滅亡図書館 分類ファイル:少年漫画
「先輩、クロエ先輩」
頭上2階辺りから、山田の野太い声が聞こえてきた。
地下10階を貫く吹き抜けを、山田が階段で降りてくる。カラシといい山田といい、何故わざわざ階段を使うのだ。10階だぞ。頭おかしいのか。
「館長と呼べよ。何のために必死に出世したと思っているんだ」
下から睨みつけたが、 山田は莞爾と笑うのみ。余裕の貫禄だあのデブは。
「まだ気にしてるんですか、はっはっは」
「笑うな」
「似合ってますよ、女性名称!」
自分で付けた通称が女性名称だったという、若き日の黒歴史。
俺が図書館勤務を始めた頃に発掘された『キン肉マン二世』という太古のヒット漫画の登場人物だった。漆黒の脳細胞などと格好良い二つ名があり、頭脳明晰にして冷静沈着なセコンドという設定が気に入って俺の通称に選んだ。
それが女の名前だと知ったのは、当時の先輩の指摘だった。俺はウォーズマンを生涯恨む。
「お前だけだぞ、俺を未だに先輩呼びしてんのは」
「大学時代も先輩なのが悪いんですよ」
ニヤニヤしながら巨体を揺らして降りてくる。その巨体を携えてよくも10階分も降りてきたものだ。マゾなのか。
「笑ってるけどこんなの運次第だからな。そのうち最低最悪な『山田』出てくればいい」
俺達は、社会に出るまで名前を持たない。
社会に出て自分で通称を選ぶまで、出生時に付与された番号で呼ばれるのだ。この制度は遙か昔、子供の生存率が異様に低かった事に由来している。
かつて我々の祖先が母星にいた頃⋯人口に対して母星の居住区が狭かった。資源も限られていたのだ。当然の展開だが、地域同士の争いは絶えず、産まれてくる子供たちは互いに競わせ、敗北した個体は淘汰された。母星はやがて資源を使い尽くし、居住すら不可能になり、やむを得ず搭乗した移民船でも淘汰は当然のように⋯いや、更にシビアに継続された。淘汰する子供に名前は要らないから、最初は番号をつけ、生き残った個体のみ名前を得ることが出来たのだ。
その頃の名残で、俺達は就業するまで名前が無い。だから就業してから自分で名乗る通称で、生涯呼ばれ続けることになるのだ。それが嫌なら出世して役職を得るしかない。⋯しかし過去の関係性で呼び方が定着してしまっている、大学時代の後輩などには効果がない。
「で、なんの用だ山田」
「ドラゴンボールの新刊、翻訳出来たんですよね。借りに来ましたよ」
発売前の新刊を、臆面もなく借りに来る。大学時代から変わらぬ面の厚さよ。
「ネタバレしてやる。フリーザがこの後な、卑怯にも」
「わー、わー、はい聞こえない聞こえない」
どうせ俺がネタバレなどしないであろう事を見越して、悠々と階段を降りてくる。こういう所も山田なのだ。
こいつは昔から生粋の少年漫画好きで、『山田』という通称も『ドカベン』という野球漫画の主人公『山田太郎』と自分が似ている、という理由で決めたのだ。⋯しかしデカい顔の中心に目鼻が密集している様子はドカベンというよりむしろ地獄のミサワに似ている。ミサワにしておけと何度か言ったが、ミサワのような訳知り顔の上目遣いを返されるだけだった。
「私が読みたいのも勿論あるけども、今やドラゴンボールは『上』のドル箱ですよ。待ってたんです」
この図書館は地上部も広大だ。地下の蔵書には及ばないが、他の図書館とは比べ物にならない。その地上部の一部に翻訳済みの書籍を陳列して一般公開しているのだ。人気の書籍は販売もしている。
その地上部の責任者が俺の後輩にして副館長、山田である。
ちなみに山田は先人の文字は習得していない。一般公開されている『中央図書館』の管理が専らの仕事なので習得の必要はないのだ。同じ図書館だが、俺と山田の仕事はそもそも性質が違う。俺は『探求』山田は『経営』。お互いに必要な仕事。車の両輪だ。
「⋯流行るなぁ、こんなの」
「そりゃ流行りますよ。主人公が滅びた星の生き残りで、最強の戦闘民族って所にシンパシーを感じる読者が多いんです」
少ないパイを奪い合う為にやむを得ず闘争していた⋯という時点で、傭兵稼業のサイヤ人とは様子が違うんだが、山田が気に入ってそう解釈しているのでそこは放っておく。
「星が滅びたのも戦闘力が高かったのも、ずっと昔の話だろうに」
「種族の誇りってやつですよ」
鼻息荒く、山田が胸を張る。⋯黒いエプロンの腹がパンパンに張っている。また少し太った。
「クロエ先輩はないんですか?そういう、種族の誇りみたいな感覚」
「ねぇよ」
誇るものなんか何もない。そんなのこの俺の細い体を見ればわかるだろう。世が世なら俺は淘汰される側だ。山田は何かを察したように軽く咳払いをして、ミサワ顔で薄く笑った。
「⋯勿論、私は淘汰のない今の世界が好きですよ。多様性に富んでいて」
「どうだか」
「腕力ヨワヨワで無駄に博識なクロエ先輩みたいな人、きっと会えなかった」
「うるせぇよもう帰れ!」
帰れと言っているのに、山田は義務かのように『上』の売れ線書籍やら売り場のレイアウト変更について話し続けた。が、やがてふいと天窓へ続く階段を見上げ、意味ありげに眉を曲げた。
「おっと、そろそろ帰らないと、クロエ先輩に恨まれてしまう」
そう言って奴はニヤリと笑ってドラゴンボールの新刊を掴みあげると、デブなりに軽い足取りでエレベーターホールへ消えた。
ふと天窓を見上げると、コーヒーカップをトレーに乗せて階段を降りてくるカラシと目が合った。挨拶にもなっていない程度に首をかしげると、漆黒の髪がさらりと肩を撫でた。
「⋯君は淘汰なんかされなかっただろうな」
いつも通りトレーを本の山に積み上げ、カラシがコーヒーを啜った。⋯何処からか、パイプ椅子を持ち込んでいる。昨日まで何となく使っていた背もたれがない椅子は、隅に追いやられていた。
「何の話です?」
「有史以前の話さ」
この星に入植する以前の歴史を通常『有史以前』と呼ぶ。
「⋯⋯館長だって」
「気ぃ使うなよぉ⋯余計に傷つくよぅ⋯」
本気で凹んでぎゅっと目を閉じて頭を机に落とす。分かってるよ。どうせ生き残るのは山田みたいなガタイがよくて格闘技に精通している益荒男だろうが。俺なんか秒殺だ。
「淘汰って⋯同い年の子供をリングに上げてバトルロイヤルさせるわけじゃないでしょうに」
「そりゃそうだけどさぁ⋯結局最後はフィジカルなんだよなぁ⋯」
「まーた副館長にイジられたんですね」
呆れているのが声色で分かる。当たり前だ。5歳も年上のおっさんが後輩にイジられて地の底まで凹んで部下に愚痴っているのだ。カッコ悪いことこの上ない。俺なんか淘汰されてしかるべきだ。
「生き残りますよ、館長は」
妙に確信めいた声がした。俺は机につっぷしたまま、黙って続きを待つ。
「生き残るのって結局、腕っ節じゃないです。⋯力に奢って突っ走る人は、それはそれで死ぬでしょう」
「そりゃそういう馬鹿もいるけども⋯基本スペックの差は埋まらないんだわ⋯」
ああ情けない。情けないのに止まらない愚痴。
「不利でしょうね。でも」
館長の遺伝子、ちゃっかり残ってんじゃないですか。とカラシは少し笑った。
「ハンデを背負って尚、狡猾に、強かに立ち回ったんですよ。館長の御先祖は」
「⋯⋯褒めてねぇな」
頭を上げて振り返ると、相変わらず表情が読めないカラシと目が合った。つい、秒で目を逸らした。⋯あぁ、睫毛長かった。透き通った虹彩が湖の浅瀬みたいでビビった。まつ毛の影が落ちる頬まで美しい。どうしたらそんな透明感を醸し出せるんだ。若さか。
「恵まれない手札で無双するの、かっこよくないすか」
くくっ⋯と含み笑いするのを見て、耳が熱くなったが咄嗟に手で覆って苦悶する振りをした。⋯落ち着け俺、かっこいいと言われたのは俺じゃない。俺の先祖だ。
「あ、弱虫ペダルの新刊はまだですか?」
弱い奴が無双する展開がカラシの嗜好に合うらしい。
俺も小野田坂道になれるのだろうか⋯などと都合のいい事を考えるのはやめておこう。
本日の調査活動を終了する。




