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滅亡惑星の図書館長

―――ここは、水の底のようだ。


無限に広く、薄暗い幾重もの図書エリアを貫く吹き抜けを見上げた。


この惑星の周期でいえば七百年以上前、母星を失った俺達の祖先が率いる移民船が、この青い惑星にたどり着いたと言い伝えられている。生まれる前の事だ、詳細は知らない。

大気の組成も重力もよく似た惑星。母船が着陸した周辺にゴロゴロ転がっていた、衣服をまとった白骨は、俺たちのものとよく似ていた。こういうのを収斂進化というのだろうか。先住の知的生命体はずっと昔に絶滅していたと思われ、祖先の懸命な捜索にも関わらず、生き残りは一体も発見されなかったという。


何が原因で滅びたのか、散々研究された。巡り巡って俺たち移民への脅威となりうるから。しかし何も分かっていない。戦争にしては争った形跡がなく、パンデミックにしては病原菌のようなものが見つかっていない。そもそも全滅の時期が一斉過ぎる。


幸いにも先人の文明は、そっくり綺麗に残されていた。建物などはだいぶ風化が進んでいたが、工場や農場で品種改良された作物、家具などは意外とそのまま使えるものが多かったらしく、移住はスムーズに進んだ。先人と共に大型の動物も白骨として見つかることが多かったが、元々文明が発展していない、というか文明が入り込めない程の密林に覆われた地域の大型動物は生き残りが多少は認められた。これらを長い年月をかけて家畜化することで、動物性のタンパク源も確保出来ている。ものの本によれば、移住以前と比べても大差ないほど、今の文明は持ち直しているらしい。これも一重に、先人たちが遺してくれた文明によるものだ。


俺が勤めている「図書館」も、その一つだ。


特にこの図書館はこの島国で最大のものらしく、地下10階にも及ぶ異例の建造物である。ここには、この島国で刊行されたあらゆる書籍が集められていたらしいのだ。移民が開始されて以来ずっと、この建造物には調査団が常駐して、先人たちの書物の解読が進められている。その結果得られた工業、農業、情報に関する知識は俺たちの生活に役立つものが多い。⋯娯楽としての読み物も多く、翻訳してヒット作になった作品も多い。


俺の机が設けられているのは地下10階の最奥エリア。⋯調査団のリーダー『図書館長』の机は、パーテーションで区切られた吹抜けの底にある。俺と調査団はこの図書館にて、先人たちの書物や、辛うじて生き残っていたコンピュータに貯蓄されていたデータを解析・翻訳してあらゆる分野の専門家や出版社に送っている。

「⋯⋯⋯寒」

天窓から零れる月の光が、無機的に整列した本棚を淡く染めあげる。この惑星の書物を構成する『紙』は、恒星が放つ紫外線に弱いらしく、天窓以外の窓はない。天窓の中央、左右交互に折り返すように続く階段の最下部に、俺の机がある。

「明日は雪かな」

気候まで似ている。雨も風も、雪も嵐も台風も、母星にも存在したらしい。

「どうですかね」

黒い液体で満たされたカップを携えた人影が、暗がりから現れた。

「カラシか⋯」

馥郁たる香りが水底のような空間を満たした。

この仕事では各々が『通称』を用いることが多い。それらは先人の書籍に出てきた登場人物や気に入った言葉から、自分で付ける。彼女はその語感を何故か気に入り、カラシを自称している。肉や魚に合わせる香辛料の事なのだが⋯。

「コーヒーお持ちしました、よっと」

本の山を跨ぎよける時、肩の辺りで切りそろえた髪がさらりと揺れた。トレーに乗ったコーヒーは微塵も揺れない。体幹が素晴らしいのは若さだろうか。

「⋯また階段で来たのか」

俺の側面に回り込み、コーヒーのカップを傍らに静かに置いた。コーヒーの香りに、淡い柑橘系の香りが溶け込んだ。ボディソープだろうか⋯緊張を隠すために、即座にカップを口元に運ぶ。

「運動です。この仕事、動ける機会少ないから」

淡々と答え、カラシは俺の背後に無造作に置かれている椅子に座ってトレーを本の山に置いた。⋯かちゃかちゃとカップを弄る音が聞こえる。今日も、自分の分のコーヒーも持ってきたようだ。

「⋯また、ここで休むのかよ。冷えるだろ」

「館長こそ、たまには地上に出たらどうですか」

ビスケットをかじる音も聞こえてきた。以前はさぞかし散らかるのではと懸念したが、毎回ビビる程何も落ちていない。俺のカップの横にも、紙に包まれたビスケットが置かれた。

「いやだよ面倒くさい」

「なら館長室を地上にしては」

「ここがいい」

「私もです」

カラシもここを気に入っているのか。俺の席を狙っているのかも知れない。コーヒーをぐびりと飲み、一息ついた。⋯悪くないが、少し物足りない。

「最近、コーヒーのプルトニウム減ってないか」

「科学者の話だと、大気からも土壌からも少しづつ減っていくらしいですよ」

「えぇ⋯戻せないのか」

「あってもなくても困らないでしょ」

「コクがなくなるんだよ、微妙に」

カラシは肩を軽くすくめた。

「なら添加したらどうです?工業製品ありますよ」

髪が肩にわずかに触れて、サラリと揺れる。黒みがかった直毛は綺麗だ。⋯思わず、自分のくせのある赤毛をいじってしまう。すらりと背が高く、サラサラの直毛。存在自体が俺のコンプレックスを刺激する。


俺はこの部下が少し苦手だ。


「⋯このコーヒー、同定に時間がかかったの知ってるか」

話題を変えようと、コーヒーの話を振ってみる。

「そうなんです?」

「どの書物にも『コーヒー豆』と書いてあり、焙煎された後の画像が殆どだった。だから最初はマメ科植物を探したんだよな」

「⋯へぇ」

カラシがカップを傾けて目を細めた。⋯苦味があるので飲めない女の子は多いのだが、カラシはそうでもないようだ。気を使わなくて済むのは嬉しい。⋯いや、他意はない。

「プルトニウムがこれ以上薄くなるとなぁ⋯」

「添加すればいいでしょう⋯まだ、見つからないですね」

「先人は、何故滅びたのだろうな」

「天変地異も戦争も、兆候なし⋯感染症じゃないですかね」

「そんな一斉に伝播する感染症はないよ⋯宿主が秒で倒れたら広がらないだろ」

ことり、と空のカップを置いた。なるべくゆっくり飲んだ。不自然ではない程度に。

「⋯片付けますねー」

トレーに二つのカップを乗せ、カラシはあっさりと立ち去った。いつも帰りはさすがにエレベーターを使う。

あとに残されたのは、紙に包まれたビスケット。

「⋯⋯しまった」

コーヒーを全部飲んでしまった。やむを得ず、飲み物なしでビスケットを齧る。

「ぱっさぱさする⋯」

口の中の水分を全部持っていかれる。ちょっとした苦行だ。⋯小麦という品種改良された雑草の種を粉にして焼き上げた菓子は、移民の間で瞬く間にバズったと記録に残っている。旧い菓子だ。カラシはこういう昔ながらの菓子を好む。綺麗な見た目をしている癖に誰もが嫌がる地下10階までわざわざ歩いて降りてきて、くせ毛ヒョロガリ館長にコーヒーを運んで自分の分もちゃっかり用意して、どうやら館長である俺の椅子を狙っている。

「⋯変わっているなあいつ」

何故か思わず口元が綻んで、ビスケットの屑が落ちた。

「ふ⋯ぱっさぱさ」

笑いが零れた。彼女が上がっていったであろう天窓を見上げる。月は天頂まで届いている。⋯節電で薄暗い最奥は、水底のようだ。⋯そろそろ終業の時間だ。今日解析が終わった書籍に印を付け、データをクラウドに上げてジャンル分けされているフォルダに振り分けて帰る支度を始める。

「さて、と」

読書灯を消すと、辺りは薄暗闇に沈んだ。上階から僅かに洩れる電灯の明かりと、天窓の淡い月光を頼りにフロアの隅へ向かい、壁際に隠された扉を押し開ける。更に下層へと続く階段が現れた。


『館長室』は、外部の人間には知られていない隠された11階にある。


別に住む必要はないんだが、ここから出るのが億劫になってしまった。図書館の外に出るのは、週に2、3回、買い出しに出る程度だ。それすらも最近面倒くさいが⋯それすら嫌がるとカラシから無言の圧力を受ける。


『いよいよ駄目人間じゃないですか、館長』


「⋯無言じゃねぇや」

言いたいことをはっきり言う割に表情に乏しいので、いまいち何を考えているのか分かりにくい。心底軽蔑しているのか、軽口を叩いただけなのかが分からないので無闇に緊張するのだ。

「今日は⋯いいよな」

さっきビスケットを食べたから晩めしは要らない。地下11階に続く階段を、冷気に体を沈めるように降りていった。


今日の調査活動を終了する。


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