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香月摩耶は僕の従姉だ。
母の姉の娘にあたる彼女は現在23歳、去年から公務員として働いている立派な大人だ。
あのクソ……世間体に難のある三橋の血を引く親戚筋において唯一の良心。そう言っても過言ではない人格者だ。
彼女は名前で呼ばれることを嫌っており、僕ら兄妹には昔からかづきちゃん呼びを厳命していた。理由は不明だが、自身の家族の前でも呼ばせる徹底ぶりなのでなにかはあるのだろう。
僕の一人暮らしが許された理由も彼女がこの町に住んでいるからという側面が大きい。
彼女をリビングに上げると、お茶を出して一息つく。
ちなみにお茶はちゃんと急須で入れた。
「始めて来たけど、なかなかいい場所だね」
「水道もガスも通ってるし、家具も一通りそろってる。交通の便を除けば最高の場所だよ」
「初めての一人暮らしにしては贅沢すぎるぐらいだ。父さんの一人暮らしの時は、四畳半の小さなアパートだったんだぞ」
「それは何度も聞いたよ」
「まあまあ。そう言わずに父親の苦労自慢ぐらい聞いてあげなよ」
「そうストレートに言われるとちょっと言い辛いな……」
かづきちゃんには、昔からよく遊んでもらっていた。
ブランド物好きな叔母が、カバンやら時計やらを母さんに自慢しに来るたび、一緒に連れて来させられていたのだ。
子供同士で遊ばせておけば手間もなくていい、とでも思っていたのかもしれない。かづきちゃんを僕らに押し付けて、叔母は終日母さんに自慢話をし続けた。
叔母のこの行動は僕らが生まれる前から繰り返されていたので、かづきちゃんとはそれこそ赤ちゃんの頃からの付き合いだ。
叔母が来ない日も、幼い僕らによく世話を焼きに来てくれていて、父さんも母さんもかづきちゃんのことは気に入っている。
8歳も年が離れているけど、僕にとっては姉のような存在だ。
「前に会ったのは一年ほど前だったけど、あまり身長は伸びていないようだね」
かづきちゃんは湯呑を持っていない右の手を僕の頭にのせた。
「樹は中学入ってから全く伸びてないもんなぁ」
「これから伸びる予定なの!」
僕は頭の上にのっている手を払いのけ腕組みをする。
かづきちゃんは身長176㎝と女性としては背が高いほうだが、僕との身長差があるのはそれだけ僕の背が低いということでもある。
具体的な数字は伏せるが、中学入学時はクラス内で平均的な身長だったのだ。それがいつの間にか友人に背を抜かれるようになっていき、クラスで整列すれば押しやられるように前列に詰められる。僕はいつも身長測定の日は憂鬱だった。
「あこやちゃんは元気にしてる?」
「う~ん、元気といえば元気だよ」
「なんだか含みのある言い方だね」
「あぁ。あれは今きっつーい反抗期なんだ」
「毒舌だけは冴えわたってるよ」
「へぇ、あの優しいあこやちゃんがねぇ」
「部活があって来られなかったけど、かづきちゃんに会いたがってたよ」
ちなみに母さんは近所のおばさま方と女子会なんだそう。
誘われちゃったの、と引っ越し作業を父さんに一任し、遊びに行ってしまった。
母さんが強かなのか、父さんが甘いのか。
「さて、もう少しゆっくりしてたいんだけど、明日も仕事だからそろそろ帰るよ」
そう言って父さんは立ち上がる。
「お仕事ご苦労様です」
かづきちゃんが挨拶をする横で、僕はため息をつく。
「どうせまたすぐ来るんでしょ?」
「次の連休にまたくるぞ!」
「はやっ、そんな頻繁に来なくていいから」
「そんなこと言うなよ~」
「うざぁ」
またスキンシップが激しくなりそうなのでさっと距離を取った。
「摩耶ちゃん、樹のことよろしくお願いします」
「はい。と言っても週末ぐらいしか来られないとは思いますけど」
「それだけでも十分ありがたいよ。樹、摩耶ちゃんの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「わかってるよ」
「米なんかは食糧庫に積んでおいたけど無くなったら言うんだぞ。車で運んでくるから。それから食べ物は足の速いものから消費すること」
「はいはい」
「戸締りはちゃんとして日が暮れてからはなるべく山に入らないこと。万が一帰るまでに日が暮れてしまったら摩耶ちゃんを頼るんだぞ」
「わかってるってば」
「それからそれから」
「さっさと帰れ」
父さんは何度も振り返りながら車に乗り込み、帰っていった。
見送りに出ていた僕たちは車の音が聞こえなくなるまでしばらく佇んでいた。
「わかってあげなよ、あれが親心ってものなんだ」
「…………」
そんなのわかってる。言おうとした言葉を呑み込んで、僕はふいとそっぽを向いた。
頬に穏やかな風が吹きつける。
春にしては暖かな風が、まだ咲きかけのたんぽぽの花を優しく揺らす。ざわめく木々が僕の胸をすく。
彼女を見ると、ボブに切りそろえた黒髪がさわさわと揺れていた。何処か超然としたような瞳は、曇りがちな空のはるか遠くを眺めているようだった。
その瞳が僕を捉えると、ニタリとその容貌を崩す。
「さっき親子で抱き合ってたよね~」
「なっ、抱き合ってないしっ!ていうか見てたの!!」
「窓からこっそり、こんな出歯亀は初めてだったよ」
「変なこと言わないでよ!」
ははっ、と笑うとかづきちゃんは足早に玄関へと向かった。
「さ、荷ほどきと家の片付けを始めようか」
片付けと言っても、ここには毎年来ていたのである程度荷物は整理されていた。
僕が二階の寝室に衣服などを仕舞っている間、かづきちゃんは家全体に掃除機をかけ、作り置きできるカレーを作ってくれていた。
荷ほどきがある程度終わると、夕食には少し早いが二人でカレーを食べた。カレーは何故だか酸っぱかった。
「らっきょうの汁を入れてみたんだ。さっぱりした味のほうが飽きが来ないって言うだろう」とのこと。独特な感性の持ち主である。
少し雑談した後、かづきちゃんは帰っていった。
「仕事終わりにも来られるけど、あんまり頻繁に来られるのもいやでしょ。今度は土曜日に様子を見に来るよ。何かあったらいつでも連絡してくれていいからね」
そういって颯爽と車に乗り込む彼女はやはりどこか超然としていて、かっこいいと思った。
部屋に戻るとソファに深く腰掛ける。
なんだか疲れてるな。そんなに動き回っていた訳でもないんだけど。
「ふぅ」
一人になると途端に家が静かになる。
家にいる時にも一人になることはあったけど、こんなに物悲しい気分になることはなかった。
もうホームシックなのかな、そう思うとなんだか可笑しくなってきた。
「ふふっ、こういうのも慣れていかないとな」
入学式まであと三日ある。今日はシャワーを浴びてもう寝ようかな。
しばらくソファに沈み込んでうとうと考え事をしていると、ふと不思議な感覚に陥った。
それは予感のようなもので、その感覚に今気が付いたと言ったほうが適切だろうか。
覚醒していく脳は、意識をせずともそれが示唆する方へ首を向けさせる。目線の先は物置部屋へ続く扉だ。
のそりと起き上がった僕は、何かに突き動かされるように扉の前まで歩いて行った。
僕が扉に手をかけた時、予感は既に確信に変わっていた。
開いている 今なら入れる
ガラクタを押しのけ床にピッタリはまっている金属の扉を開けると、地下へと続く穴がぽっかりと開いていた。
気分が高揚していくのが分かる。僕は衝動的に入ろうとする気持ちをぐっとこらえ冷静に考えようと試みる。でもダメだった。
ずっと探していた場所なんだ。
今を逃せば今度はいつ入れるかわからないんだ。
危険な場所だとわかっていても、ここで入らないという選択肢はどこにもなかった。
せめてなるべく安全にと動きやすい服装に着替えた。ジャージを着るか迷ったが、万一のため生地のしっかりしたアウトドア用の服装で肌の露出を抑えた。物置部屋で見つけた木刀を手に持ち、お守り代わりに髪飾りをポケットに入れた。
鼻血を出しそうなほど興奮していた僕は、あとはもう何も考えず地下へと続く階段を下りて行った。




