第25話 王者の証明
0勝2敗。
団体戦において、これ以上ないほど重いビハインド。次に負ければ、チームの敗北が決定する。 道場にいる星流の誰もが、その絶望的な事実を、重い空気として肌で感じていた。 その、全ての重圧を一身に背負い、菊田 空が静かにコートへと歩き出す。
彼の視線の先には、王城高校のジャージを羽織った、一人の少年が立っていた。 一年生にして、王城のエースと目される天才、神谷だ。 星流の部員たちが、息を呑む。
「嘘だろ…中堅に、神谷が出てくるのか…!?」
「普通なら、副将か大将のはず…!」
王城は、この中堅戦で、完全に勝負を決めにきていた。
彗悟は、ベンチからその光景を見つめる。菊田の表情から、普段の苛立ちや焦りは消え、ただ目の前の「同質の存在」を捉える、絶対的なエースの覚悟だけが浮かんでいた。自分とは全く違う、天才同士にしか分からない、濃密な空気が、二人の間に流れていた。
「中堅戦、始め!」
号令と共に、空気が爆ぜた。 神谷が、変則的なステップから、鞭のようしなる上段回し蹴りを放つ。観客席から、どよめきが起こる。 しかし、菊田は、その全ての攻撃を、まるで未来が見えているかのように捌いていく。最小限の動きでかわし、完璧な受けでいなす。
(速い…!佐藤先輩とも、竹村キャプテンとも違う…これが、俺と同じ一年生…!?)
彗悟は、その異次元の攻防に、ただ圧倒されていた。
試合が動いたのは、中盤。神谷の蹴りを誘い、カウンターの突きを狙った菊田。しかし、神谷は、そのカウンターを読んでいたかのように、空中で蹴りの軌道を変え、菊田の胴に蹴りを入れる。
「技あり!」
先取点は、王城・神谷。スコアは0-2。
星流ベンチに、絶望の色が浮かぶ。 しかし、菊田は、一切動じなかった。むしろ、その口元には、不敵な笑みさえ浮かんでいた。
(…面白い)
ここから、菊田 空の、真のショーが始まった。 彼は、神谷のトリッキーな動きに、完璧に対応し始める。一度見た技は、二度と食らわない。逆に、相手の攻撃後のほんのわずかな隙を、的確に、冷徹に突いていく。
カウンターの逆突きで「有効!」。
流れるような連続技で「技あり!」。
スコアボードが、めくられていく。1-2、3-2。
ついに、逆転。
彗悟は、その光景を、声も出せずに見つめていた。 自分の、たった三秒間の奇跡とは、次元が違う。全ての技、全ての動きが、何万回の鍛錬と、何百の戦術に裏打ちされた、「本物」の空手。その、あまりにも巨大で、分厚い壁。
試合終盤、ポイントは5-4で、菊田がリード。残り時間はあとわずか。 後がない神谷が、最後の大技を狙って踏み込んできた、その瞬間。 菊田は、一瞬だけ、ベンチにいる彗悟に視線を向けた。
そして、彼は、これまで見せなかった構えを取る。低い重心、鋭い眼光。 それは、彗悟の追い突きと同じ、一直線の軌道を描くための、完璧な予備動作だった。
菊田の身体が、爆ぜる。 彗悟のそれを、スピードも、威力も、そして、技に込められた気迫も、全てが上回る、究極の追い突き。 バチィッ! 神谷のメンホーを鋭く捉え、完璧なコントロールで静止する。
「有効!」
ブザーが鳴り響く。 スコア、6-4。天才同士の激闘を制したのは、菊田だった。 菊田は、感情を一切見せず、深々と礼をすると、静かにベンチへと戻ってきた。歓喜に沸く仲間たち。その中で、彗悟だけが、菊田と目が合った。 菊田は、何も言わない。だが、その目は、はっきりと、こう語っていた。
『見たか、素人。これが、本物のエースの空手だ』
彗悟は、何も言い返せない。 ただ、自分の拳を、強く、強く、握りしめることしかできなかった。




