滅亡図書館 分類ファイル:図鑑
「今日は大漁だ⋯!」
今日もまた『図鑑』を眺めながら一人呟く。
水底のように青く濁った吹き抜けの底で、図鑑を埋める見たこともない植物、動物の写真を眺め、一人ほくそ笑む。
図鑑の翻訳は嫌いじゃない。理路整然として、論理的。無駄を省いたシンプルにして丁寧な説明。とても翻訳しやすい。それより何より、俺のテンションを上げるのはこの大量の『見たこともない』植物や動物の写真だ。
「見たことはあるでしょう?」
図鑑を横から覗き込んでいたカラシが首を傾げる。今日も黒髪が綺麗だ。
「見たことはあるって⋯それ本気で言ってるのか?」
図鑑の植物は美しい。そういう個体を必死で選んで撮影したのか、左右対称の完璧に美しい花を咲かせる。例えばマーガレット。中央に完璧に円形の黄色い花芯があり、その周りを白い花弁が整然と囲んでいる。俺が見たことがある本物のマーガレットといえば、円形どころか隣接する花々の花芯が融合しまくって黄色いモールのようになり、その周辺を不揃いな花弁がやけくそ気味に囲んでいる、黄色い大蛇のような植物だ。先人が生きていた頃の花は丸かったようだが、何らかの原因でこの星の全ての生物は滅亡、もしくは著しい変化を遂げたのだ。
「あんなのはマーガレットじゃない。この図鑑が発行された頃の植物も動物も、もう戻ってこない」
「でも私、見たことありますよ。丸いマーガレット」
「まじか」
カラシはふふ、と笑って胸を反らした。⋯とてもいい。
「館長は外歩きをしないでしょう。丸いマーガレットはね、水辺に多いんですよ。他にも見つかりますよ、丸い花」
「うぅむ⋯とても見たい。見たいがめんどいな、外いくのが」
「⋯本当に駄目人間ですな」
部下にまた駄目人間呼ばわりされた。
「私、思うんですよ」
図鑑の手前にコーヒーカップが置かれ、熱いコーヒーが注がれた。地下10階まで降りるうちにコーヒーが冷めてしまう季節になったから、だろう。彼女はポットを持ったまま斜め後ろに下がり、自分のカップを置いた本の上にコーヒーを注ぐ。⋯シュールな絵面だ。
「⋯水辺の花って、先人滅亡後の爆発的な進化の元になった『何か』を、水が洗い流しているんじゃないかと」
「そんなもん、かね」
カラシは天窓を見上げ、目を細めて笑った。天窓の蒼い光がその喉元まで染め上げる。
「世界は『戻って』いくんですよ、きっと」
「⋯俺、生きてねぇわ」
私もです、と言いたげに頷くと、カラシはコーヒーを一口すすった。⋯俺はこの距離感が好きだ。
「戻っていくなら、こいつらも戻っていくのかな」
机の隅に積み上げていた図鑑の一つを開く。
「こいつら、見てみたいんだよなぁ」
『こびとづかん』と題された小さめの図鑑を見せてやる。カラシは、ぐっと目を見開いている。こういう専門性の高い図鑑は初めてなのだろう、無理もない。
「擬態の仕方や捕獲、飼育方法まで詳細に記されている。今な、一応バイブスマダラの捕獲を試しているんだ。口笛を吹いてな、手拍子をしてこう」
ウン パパ ウン パン ウン パパ ウン パン
「⋯⋯⋯部屋で、一人で?」
カラシのカップを持つ手がカタカタ震えている。心なしか、目が泳いでいるような。
「人が多いと逃げちまうからな。⋯今頃図書館周辺に現れたかもよ。見かけたら知らせろよ?」
「⋯⋯⋯はい」
「植物もある。これ、凄いぞ」
『平行植物 レオ・レオーニ』と題された冊子を取り出した。図鑑とは違い、平行植物発見の歴史などが記されているらしいのだが、まだ半分も翻訳出来ていない。この植物は写真に映らないケースが多く、鉛筆によるスケッチが多い。人の精神を蝕むような独特な作用を及ぼすので、恐れられながらも愛好者たちの心を掴んで離さない。
「俺はこの⋯森の角砂糖ハサミに興味があるんだ。日本の研究者が論文を出していると書いてあった。東京大学の内垣捨吉という学者らしいんだが、まだ見つけられん。見つけたら翻訳して見せてやろう」
「⋯⋯⋯あざす」
カラシは相変わらず、目が泳いでいる。カップをカタカタ震わせながら、何かを静かに噛み殺している。
「あとな⋯これは既に先人の頃から滅亡していた生き物らしいんだが」
これは新書だ、図鑑ではないが、イラストは豊富に掲載されている。きっとカラシも興味を持つはずだ。机の上にその本を置くと、カラシの目付きが⋯更に泳いだ。どうしたというんだ今日は。
「『鼻行類』という、とある島で発見された哺乳類の一種だ。この本が発表された当時は写真が一般的ではなかったんだろうな、イラストメインだ」
「⋯⋯そりゃそうでしょう」
「ビキニ諸島での水爆実験に巻き込まれ、絶滅した」
ぱらぱらとページをめくると、丁寧にスケッチされた鼻行類。鼻を地面につけて歩行する様がもう⋯あぁ、実物を見てみたかった。
「固有種だったんだよなぁ⋯惜しい生き物だ!」
悔しくて思わず大声が出る。そのせいかカラシの手がさらに震えてコーヒーが飛び散った。
「お、悪い」
「⋯⋯いえ、お構いなく」
怯えさせてしまっただろうか⋯咄嗟にちり紙を探したが、先にポケットティッシュで拭われてしまった。⋯カラシはあまり図鑑や古生物に興味がないのかもしれない。これ以上俺の一人語りに付き合わせるのも悪いし、なにより俺にはまだ仕事が山のように残っている。俺は端末に向き直り、図鑑の翻訳作業にとりかかった。
「⋯館長は、あれですね⋯」
暫く押し黙って何かを考え込んでいたカラシが、背後で独り言のように呟いた。俺は翻訳の手を止めることなく何となく、BGM感覚でその声を聞いていた。
「凄い人だと⋯思うんですよ。10ヶ国語以上網羅して、誰よりも早く効率的に翻訳作業を進められて、管理業務もこなして。曲者揃いの『地下』をここまでまとめられるの、館長くらいだと⋯思うんですよ」
褒められた。⋯だが聞きなれた褒め言葉だ。
「その反面⋯⋯⋯うう、なんというか」
あ、少し忙しい。耳に入ってくる言葉が上滑りし始めた。
「⋯⋯⋯妙にピュアっピュアな所があるんですよね」
まずいな、今日は残業か⋯ピュアっピュアとは⋯いや、集中しろ。
「⋯⋯いっそ、そのままでいても⋯⋯」
残りのコーヒーを飲み干して机に置くと、すっと白い指がカップを下げた。
「あ、ありがと」
しまった、仕事に集中して放置してしまった。⋯何か言われていたような。
「そろそろ戻ります」
「お、おう」
何か言いたげに、俺の方を2、3度振り返り、カラシは本の山を跨いで立ち去った。⋯今日のカラシはずっと、奥歯に何か挟まったような物言いをしていたな、と、ふと考えたがすぐに作業に戻った。
その数日後。
翻訳し終えたこびとづかんを携えて昼飯中の山田に見せに行ったらガチの噴飯を浴びることになった。
「いやいやいや先輩っ⋯先輩!!ブフォッ!!」
コメを鼻の穴から大量に噴きながらのたうち回る山田を置き去りにして俺は逃げた。
地下の最奥、俺の居場所まで逃げ込んだ。頭がグシャグシャになるまで掻き回した。⋯近くにカラシが来ていることすら気が付かずに呻き続けていた。
「すみません⋯言うかどうか迷ったけど⋯勝てませんでした」
うるせぇな何にだ!!
「もういっそのこと、このままでいてほしいという欲に」
淡々と相変わらずよく読めない表情でとんでもねぇ事を言い放つカラシにバーカバーカ大嫌いだもう知らんボケが俺帰る!ついてくるな!!とブチ切れまくり、逃げ込んだ地下の館長室でさめざめ泣いている俺だ。
追記:こびとづかんは、謎にバズった。
本日の調査活動を、終了する。




