滅亡図書館 分類ファイル:水生生物
有給を取った火曜日の午前10時。
青い文字で『池袋 東口』と書かれた所謂駅前で、カラシを待ちながら俺は途方に暮れていた。
数日前の『クランド襲撃事件』直後、カラシに酷く冷淡に詰問されて苦し紛れに『水族館に行こう』と口走った結果、本当に水族館に行くことになった。二人で。
あれ以来、カラシは普通に館長席に来るし、特に変わった様子もない。ただ、一度だけだが⋯クランドがまた技を掛けに来たとき、俄にあの時の笑顔が顔に張り付いたくらいだ。
「あとで、道場に寄ると言ったじゃないです?」
「その前に館長で試そうと思ってさぁ」
こいつは俺を何だと思っているのだ。
「クランド先輩⋯無意味に人殺しになりたくないでしょう」
こいつはこいつで俺を何だと思っているのだ。
そんなやり取りをしてクランドは大人しく仕事に戻ったのだが、その後少しだけ、カラシの表情が笑顔『一辺倒』になっていて怖かった。合気道の組手はカラシが付き合ってやっているようだし、暫く俺が実験台にされることはなくなることだろう。
「うぅむ、ホッとしたような残念なような」
つい呟いた瞬間、ぽん、と肩に手を置かれた。
「残念、とは?」
「ひっ」
振り向くと、カラシが笑顔を張り付かせていた。⋯前回の件で学んだ。笑っている時のカラシは怖い。
「⋯お待たせしました」
「いや時間通りだ。それより普通に前から来てくれ」
笑いを少しだけ緩めて、カラシが少し首を傾けた。芥子色のPコートと黒のワンピースの彼女は少々近寄り難い程、綺麗だ。⋯などと言ったら取り返しのつかない事になるのでギリギリの一言を絞り出す。
「そういう服、持ってたんだな」
「一応、図書館では華美な服装は控える規則になってますから」
少し頬を赤らめて、カラシは張り付いた笑いを解いた。
「⋯俺、池袋に来るの初めてだ。まばらだな、人が」
改めて池袋駅前を見渡した。砕けた裸のブロンズ像や、植物に埋もれたビル群、手入れされないまま伸び放題になっている駅前広場の雑草郡。嘗ては人が溢れていたのだろうが、今は⋯水族館しかない。
「水族館に用事がなければ降りない駅ですから」
「そのうち栄えるだろうな、もっと人が増えたらな」
俺達の祖先がこの広大な星に降り立った時の人数が、2~3千人程度。無意味な淘汰を終えて数を増やし、5万人程度に増えた時点で各大陸に散ったと教科書で読んだ。この温帯気候の島国を選んだ祖先はまあまあ多かったようだが、それでも未だにインフラの維持に手一杯の人数しか増えていない。嘗ての首都『東京』であっても、東京駅、新宿駅、霞ヶ関駅辺りの整備がようやく終わりつつある位だ。池袋はまぁ⋯後回しにされている。
ただ、この街の高層ビルには水族館があった。
争いが少なく治安がよかったこの地域の先人は、暇つぶし⋯というか娯楽に貪欲だったらしい。海から遠い高層ビルにも水族館や動物園が存在し、他にも遊園地やテーマパークなど、淘汰塗れの祖先からしたら考えられないような娯楽に溢れていた。
俺達はそんな娯楽施設の一部をそのまま流用して、遠い過去の恩恵に預かっている。
「じゃ、もしかして水族館初めてです?」
カラシの目の端が少し光った。
「初めてだよ。江ノ島のやつも行ったことない」
「へぇ⋯」
「だが大丈夫だ。予習は怠らない」
背中のリュックには水生生物に関する本や図鑑を入れてある。水族館行きが決まってから一心不乱に読み漁った。知識で遅れをとるわけにはいかない。
「予習はいい事です。実物見たら驚きますよ」
カラシが足早に歩き始めた。
俺たちが到着した頃、受付の女が頬杖をついて船を漕いでいた。カラシが「すみません」と声をかけると、びくっと肩が動き「い、いらっしゃいませ」と居住まいを正した。⋯客が少ない、というかほぼ居ない。
「こういう施設は、土日に人が集中するんです。だから今日は狙い目。午前中なんか貸切状態」
「そういうものか。⋯えっと、大人二枚」「一枚で大丈夫です」
カラシが鞄から銀色のカードを取り出した。
「毎度ありがとうございます。⋯コイン5枚お渡しです。追加は館内の自動販売機でどうぞ」
受付の女は事務的に微笑み、俺たちにコインが入った袋を渡すとゲートを開けた。
「⋯君はVIPなのか?」
「これ、年パスです」
少し得意げに銀カードをチラつかせて、鞄にしまった。
「年パス持ってんの!?」
入場料を出そうと思っていたのに、俺を連れてきた意味は何だ。
「⋯館長も恐らく、年パスを買う事になる。それがこの施設の恐ろしさですよ」
くっくっく⋯とカラシが笑った。
「おいおい⋯押し売りでもされるのか?」
「いえ、あくまで個人の自由です⋯見てください、早速水槽がありますね」
目を上げると薄暗い通路の両側は青い壁。水底に似た光景が、延々と続いていた。
「うわぁ⋯⋯」
ガラスの壁の向こう側には水が満たされている。これが、水槽か。昔家にいたメダカの水槽がデカくなったやつがズラリと並んでいる光景をイメージしていた俺は、目を奪われた。
「これは⋯水の底だ」
「岩や珊瑚、海藻を再現して従来の生息場所に似せているんです。凄いですね」
カラシは小さめの水槽に手を触れた。薄らと笑みが零れている⋯気がする。
「⋯チンアナゴだな、これは」
白い砂からひょっこりと細い体を覗かせる魚が多数、水流に煽られて揺らめいている。俺が近づくと、ひゅっと砂に埋もれてしまった。⋯が、少ししておずおずと頭を出す。⋯こういう魚が居ることは予習済だったが⋯。
「なんか⋯可愛いな」
水槽の前面に、コインを入れる穴がある。これも予習済だが、受付で貰ったコインは気に入った魚に寄付する事が出来る。コインを入れると餌代になる。俺は迷わずチンアナゴにコインを入れた。
「大丈夫ですか?そんな最初っからコイン入れて」
カラシがくすくす笑っている。
「何がおかしい」
笑いたければ笑え。俺はこの魚が気に入ったのだ。
「いえ⋯⋯チンアナゴは人気ですから」
そう行ってカラシはコインの横に表示されたパラメーターを指差した。
「ほら、もう充分に寄付を受けている」
車のガソリンメーターのように左側にE、右側にFの表示がある。チンアナゴのメーターはFを振り切っている。
「⋯⋯うん」
「体が小さいから維持費も少ないですし。チンアナゴは常にお腹いっぱいの勝ち組です」
そう言ってカラシは、隣の大きな水槽を指さした。
「こっちの大水槽は混泳だから、他の水槽より維持費が掛かります。でもスター魚類が多いから概ね安泰」
メーターはFまでは行かないが、真ん中よりは右寄りだ。⋯少し、嫌な予感がしてきた。大水槽のハコフグが不器用に泳ぐのを眺めていると、カラシが隣に並んでガラスに顔が付かんばかりに身を乗り出した。
「ハコフグ好きです。可愛いし。あとここの水槽だと、エイとかもいいですね。なんか悲しそうで」
悲しそう?エイの裏側のことか?
「顔じゃないけどな」
「館長が疲れ果てた時の顔に似てます」
そう言ってコインをチャリン、と入れた。
「こんの野郎」
俺も一応コインを入れておいた。大水槽は維持費がかかるのであれば、ここは入れておくべきだろう。
「魚の名前、分かります?」
「⋯あれはトゲチョウチョウウオ、そっちはハタタテダイ、それにサザナミヤッコ⋯大水槽は派手な魚が多いんだな。この辺の海じゃない⋯南国の海を再現してるのか」
「大水槽は安牌ですからね。スター魚類が集められるんです。近海の魚は地味なのが多いからどうしても格落ちします」
「安牌⋯格落ち⋯」
嫌な予感がむくむくと膨らんできた。
「こっちは期間限定の特別展示ですね。まぁ、人気です」
『深海の生き物達』と題された暗所に、赤い光に照らされた生き物が蠢いていた。
「⋯ダイオウグソクムシか」
「深海には赤い光が届かないんで、ほとんどの深海生物は赤い光を感知出来ないんですよ。だから赤が一番ストレスを感じないんです」
「⋯へぇ」
メーターはFに近い。目付きの悪さが逆にウケているのだろう。俺も目つきの悪さにシンパシーを感じないでもないが、コインは入れなかった。
「先人たちの頃の水族館は、こういうクラウドファンディングみたいなシステムは無かったみたいです」
2つ目の大水槽の周りを巡りながら、彼女は呟いた。⋯1つ目に比べると、少し地味な魚が多い。頭を下に向けて泳ぐのはヘコアユ、角のような硬質なヒレを広げるのはミノカサゴ、それにブリやヒラマサ、ホウボウ。砂に埋もれるように動くのはコチ、それにヒラメ。メーターは1つ目の大水槽には劣るものの中央よりは右寄りだ。隣に設置された小さな水槽にはタツノオトシゴ。メーターはFに近い。
「今よりずっと豊富に魚がいて、入場料だけで好きなだけ水生生物を眺める。⋯今はこんな規模の水槽を維持するだけのスタッフが居ないし、当時に比べると利用者が少ない⋯」
夢みたいです、と呟いて、カラシはぼんやりと群泳する鰯の渦を眺めた。
「鰯の群れって横から見るとこんな⋯竜巻みたい、なんだな」
「上からは見たことが?」
「昔、じいさんに釣りに連れて行ってもらった。こいつがいる場所は、大きい魚が釣れるんだ」
「釣り、ですか」
「当時から図書館に篭もりきりだった俺を心配してな」
そういえば、あの頃の俺は。
今よりも、体調が良かったな⋯。
じいさんが亡くなってから、釣りはおろか、外に出る事すらなくなった。
「このエリアに入ると、少しシビアな現実が見えてきますよ」
じいさんの回想はカラシの声で破られた。いつしか電灯が少ない、薄暗いエリアに突入していた。入口付近のガラスは綺麗に磨かれているのに、この辺りは微妙に曇っていて中の様子が見えにくい。
「⋯なんかこの辺、掃除が行き届いてないな」
「この辺の生き物は寄付が少ないんです。人気のない水生生物は奥の水槽に追いやられて更に寄付が減る⋯負のスパイラルというやつですね」
各水槽のメーターを覗くと、どれもEに偏っている。
「⋯⋯⋯おい、カラシ」
割れ知らず、低い声が出た。
「なんですか」
「このメーターがEになると、こいつらはどうなる」
「餓死します」
「がっ⋯⋯」
じっとりと嫌な汗が出た。
「それか、ペンギンのご飯になります」
「ごっ⋯⋯」
「ペンギンはこの水族館のドル箱。云わば万年勝ち組ですから」
「なんだこの格差。これじゃ⋯まるで⋯」
―――淘汰じゃないか。
我知らず、手が震えた。視線は自然と更なる暗がりに吸い寄せられる。
「最奥は⋯最奥はどうなってる」
水族館の突き当たりの小さいホール⋯非常口の緑灯を隠す気もない。二本だけ残された蛍光灯と非常口の僅かな灯りが『それ』を照らしだしていた。
「⋯⋯⋯ミドリガメ」
メーターはEスレスレで踏みとどまっている。己の状況を知ってか知らずか、亀は薄暗がりでのろのろと泳ぎ、俺に気がつくと一瞬止まり、のろりと首を引っ込めた。⋯思わず歯噛みした。
「なんでミドリガメ入れた!?そこら辺の沼地にわっさり居る生き物がチンアナゴとか熱帯魚とかオモシロ深海生物に敵うわけないだろ!?」
いいタイミングで、無造作に置かれた自動餌やり器から緑色のキューブがぽろりと落ちた。亀はのろのろとキューブに近寄り、おぼつかない咀嚼を繰り返していたが、いくらも食べないままにキューブを水中にぼろりと落とした。
「ああぁぁ⋯最後の食事かも知れんのにお前⋯!」
「最後ですね⋯丁度針がEに届きました」
「くっそ⋯!」
迷うことなく、残っていた3枚のコインを全部ミドリガメに放り込んだ。錆び付いたようなメーターが、じり、じり、と右に傾いだが、中央には届かない。
「くっそ、全然足りない⋯!!」
「足りませんね」
カラシが傍らに立ち、コインを一枚だけ入れた。⋯メーターは僅かに動くのみだ。
「⋯自販機が」「分かってる!」
馬鹿馬鹿しいことをしていいるのは分かっている。だがあのミドリガメを見ていると、じいさんに連れられて行った沼地の釣り場を思い出してしまう。幼かった俺とじいさんを岩の上で甲羅干しをしている亀が見つめていた。⋯1000円札をコイン販売機に入れると、10枚のコインがじゃらら⋯と出てきた。
「⋯どれくらい入れたらいいんだ」
「うーん⋯あと5もあれば当分大丈夫ですよ。フルで一ヶ月安泰って言われてます」
コイン五枚を放り込むと、メーターは丁度中央に届いた。⋯小さく息を吐いた。
「くっそ、やられたわ」
ほぼ貸切状態になっている大水槽前に設置されたソファに身を沈め、ぼやいた。
あの後、結局1万円コインにつぎ込み、オオカミウオとアナゴとコウイカに課金した。こういう華のない魚類こそ混泳できればいいんだが、水槽を分けられている理由は言われなくても分かる。他の魚を食うからだ。そしてこういう連中の餌代はくそ高い。
「いうて本当に餓死に至るまで放置されることは殆どないんですけどね。さすがにメーターがカラになってる水槽には誰かしら課金します」
「先に言えよ⋯」
「でも全く無いでもない。偶に餓死に至るまで放置される水槽ありますよ。⋯維持費も人手も足りないのは事実⋯このシステムは責められません。せめて淘汰される子が居ないように、定期的に水族館に来るんです、私」
「⋯⋯⋯ああもう」
背もたれに頭を投げ出してぼやいた。『水族館へ行こう』の一言で全てを許された理由が、今なら理解できる。
俺は水族館の沼に引きずり込まれたのだ。
「我が沼へ、ようこそ」
にこりと笑って、カラシが缶コーヒーを差し出してきた。かしゅ、とプルタブを引き上げてコーヒーを煽る。⋯何故だろう、悪い気がしない。もう一度ソファに頭を付けて水槽を見上げる。青く薄暗い空間を往来する魚影⋯俺たちだけ、水の底にいるようだ。
「なんか、似てるな」
「⋯似てますね」
最奥から見上げる天窓に、何処か似ている気がする。それに⋯カラシが横にいる。
「休日はえらい混雑ですけど」
「そりゃ、図書館と一緒だな」
ついつい笑みが零れた。カラシも笑った。
「にしても大荷物ですね。何冊持ってきたんです?」
「3冊だよ⋯図鑑だからな」
リュックを降ろして魚の図鑑を引っ張り出す。今日見た水生生物を思い出しながらぱらぱらとめくった。
「水生生物は、そんなに変異してないんだな」
陸上の生物は何らかの原因で絶滅、もしくは変異を遂げた。動物も植物も。だが水生生物は多少の差異はあれど、ほとんど変異していないように見える。
「そう⋯ですね」
カラシが図鑑を覗き込んできた。さらり、と黒い髪が俺の肩にかかる。⋯ざわざわする。
「大気中に何かの成分が散布され、それが死因だとする。陸上の生き物はモロに被害を受けた。だが海は広く、深い。川はずっと流れ続ける。成分は希釈されて、水生生物には殆ど影響を与えなかった。⋯そういうことか!」
なんて事だ。何故俺はずっと気が付かなかったんだ。
「ここに来なければ考えもしなかった⋯絶滅の原因を突き止められるかも」
「そうなんです?」
「土の成分だ。地表の土と、地下深くの土を比較すればいい。地下の土には含まれていない成分が見つかるはずだ。場所によって差異はあるだろうから、各地点で比較すれば」
「協力してくれる機関、ありますかね。なんか皆、先人の絶滅原因にそれほど興味なさそうです」
「興味あれば500年前に突き止められてただろうな⋯この説が立証出来れば突然の絶滅に怯えなくていいのに⋯」
「何処も協力してくれなければ、私たちでやります?」
「何年掛かるんだよ⋯」
「いいじゃないですか。何年掛かっても」
そう言って笑うカラシは、不思議と怖くなかった。
「しばらく、ここで本でも読もうか⋯」
「本も良いけど、上の階、凄いですよ。ペンギンが頭の上を泳いでいくんです。」
「何それ凄いな。見るわ。上って何処だ」
「順路に沿って行けば着きますよ」
気もそぞろに『順路』看板を辿る俺の後ろで、カラシがくっくっく⋯と笑う声がした。
「見飽きないなぁ、この人」
⋯⋯小馬鹿にされた。
帰りしなに受付に『ミドリガメくんから、メッセージです』と言われ、カードを渡された。ブレッブレなミドリガメのポラロイド写真にピンクのマジックで『ゴハンありがとう またきてね♪』と書いてある。
「⋯アコギな真似を」
どうせ書いたのはさっき船漕いでた受付の女だろう。
「良かったですね、ミドリガメに太客と見なされましたよ」
「生臭い言い方をするなよ⋯」
カラシの予告通り、俺も年パスを買う羽目になった。




