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一章 未知への気づき 1-1

 狭い四床の病室。

 その隅に用意されたベッドで、おじいちゃんは眠っていた。

 鼻には酸素チューブを付け、腕には点滴の針が刺さったままになっている。

 瘦せこけた頬。筋張った腕。今のおじいちゃんを見ていると、今にも死んでしまいそうに見えて不安になる。

 けれどぼくの気持ちとは裏腹に、おじいちゃんは静かな呼吸を繰り返しながら穏やかに眠っていた。

 ベッドの傍らに座っていた僕は、おじいちゃんの胸が小さく上がり、下がっていく様をただじっと眺めていた。

 

 

「死にゆく老人を眺めていても、楽しくはないだろうに」

「……おじいちゃん」

 いつから起きていたのだろう。

 おじいちゃんの顔を伺いみると、目を開けてはいないようだった。

 そんなおじいちゃんの表情を見ていると、ぼくは聞かずにいたかったことを聞かずにはいられなかった。

「おじいちゃん、死んじゃうの」

 ふり絞るように聞いた質問に、おじいちゃんはあっさりと答えた。

「そうだな、もう長くはないだろうなぁ」

 その言葉を聞いて、ぼくは俯く。

 

 否定して欲しかった。

 死なないよって、言って欲しかった。

 

 ぼくは膝の上で手を固く握っていると、骨ばった掌がその上にそっと乗った。

「だがな、消えてしまう訳ではない」

「え、」

 不可解な言葉に、思わず聞き返すと、おじいちゃんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「元ある場所に帰るだけだ」

 おじいちゃんの言葉に何かを感じ、顔を上げると、おじいちゃんは目を開き真っ直ぐぼくの顔を見据えていた。

「だからなんにも心配することはない」

 おじいちゃんは険しい表情でベッドから体を起こすと、ぼくの頭に手をおいてくれた。

「いずれまた会える。その時までの少しの別れってだけだ」

「また、会えるの」

「あぁ、だからそんなに悲しい顔をしていないでくれ」

 そう言うとおじいちゃんはにこりと笑った。

「笑ってお別れをしよう」

「うん、わかった」

 僕の答えを聞くと、おじいちゃんは満足そうに頷いて枕に頭を戻した。

「次に会えるのはいつ?来年?」

「う~ん、樹がおじいさんになってからかなぁ」

「えぇ~遅いよ~」

「はは」

 

 そんなやり取りの後、二日もしないうちにおじいちゃんの呼吸は止まった。



 ◇



 当時中学1年生だったぼくは、まだ抜けきらない幼さと盛んな好奇心とが裏目に働き、巨大な空洞に落ちてしまった。

 そこで死が間近に迫る恐怖を経験したぼくは、二度とあんな思いはしたくないと心底思っていた。

 しかし、穏やかな日常に戻り一月、二月と経つうちにあれだけ感じていた恐怖も薄れていき、不思議な体験への疑問が頭を埋め尽くす様になっていった。

 あの透明な生き物は何?光る壁は?あの(もや)は?声は?

 当時スマホを持っていなかった僕はこっそり親のパソコンを使って思いつく限りのことを調べてみた。だけど結果は芳しくなく、青の洞窟や深海の透明な魚など、関係のないものばかり検索欄にヒットした。それはそれで興味深くはあったので、パソコンを使うたびに関係のない事まであれこれと調べてしまうことも多かった。

 しばらく悶々とした日々を過ごしていたが、その間両親が不気味なほどに優しかったことを覚えている。

 諦めきれずに、仲の良い友達にこっそり話してみたこともあったが「それなんてゲーム?」とすげなく言われてしまった。本当なんだってと食い下がっていると「あぁ、もうそんな時期だもんな……」と不思議なことを言ったかと思うと途端に信じてくれるようになった。

「あぁ、そうだな」「それはすごいな」と真剣に話を聞いてくれて、持つべきものは友達だと改めて思ったものだ。


 あれからも何度か別荘に行くことがあったのだが、あの時の入り口が見つかることはなかった。なんで消えてしまったのだろう、どうしてあの時は入れたのだろう、といくら考えてもわからなかった。やっぱり夢なんじゃないかと弱気な気持ちになることもあったが、そんな時には決まって髪飾りのことを考えた。


 あの時洞窟から持って帰ってきた髪飾りはあこやへのお土産にと思っていたのだが、ずっとポケットの中で握っていたからクシャクシャになっているだろうと思い、直ぐには渡せなかった。

 洗濯してから渡そうと思っていたのだが、家に帰ってから確認すると折れ目もついておらず思いのほか綺麗だった。

 紫色に見えていた花飾りは、明るいところで見ると淡いピンク色のようで、本物の花のようにいい匂いがした。

 しばらく眺めた後、どうしてだかぼくはそれを押入れに仕舞い込んでしまった。

 あこやにあげようと思っていた筈なのだが何故だか渡せなくて、偶に思い出しては押入れから出して眺めていた。

 

 そんなこまごましたことが幾らかあったが、それ以外は実に中学生らしい生活を送っていたと思う。部活をして、勉強をして、友達と遊んで、そんな毎日を。




「本当に荷物これだけでいいのか?」

「大丈夫だよ、元々そんなに私物はなかったでしょ」

「まあそうなんだけどなぁ」

 僕は段ボール箱を床に置くとふぅと一息つく。

「どうせ一日で帰れる距離なんだし心配しすぎだよ」

 ドスッっと音を立てて父さんが段ボールを横に置く。これで段ボール箱4つすべて運び終わった。

 あとは荷物の整理をするだけだ。

 しゃがんで段ボール箱の1つを開けると、そこにはシワ1つない新品の制服が丁寧に畳まれ入っていた。

 それを手に取り眺めていると、それだけで気分が高揚してくる。

 新生活、いいじゃないか!

 そんなことを考えていると「でもやっぱり父さんは心配だよ~!」と急に横から抱きついてきた。

「やめてよめんどくさいな」

 このスキンシップの激しい親め、とうんざりしながらも、突き放すようなことは出来なかった。きっと気持ちは同じだと思ったから。

 父さんは僕の頭に手を置くと、ひとつふたつと撫でながら「大きくなったな」と話す。

 親のこういうのって気恥ずかしくてなんだか嫌いだ。

「もういいでしょ」

「ちぇえっ」

 父さんから半ば強引に離れると、僕は気持ちを紛らわすためにきょろきょろと周りを見渡す。

 吹き抜けのリビング、二脚のソファに、カーペット、暖炉はいまだ埃かぶっている。

 そう、ここはあの夏から何度か訪れてきた別荘だった。

 

 僕は別に、高校入学を期に一人暮らしを始めたかったわけではない。ただあの時の出来事が忘れられなかっただけなのだ。

 別荘の周囲なんかを色々調べようと何度も思ったのだが、遊びに来た時に少し見て回る事ぐらいしかできなくてもどかしい思いをしていたのだ。家族がいるところでは余計に行動に制限がかかる。

 それならいっそここに住んでしまえばいいのでは、という結論に至るまでにそう時間は掛からなかった。

 志望校を別荘から一番近い所に選ぶと、一人暮らしをしたいとしっかり両親に伝えた。

 あんな所で一人暮らしは危ないと猛反対されたが僕は頑として意見を変えず根気よく両親を説得した。自立した生活を心がけ、母さんに家事や料理を積極的に学ぶ姿勢を見せた。

 僕が本気だとわかると少しは態度を変えたが、納得してくれるのに受験ギリギリまでかかってしまった。

 

 ピンポーン

 インターホンの音が部屋中に鳴り響いた。

「お、来たんじゃないか」

「僕が行ってくるよ」

 僕はそそくさと父さんから離れるように玄関に向かった。

 

 いまあけまぁす、と玄関の取っ手をつかもうとすると、それより先に玄関が開いた。

「やあ、遊びに来たよ」

 玄関先に居たのは、僕より頭一つ分は高い、馴染みのある女性だった。

「手伝いに来てくれたんじゃないの?」そう聞くと、彼女は「そうともいうね」とあっけらかんと話す。

 まったく、と僕はわざとらしくため息を付きながら彼女を歓迎した。

「久しぶり、かづきちゃん」

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