滅亡図書館 分類ファイル:絵本 No.2
「⋯⋯解せない」
青い天窓を見上げる、地下最奥の机に積み上げた薄い本を一冊開き、カラシが唸った。
「そんなに難解なのか、その絵本は」
『しろくまちゃんのほっとけーき』と題されたオレンジ色の薄い冊子には、目つきのやばい白熊が円盤状の茶色い何かを積み上げている。しろくまが丸く加工された人肉を食う話かと思っていたが、そうではないらしい。
「子供の白熊が、普通にホットケーキを作る話でした」
熊による襲撃、殺害が後を絶たない昨今、俺たちにとって捕食者でしかない猛獣が可愛こぶってホットケーキ作っても恐怖しかない。先人達はこれをどんな感情で子供に読んで聞かせていたのか。
「熊をモチーフにした絵本、多過ぎません?」
カラシは積み上げた本の背表紙をまじまじと見つめる。『くまのがっこう』『パンやのくまさん』『いやいやえん』『くまのプーさん』⋯よく集めてきたな。こんな本。熊の絵本は、確か⋯。
「熊の絵本は読み聞かせには使えないんです」
「そりゃ⋯そうだろうな。『熊』という言葉を聞くだけで、子供たちは竦みあがる」
以前、うっかり熊の絵本を読んでしまった子供が夜尿症を発症してしまったというクレームを受けた。それ以来熊の絵本は、『こどものこわい本』という小さなコーナーに『学校の怪談』等と一緒にまとめ置かれている。
「先人の時代は、熊は大人しく無害なものだったのかな⋯と思ったけど、そうじゃないですよね」
「⋯⋯ああ。当時から人を襲う獰猛な雑食獣として恐れられてきた」
「雑食獣?」
「あいつら、別に肉食ってわけじゃないぞ」
むしろ基本的には木の実や草を食む生き物で、好んで他の生き物を襲撃してくるわけではない。そういう意味では明確に肉食で群れをなして襲撃してくる狼の方が余程脅威だ。という話をするとカラシは首を傾げた。⋯狼はこの島国には生息していない。ピンと来ないのも当然だろう。
「⋯あれだ。犬。あれなんか近いだろう」
「野生の犬は、まぁ⋯脅威ですが、意外と人懐こいから」
⋯⋯野生の犬はご飯やると懐く。
奴らは餌をくれる人間を『獲物』ではなく、『仲間』と見なす。そこが群れで行動しない熊との決定的な違いだ。
「だから犬猫のフレンドリーな絵本が多いのは納得ですが、熊は⋯何故」
絵本の山の上に、更に10冊程の絵本が、ばさりと積み上げられた。見上げると、迷彩柄のシャツを羽織った2メートルを超える巨躯の男が俺たちを見下ろしていた。
「熊の絵本を漁っていたのは、そこのお嬢か?」
「⋯グリム、か」
「校正あがったんで仮製本しました。チェック頼みます」
「仮製本はチェックの後でいいのに」
「絵本は装丁が命ですから」
この厳つい巨漢は『グリム』。絵本、童話担当の職員だ。
「⋯そんなもんか」
「そっちのお嬢は、読み聞かせイベントの時だけ地上に出てくる幻のお嬢だな」
「カラシです」
ぺこり、と頭を下げる。⋯カラシの絵本読み聞かせは図書館の人気イベントの一つだ。主にパパ達に。⋯グリムは、ふっと片頬を上げ⋯微笑んで?何度か頷いた。
「お嬢の読み聞かせは俺の生き甲斐の一つだ」
「⋯⋯ありがとうございます?」
疑問形だ。
「絵本分野に興味があるのか」
―――スカウト、か。
地下の翻訳・調査チームは暗黙の了解で『師弟制度』を取っている。興味のある分野が出来、そこに先輩職員がいる場合、先輩職員が後輩を指導する。翻訳された文書をチェックしたり、質問に答えたり、時にはボリュームの大きい仕事を分担したりと、後輩が一人前に育つまで面倒を見るのだ。専門分野が決まっていないカラシは、様々な分野の先輩どもにロックオンされている。BL騒動の時にカラシをBL沼に引き込もうとしたジュネも然り。
「えっと⋯実は、少し気になってることがあって」
「何でも聞いてくれ」
「熊の絵本が多いのは何でです?」
「カラシっ、ダメだ!!」
グリムの顔色が、ぐわっと赤黒く変わった。
「うわっ戦闘モード⋯」
「奴に熊の話を振るな!!」
念の為カラシを背後に庇い、じりじりと後ろに下がった。
「カラシ君⋯カラシ君カラシ君カラシ君!!」
巨漢が俺の裏側に回り込もうとするのを必死で抑える。
「お前やめろ、初対面の距離感じゃねぇだろ!」
「君は気がついていたんだな、クマ絵本の真の恐ろしさにぃ!!」
「お前が恐ろしいわ!!」
お前がもう熊だ、とは言わないでおいた。
グリムはとある理由で、熊を畏れている。
「君は熊を間近で見たことあるか!?」
「⋯近くで見たら死んでます」
俺をびっちり挟んでクマ論議が始まった。グリムは距離感がバグっている。
「そう、そうだよな⋯だが俺は近くで見た⋯」
「まじすか!?」
まて、やめろカラシ、興味を持つな!!
「俺の隣で、父親が⋯喰われた!!」
最奥の吹き抜けに、沈黙が降りた。⋯赤黒い肌を震わせた巨漢が、ギリギリと唇を噛み締めて俺たちを見下ろしていた。カツ、と背後のカラシが距離を取る音がした。
「⋯逃げろカラシ」
「いや、ここまで来て逃げられませんよ。事情を聞けないなんて生殺しです」
「頭からガリガリとな!!知ってるか、奴らは先に顔面にかぶりつく!!父親の断末魔は奴らの牙に塞がれた、俺が最期に聞いた父の声は、気管から空気が漏れる音だ、声にならなかった殯笛だ!!」
ぱたり、とカラシが座り込む音が聞こえた。
「父親を置いて俺は逃げた。喉から漏れる気管の断末魔がひときわ高まった⋯何と叫んでいたのやら!!」
カラシがガクガク震え始めた。⋯何でこいつ絵本の翻訳なんてやっているんだ。暴力系の語彙が豊富過ぎるだろう。
「父親がどうなったか⋯カラシ君、セーフティ教室『おともだちがクマにつかまったら?』では、何と教わった?」
「き、君だけでも逃げて、大人に知らせよう⋯食べられているお友達は、もうダメだよ、絶対取り返しちゃダメ、と」
「俺の父親は、骨の一欠片まで残らず熊が平らげたよ⋯?」
微笑むな!!怖い!!
「おっと、どうしたんだいそんな顔をして。同情かい?⋯大丈夫だよ、奴は俺達を虐待していたクズ野郎だ⋯俺たちはな、変態性欲者の慰みものとして高額で売られる道中だったんだよ⋯」
ニヤリ、とグリムが笑った。⋯グリムの狂気にエンジンが掛かった。
「あの熊は俺たち兄弟を顧みる事なく、父親を喰らい続けた⋯気づいたんだよあの時!!あれはただの獣ではない。山の意思⋯俺たちを哀れんだ山の意思だったのさ!!」
目がイカれ始めた。こうなったらもう、話が長い。
「俺が国の保護のもと大学へ進学出来たのも!弟が軍隊に所属して一級戦士として名を轟かせているのも!!あの日の熊があってこそだ!!あぁ、恐ろしい⋯今でも身震いが出るが俺はあの熊を崇拝している⋯!!」
「や、もうすみません、悪かったですから⋯」
「悪くない!!よくぞ⋯よくぞ熊の絵本に興味を持ってくれた!!」
ガッシィ、とグリムに両肩を掴まれて、カラシが声にならない悲鳴をあげた。
「熊はな⋯人と馴れ合うフレンドリーな生き物ではない!!敬いつつ、畏れるものだ!!そう、神だ!!」
狂信者の光を瞳に宿して、むわりと熱い湯気を放散しながら、カラシの肩を更に強く握りしめる。
「先人が熊の絵本を量産した理由⋯それは『崇拝』だと俺は思っている。強く賢く猛き熊への憧れが彼らを創作に掻き立てたのだよ、カラシ嬢!!」
ふぅ、と息をつくと、グリムはゆらりと立ち上がった。
「とはいえ、小さな子供たちが絵本を鵜呑みにして熊に親近感を覚え、接近するような事はあってはならない」
そう言ってグリムは熊の絵本を一冊、本の山から抜き出した。そして最後のページ開き、カラシに向けた。
「だから、カラシ嬢。覚えておくといい。熊の本を出版する際は、この注意書きが不可欠だ⋯!!」
※お母様へ:熊はお友達ではありません。獰猛で狡猾、残忍な魔獣です。見かけても決して近寄らせてはいけません。この絵本を読んだあとは、熊の恐ろしさを、実例を交えてじっくりと教えてあげてください。貴方と、貴方の愛する子供たちを彼らの供物としないために⋯!!
「―――いや怖ぇよ!!それだよ例の夜尿症事件の原因は!!」
おかしいと思ったわ。いかに熊が獰猛だとはいえ、熊のプーさんやらシロクマがホットケーキ作る話で子供がトラウマを負うかなぁ⋯と。俺はカラシが積み上げた熊絵本の最終ページを片っ端からチェックした。
※お母様へ:熊が食べるのはホットケーキではなく、人肉です。子供たちの柔らかい肉は熊の嗜好に合うでしょう。どうか、決して熊を子供たちに近寄らせないで下さい。この話を読んだあとは、熊の恐ろしい食性について、じっくりと話し合いましょう。ホットケーキは人肉ハンバーグの比喩表現と心得てください。
※お母様へ:パディントンはブラウン一家の喉笛を、虎視眈々と狙っています。彼が長じて一人前のメガネグマに成長した時こそ、ブラウン家滅亡の時です。この物語はブラウン家が惨殺の舞台になるまでの物語だよ、と、大事な子供たちには伝えて下さい。決して、熊と馴れ合ってはいけません。
※お母様へ:パンやのくまさんは、閉店後の店内で人肉を貪り食っております。それらはいずれも閉店直前、一人で来店
してしまった哀れな犠牲者です。熊が経営するパン屋は、サイコパスが経営する肉屋と同様である、と、大切な子供たちにお伝えください。
「サイコパスはお前だあああ!!」
つい『パンやのくまさん』を叩きつけて怒鳴ってしまった。
「大事な書籍になんという狼藉を!!」
「やかましい!『お母様へ』チェックしてなかった俺も俺だがほんとお前!!なに無駄にバリエーションに富んだ脅迫文つけてんだよ!!真に受けたお母様がきっちり子供にトラウマ植え付けてんじゃねぇか!!」
グリムから匂い立つような陽炎が立ち昇った。ゆらり、ゆらりと背景が歪む。⋯うわ、狂信者の布教魂に火がついた。
「トラウマ、結構!!一生消えない爪痕よりも、子供を奪われたお母様の嘆きよりも、トラウマの方が軽微な傷でしょうが!そうじゃないですか、えぇ!?総員、熊を畏れよ!!熊を崇めよ!!熊」
熊、と叫んだ直後、彼の巨体がざむ、と膝をつき崩れ落ちた。え、えぇ!?と叫んで駆け寄ると、グリムの背後に手刀を構えた山田が立ちはだかっていた。
「吹き抜けが騒がしいと思ったら⋯」
「た、助かった」
冗談抜きに涙が出そうになった。山田はグリムの巨体をひょいと抱えあげると、いつもの困ったような八の字眉を少しだけ動かして笑った。
「⋯熊が絡まなければ、悪い人じゃないんですけどね。カラシ、今後彼の前で熊の話をしないように」
カラシはガクガクと頷いた。山田は笑顔で頷き返すと、グリムを抱えたままノシノシと帰って行った。
「⋯お騒がせしました。私、軽率でした」
「⋯⋯いや、あれはもう天災だよ」
床に散らばった絵本を二人で掻き集め、元通り積み上げた。熊の絵本をまじまじと見つめて、カラシはまた首を傾げた。さらりと髪が白い頬にかかった。目が少し潤んでいる。⋯怖かったよな。
「私はまだ、熊の怖さを理解出来ていなかった⋯」
「あの人は別格だから」
幼い頃、彼ら兄弟を虐待した父親を目の前で喰い殺されたグリムは、心がバグって歪んだ信仰心で熊を崇拝してしまっている。無理もないが、一回火がついてしまうと収拾がつかなくなるのだ。地下の職員は師弟にでもならない限り、好んで関わり合わないので、あえてカラシに教えた事はなかった。
「絵本の分野を選ぶなら、グリムに師事する事になるが⋯絶対に熊の話はするな」
「私、絵本には行きませんよ」
そう言ってカラシがくるりと振り向いた。
「師事する人は決めています」
「そ、そうか⋯」
カラシもとうとう、専門分野を決めるのか。ならばここに来る回数も減るだろう。⋯来なくなるかも。寂しくなる。一瞬、気が遠くなりそうだったが、ぐっと堪えて無理やり笑顔を浮かべた。
「誰にするんだ。聞いてもいいか?」
「館長です」
―――ん??
「⋯⋯⋯⋯俺は専門分野は無いぞ?」
「無いですね」
なんだこの状況は。何を考えているんだ。カラシの表情が読めない。
「ちょっと待て、意味が分からん。何で俺なんだ」
「もう上に話は通ってます」
カラシはもう熊絵本を台車に載せて、ロックをはずしていた。
「上ってなんだ、俺は何も聞いてない!」
「詳しくは副館長に聞いて下さい」
「そんな⋯大事なことを何故俺抜きで!?」
「私は、次期館長候補に抜擢されました」
台車を押して去っていくカラシの後ろ姿を、穴が空く程見つめていた。口が開いていたかもしれない。頭がぐるぐる回る。⋯⋯今、何と言った⋯⋯?
次期⋯⋯?
膝をついて崩れ落ちる体を止める事が出来なかった。
本日の調査業務を、終了する。




