滅亡図書館 分類ファイル:格闘技
どうにも、眠い。
天窓を透かして見える空は、早春の青。柔らかい青が眠気を誘発するのか、この間の『懐古派襲撃事件』が尾を引いているのか。一瞬意識が遠のきかけ、慌てて首を振るというのをもう何度も繰り返している。
「かーんちょう、眠いんですか!?」
耳を劈くような大声に、びくりと目が覚める。
「あぁ⋯クランドか。助かる。起こしてくれて」
閉架勤務のクランドが、にっと歯を見せて笑った。ツインテールがぺたり、と翻訳中の書籍に落ちる。⋯陽キャは距離が俺の想定より近い。
「いえいえ、なんか最近眠そうですね」
「そう⋯だな、春眠暁を覚えず、ってやつかな」
「春眠なんて季節じゃないっしょ。まだクソ寒ですよ」
今は二月。ただ、それだけ。暦の上では早春にあたるが、春を名乗るのも烏滸がましいほどクソ寒い。先人の時代は二月は春だったのか?
「失言だった。春関係なくクソ眠いんだよ最近」
「寝てないんじゃないですかぁ?」
大きい目を瞬かせて、イタズラっぽく覗き込んできた。⋯あぁ、この表情は『期待している』やつだ。
「だったら眠気覚ましに、ちょっと付き合ってくださいよ!」
ため息が出た。彼女の、こういう所が苦手なのだ。
クランドは格闘技の本を専門に翻訳している。
先人の文化では数多の格闘技が存在し、その中で流派も別れていたらしい。母星では格闘技は淘汰されていき、真に実戦的なものだけが残っていったので種類はそれほど多くない。だが先人たちにとって格闘技はスポーツで、エンタメで、場合によってはダンスの一種だったりもしたらしい。演武といって格闘技の型をダンスのように披露するイベントもあったようで、俺も動画を見たことがあるが中々見応えがあった。エンタメとしては。
彼女はそういったエンタメ的な格闘技をこよなく愛する格闘技マニアだ。クランドという名前は、江戸時代の剣豪でタイ捨流の始祖である丸目蔵人から取っている。
で、困ったことに新しい格闘技に凝りはじめると、弱そうな俺を技の実験台にしに来るのだ。
「⋯ちょっと今そういう気分じゃないんだよ」
「お願いしますよー。私やっぱり、戦闘員登録したいです!」
思わず天を仰いだ。⋯襲撃後、こういう輩が雨後の筍の如く増える。
『戦闘員登録制度』とは、図書館の職員が特殊な訓練を受けて、有事の際に図書館を守る人材として登録を受ける制度である。給料に手当が上乗せされるが、有事の際は第一線で体を張ることになるので必須ではない。山田の地下での戦闘が館内でバズってしまい、自分も戦闘員になりたいという奴がちょいちょい出始めていることは知ってはいたが⋯。
「副館長に相談したら合気道にしておけって言われたんですよぅ」
「合気道⋯」
戦闘員に登録するには、何か格闘技を一つ履修しておく必要がある。山田はマーシャルアーツとかいう、先人の軍隊が採用していた武術を履修していた、確か。そして山田は素質なさそう、というか見込みが薄そうな職員には合気道を勧めている。君は攻撃に向かないから、せめて護身に徹しなさいと言われているような気がする。⋯もちろん俺も合気道組だ。館長は立場上、戦闘員登録が必須なので渋々履修した。
「館長も合気道履修してるんでしょ。組手付き合ってくださいよぅ」
「女子で居ないのか、合気道の子」
「不思議と女子は居ないんですよねー、合気道」
戦闘員登録を目指すような女子は基本的にマッシブなんだよクランド。合気道を勧められている時点で素質は⋯。
「副館長は。俺の時は組手はあいつに頼んだ」
「デカすぎる!まず手首が太くて握れません!」
―――合気道も、ダメじゃね?
「だからお願いします!入り身投げいいっすか!?」
「えぇ⋯」
「嫌なんですかぁ?なら天地投げ」
「ここフローリングだぞ」
何故、上司を硬い床に叩きつけたいのだこの娘は。
「じゃあ道場来てくださいよ」
「嫌だよ仕事中だろうが」
「じゃ投げるのは仕事の後として」
投げるのは決定なのか。
「固め技ならどうですか?二教を復習しておきたいな」
「えぇ⋯」
「床が嫌ならレジャーシート引きます。やりましょうよ」
レジャーシートでも嫌だよ。何故クソ寒い2月に冷えッ冷えの床に上司をねじ伏せたいのか。冗談じゃない。俺はやおら本の山に埋もれていた古い書物を引っ張り出した。
「組手ばかりが武道じゃないだろう。ほら、今日は座学にしよう。丁度あったぞ本が」
経緯は思い出せないが、机に置いてあった『武産合気』という本を押し付けるようにして渡すと、クランドは綿でも噛みしめるような顔で俺を見上げた。
「⋯⋯館長、これ読みました?」
クランドがこんな歯切れの悪い表情をするなんて珍しい。
「いや読んでないが」
「私が翻訳したやつです。ちょっと読んでみましょうか」
「えぇ⋯いや俺は別に」
「いいから」
猛烈にプッシュされた。床に叩きつけられたり、腕を拉がれて組み伏せられるよりは数倍マシなので読んでみる。俺も一応、合気道を履修していたのだから、一応は⋯。
『武においては悉くこの世も天の浮橋であります。浮橋を自分で悟って先頭にたったのが合気道なのです』
『合気道の極意は、己の邪気を払い、己を宇宙の動きと調和させ己を宇宙そのものと一致させることにある』
『合気道を会得した者は、宇宙がその腹中にあり「我は即ち宇宙」なのである』
『合気道とは一霊四魂三元八力であり、〇△□であり、天火水地、奇霊荒霊和霊幸霊である』
⋯⋯⋯。
ふと気がつくと、クランドが「宇宙猫、宇宙猫みたいになっとる!」と大笑いしながら崩れ落ちていた。
「そりゃ⋯宇宙猫にもなるわ⋯もう宇宙過ぎてな⋯」
なんて事だ⋯言語のプロフェッショナルであるこの俺が⋯なんかもう全然分からん。
「クランド、君、これふざけて翻訳したんじゃないよな?」
「ふざけてませんって⋯ほんとうにこうなんですって」
クランドが覗き込んできた。そのまま激しく首を振るもんだからツインテールがビシビシ当たる。割と痛い。
「ちょっと意味分からな過ぎて広辞苑フル活用しましたよ?」
「⋯⋯悪かった。俺としたことが他責に走るとこだった。⋯まあ、道を極めた人は言語を超越した何か別の感覚で生きていたんだろうな」
「座学は難解過ぎて無理でっす。⋯じゃ、やりましょっか」
うずうずしていたのか、クランドは俺の腕を掴むや否や『巻き込み落としィ!!』と叫んだ。抗議の暇もなく、ぐるぐる回されて脇の下に手を入れられてぶん投げられ、冷たい床に叩きつけられた。咄嗟に受け身を取ったが「ぅげほおぅ」みたいな声が肺から飛び出してバウンドした。
「からのォ、腕ひしぎ十字固めェ!!」
「それは合気道じゃねぇ!!」
必死の抗議も虚しく、俺はいとも簡単に腕ひしぎ十字固めに絡め取られた。頬にクランドの尻がふかふか当たる。そして極められた腕の先は⋯なんか柔らかいものに挟まれた。
「こ⋯こいつ⋯!」
またブラジャーを着けていない⋯!
こいつは基本的に束縛を嫌う性質でブラジャーを好まない。男に技を掛けるというのに、無防備にノーブラで襲いかかってくるのだ。いや、正直悪いとは言わないが単純に喜んでいられないんだよ俺は。こんなことをされたらその、色々まずいコトになってしまう⋯!
「ちょ、ほんと止めて、離してくれたのむ」
「いやー、館長はいとも簡単に技の実験させてくれるからやめられませんねぇ♪」
この状態になったクランドは人の話を聞かない。
「おい聞け、俺の社会人生命が!頼む止めろ!」
「嫌がってる人に、無理に技をかけるのは駄目ですよ」
よく通る声が頭上から聞こえた。ふと目を上げると、トレーを持ったカラシが俺達を見下ろしていた。とても涼しい顔で。
「ちぇー、後輩に見つかっちゃった」
グランドがようやく技を解いた。慌てて座ったままあとじさった。⋯立ち上がる勇気はない。
「館長はお仕事中ですよ。格闘技履修は業務外でしょう」
資材で作った机にトレーを置いて、カラシが半身に構えた。そしてにこりと一笑する。
「私は休憩中です。お相手は私が」
「えっいいの?受け身出来る?」
「はい」
「えへへ⋯いっくよー!」
カラシが無言でクランドの手首を掴むと、クランドがカラシの手首を掴み返し四方投げが始まった。ふわり、と長いスカートを翻してカラシが後方受け身を取る。床の硬さを微塵も感じさせない見事な受け身だ。
「えっカラシやるじゃん!合気道履修してた?」
「学生の頃、少々」
再びにこりと笑う。⋯俺だけだろうか。普段見ないような満面の笑みに、えも言われぬ圧を感じる。
「やった!⋯じゃ、小手返しいっくよー!」
もう矢も盾もたまらんという感じでクランドがカラシの手首に飛びついて捻り、そのまま横倒しに倒れたカラシを押さえ込んで手首を極める。それでもカラシの穏やかな笑みは崩れない。⋯それがとても怖い。
結局その後、何本か技を試したクランドは満足して仕事に戻った。⋯俺が言うのもなんだが、自由な職場だ。
「⋯お疲れ。痛いところとかないか?」
クランドを見送り、軽く埃を払う仕草をするカラシを恐る恐る覗き込む。⋯満面の笑みが、張り付いている。
「―――館長」
「―――はい?」
「何故、投げられたのですか?」
「⋯⋯⋯え」
もしかして⋯この張り付く笑みの原因は⋯俺?思わず体が後退る。カラシが半歩、俺に近づいた。そして目を閉じ⋯また開いた時には笑みは立ち消えていた。
「合気道を始めたばかりの彼女の技術は正直、拙い。受ける側が気を使わないと投げる事は出来ません。私も少し、投げやすいように立ち回りました」
―――正直、その通りだ。初心者が投げやすいように立ち回るスタンスに関しては賛否ある。うまく投げられたことでモチベーションが上がり、練習に身が入るという意見がある一方、周りが甘やかすことで正しい技術が身につかないという意見もある。俺の甘やかしに腹を立てたのだろうか。だがそれを言うならカラシだって。
「まぁ、色々意見はあるだろうが⋯」
「⋯期待してましたよね?」
「⋯⋯⋯⋯なにを」
背中を嫌な汗がダラダラと流れ始めた。
「彼女、合気道は初心者だけど、柔道の寝技は結構やりこんでるじゃないですか⋯?」
―――ぐうの音も出ん!!!
「⋯⋯⋯いや俺はそんな」
疚しい気持ちが一切無かったかと云われたら自信はないが、そもそも無理やり仕掛けてきたのはクランドで。
「いやあ、凄い汗ですねぇ」
「⋯⋯⋯そろそろ春だからかな」
「いやいや、二月といったら大寒の候ではないです?」
「⋯⋯⋯動いたし、暑くもなるし」
「彼女ノーブラでしたねぇ?」
―――何、この状況!?
「ノーブラ童顔の可愛い女の子に、腕ひしぎ十字固めを掛けられた気分は如何でした?」
「ま、まってくれ、わざとじゃないだろ不可抗力だ!こんなのセクハラとか言わないよな!⋯俺をどうする気?」
すっと目を細め、カラシが顎を上げた。⋯綺麗なだけに、その冷たさは氷点を超えてくる。
「いいえ別に何も?良き気分転換を得られたようで何より⋯」
この上ない程の軽蔑が籠った視線を一身に浴びて動けない。蛇に睨まれたカエルの気分がリアルに迫ってきた。
「あ、もう時間。戻りますね」
「ちょっ⋯⋯」
トレーを片付けて踵を返す。あぁもう最悪な一日だ⋯ど、どうすれば巻き返せる!?⋯思い返してもこの時の俺は、明らかに判断力がバグっていた。俺は思わず叫んだ。
「す、水族館に行こう!?」
言った直後、激しく後悔した。カラシが以前水族館が好きだと言っていた事を思い出して咄嗟に口を突いてしまったにしても意味が分からなすぎる。何故このタイミングで俺は。カラシの足が止まった事も、振り向いた事も気がついていたが怖くて顔を上げられなかった。絶対、葉っぱの裏の芋虫でも見つけたような顔しているに違いない。
「いいですね、行きましょう」
意外な返事にバッと顔を上げると、カラシがいつも通りの読みにくい表情で俺を見ていた。
「⋯⋯⋯え」
「休暇が合わないから、次の火曜日に有給とってくださいね」
そう言ってカラシは再び踵を返し、エレベーターホールへ去ってしまった。
なんか、カラシと水族館に行くことになった。
本日の調査を終了する。




