勿論消火器は複数配置してます」
「ふぅん⋯」
少しだけ惹かれるものを感じたが、上に行くのが面倒くさい。停電中ということは確実に地上までの10階分を階段で登ることになる。ちょい低めの登山くらいの労力だ。
「館長、上に来ませんか?」
「地下はな、地上ほど外気に左右されないんだ」
「⋯はぁ」
「地面に潜って越冬する生き物もいるだろう」
「⋯まぁ」
「だから理論上は厳寒期でも地下深くであれば冬を乗り越えられるはずだ」
「ここが吹き抜けじゃなければ。もう吐息真っ白、脚ガッタガタじゃないですか」
「ぐぬぬ」
冷たい空気は下に溜まるともいうしな。我ながら何のためにこの吹き抜けに留まっているのか分からなくなってきた。
「20人で焚き火を囲むのか⋯嫌だな」
「まぁまぁ⋯副館長がマシュマロとか焼いてくれるかもしれませんよ」
「そういうのが嫌なんだよ⋯」
彼のイベント大好きな気質が苦手なのだ。⋯だが確かに寒さは限界に達していた。このままでは低体温症で死にかねない。エレベーターが使えないのに、俺の為に地下十階まで降りてきてくれたカラシの為でもある。俺は意を決して立ち上がった。
「⋯ま、仕方ないか。行くわ」
カラシの目が見開かれ、やがて微笑んだ。⋯フードを更に目深にかぶり、カンテラを掲げて足早に歩き始めた。
地上まであと少し⋯白い息を断続的に吐きながら黙々と上り続けているうちに何やら⋯音楽が聞こえてきた⋯?
「あぁ~あああぁ~」
じゃんじゃんじゃん
「も~えろよもえろ~よ~」
じゃかじゃかじゃか
「ほのおよも~え~ろ~」
「⋯⋯⋯騙しやがったなぁあああ!!!」
「かっ館長!?」
爆速で踵を返して階段を駆け下りた。無我夢中で駆け下りた。息が上がっていたがもうどうでもいい。
「騙したってなんのっ⋯⋯話ですかっ⋯⋯」
カラシが息を切らせて付いてきている。暗闇で階段を走らせるのも⋯心配だし⋯大人気ないことをしている自覚がじわじわ立ち昇ってきて、思わず足を止めた。背中でカラシがバウンドして『ぐふっ』と呻いて止まる。
「何がイヤだったんですか今度は⋯!」
「⋯⋯焚き火っていうかお前⋯あれキャンプファイヤーじゃないか!」
「え⋯⋯?」
「ギター掻き鳴らしながら焚き火囲んで肩組んで歌ってただろうが⋯そのうちアイツら踊り出すからな」
「踊ります⋯かね?」
踏み込んだ足が『タン』と床を叩く。最奥に戻ったようだ。カンテラを掲げて席をさがすと、腹立ち紛れにドカッと座った。
「ああ踊るね!焚き火囲んで輪になってマイムマイムを舞い踊るんだよ山田のギターに合わせて!!」
「副館長ギター弾けましたね、そういえば」
「焚き火に浮かれた連中が笑いさんざめき、肩を叩きあって未来とか語り、即席カップルがキスを交わす⋯」
「男性職員しか居ませんって」
「じゃあ焚き火囲んで猥談だ!!」
「いいじゃないですか参加しなければ⋯嫌ですか?」
「嫌いなんだよそういう明るい突発イベントで周りが盛り上がってうるさいのが」
「面倒な人だな⋯そこはもう折り合いましょうよ。寒さ限界でしょう」
「さっき走ったから暑い」
言ったそばから、早くも走った熱が冷めていくのを感じた。それどころか服の中で汗が冷えてむしろ寒い。⋯不用意な事をした。恐らく俺を追って走ったカラシも同じ状況だろう。焚き火が必要だ。
「⋯⋯ここも、吹き抜けだな」
「⋯⋯焚き火、やるんですか?」
呆然と立ち尽くすカラシを置いて、資材置き場になっている空き部屋に向かった。霜が降りそうな極寒の個室に、腐食して廃材となった机が乱雑に積み上げられている。電動ノコギリでバラしてエレベーターで地上階に運ぼうと思っていたのが、ずっと後回しになっていたのだ。有難い。俺はノコギリのスイッチを入れると、机の足に回転する刃をかけた。
「先人達は『木材で火を起こす』という行為に特別な思い入れがあったらしい」
何か言いたげに横に佇むカラシに、先程棚から抜いてきた『焚き火大全』という、オレンジ色の本を見せた。
「焚き火に関する様々な知識を網羅している。オーソドックスな焚き火の手法や技術、用途も」
「へぇ⋯木材を燃やして暖を取るだけの作業で、こんなに語ることがあるんですね」
「焚き火の組み方や形状だけでも様々だ。⋯今回は地べたで燃やすわけにはいかないから、籠型かスウェーデン型のどちらかだな」
『焚き火の形状』の項目で紹介されていた6つの形状の中で5番目の籠型、6番目のスウェーデン型を指さす。籠型は金属のバケツを椅子にでも乗せてバケツの中の薪を燃やす。6番目は太く短い丸太を立てて、底に空気穴を開け、燃えやすいようにチェーンソーで切り込みを入れて薪を乗せて火をつけるやり方らしいが⋯。
「⋯スウェーデン型面倒くせぇな」
「ですね」
資材置き場から持ってきたブリキのバケツに薪を入れ、丸椅子をひっくり返して嵌め込んだ。幸い、バケツはいい感じに嵌り込んでくれた。はかったような安定感だ。
「焚き付けは⋯紙なら沢山ある」
「館長、まさか!」
「いや古書は使わねぇよ!」
ミスプリントの紙やシュレッダーにかける予定で貯めてあった書類を細かく割いて薪の下に入れ込んだ。
「さて⋯ライターがない」
「館長、これやるんですか」
『マッチやライターを使わない発火』という項目の『キリモミ式発火』とかいうとんでもない発火具を指さしながらカラシが俺をみあげてきた。
「⋯出来るかそんなもん。部屋からなんか持ってくるわ」
「館長が私物化している館長室ですか」
「悪かったな」
部屋から持ち出したライターで焚き付けの紙に火をつけ、薪の下に戻すと火はゆっくりと薪を炙り⋯やがて火がついた。ぱち、ぱち⋯と薪がはぜる音がし始めた頃には、二人ともフードを下げていた。
「暖かいですね⋯」
カラシの顔が僅かに綻んだ。焚き火の明るさは人工のカンテラより強く、周囲の闇を祓い、柔らかく照らしあげた。⋯なんだ、この安心感は。心がほぐれていく。
「なんか、いいな。焚き火⋯」
「⋯⋯ですね」
悴んだ体がほぐれていく。寒さのせいか、隣にパイプ椅子を持ってきて寄り添うように座るカラシの体温も、温かい。俺も寒さのせいにして、少しだけ身を寄せてみた。⋯薪が焦げる匂いに柑橘系の香りが混ざった。顔がほてるのは焚き火のせいにする。
「なんか、不思議と見飽きないですね⋯ほっとします」
「不可視の暗闇や猛獣の脅威を炎で退けたことで、人類の生存率は爆増しただろう。だから『ほっとする』ってのは本能的に、炎に安心感をおぼえているのかも知れないな」
「はは⋯理屈好きですね」
⋯ちろちろと炎が形を変えて、時に薪が爆ぜて火の粉が散って、なんだろう、ずっと見ていられる。⋯安らぐ。この感情に名前をつけるとしたら、なんだろうか。そんな事を考えながら、暫くの間炎を見つめ続けていた。
その後バケツ持って現れた山田に
「さすがに、書庫は、火気、厳禁⋯!!」
と怒りを孕んだ口調で諭され、焚き火に水をぶっかけられて地上まで連行され、キャンプファイヤーの輪に無理やり入れられてギター掻き鳴らして歌いまくる山田の隣で体育座りで膝の間に頭落としてしょげる拷問のような時間が永遠に感じられた。これでカラシが居なければ猥談大会に突入していたことだろう。
焚き火は、いいものだ。だがキャンプファイヤーは無理だ。
本日の調査活動を、終了する。




