2-11
フラスコにレィデージュのペーストを入れ終わると、緑の苔に緑の葉っぱの入った真緑色の液体ができた。
老人はフラスコを取り数回振って出来を確かめると、不思議な模様の描かれた羊皮紙と青紫色の液体の入った瓶を手元に寄せた。
「さて、お前が懸念していた魔力だが、これが解決策となってくれる」
「これは?」
僕は老人の取り出したものに説明を求める。
「この紙に入った模様は魔力回路、魔力が通る道だ。そしてこれが」
老人は作業台の上に置いてあった青紫の液体が入った瓶を振る。
「魔力だ」
「その液体がですか?」
青紫色の液は仄かに発光していて液体の中で揺らめいている。それは、どことなくスライムの核を覗き見たときの様子と似ていた。
「これは魔力を魔力自体の作用によって液体状に固定化させた物だ」
「魔力自体の作用?」
「それも知らんのか。魔力というのは液体のようにも、気体のようにも見えるものだが、その実どちらでもない。魔力は物質ではなく、規則そのものだからだ」
老人は憎まれ口を叩きながらも、質問には丁寧に答えてくれる。
案外、面倒見のいい性格なのかもしれない。
「規則?どういうことですか」
「そのままの意味だ。ものが下に落ちるのも、風が吹くのも、音が聞こえるのも、すべて魔力が作る規則に乗っ取って行われる。これはそれを利用して魔力が液体となる規則を人工的に与えたのだ」
老人が言うそれは、物理法則と呼ばれるものだろうか。
万有引力や運動の三法則、質量保存の法則、それらが老人のいた世界ではすべて魔力によるものだと信じられていたのだろう。
現代知識を持っている僕としては、なんとも疑わし気な話に聞こえてくる。
「訝しげに見るでないわ!」
老人はフラスコを魔力回路の中央に乗せる。
瓶の蓋を開けると、中に入っていた液状の魔力がチャポンと音を立てた。
「これを魔力回路の端にかける」
老人は躊躇うことなく中の魔力を魔力回路の縁に沿ってビチャビチャとかけ始めた。
「まぁ、お爺さんったら、こんなに零しちゃって」
「ワザとやっとんじゃボケェ!黙って見とれぃ!」
紙に落ちた魔力は凝集性が高いのか、液体金属のように厚みを帯びていた。
怪訝に思いながらそれを見ていると、不思議なことに液体状の魔力が模様に沿ってひとりでに動き出した。
「この紙には魔力が一定の方向に流れるようにワシが魔力回路を描いておいた」
魔力回路にかかった液体魔力は、水路に水を引くように丸い模様の端から中心にかけてあっという間に流れていく。
「魔力は規則そのものだといったが、その魔力に規則を与えるのは動きだ。魔力操作とは規則を作り出す行為そのものと言える」
魔力は発光を強めながら中心に置いてあるフラスコへ進んでいく。
「つまりこの紙の上は、一つのルールに沿ってできた――」
そして魔力がフラスコへ触れた。
「隔絶された一つの世界なのだ」
瞬間、強い光がフラスコ内から放たれた。
フラスコの中の液体は魔力に当たった場所から強く発光し、混ざり合いながらグラデーションのように色を変えていった。
部屋の中が虹色に輝き、目も開けていられないほどの光だった。
それでも僕はその光から目を離すことができなかった。
とてもきれいな光だった。
発光が収まったころ、フラスコの中の液体は透明な桜色になっていた。
「ふむ、初めてみる色じゃな」
「え、もしかして失敗ですか?お爺さんがレィデージュをあんなに細かくするまで止めなかったから……」
「勝手にワシのせいにするな!成功しておるわ!」
老人は顔を真っ赤にさせて叫ぶと、それからため息を吐いて色の変わった説明を始めた。
「デルパレイスはその土地の影響によって含有している魔力の質が違うからな、それに影響されて採取した土地ごとに色が変わるのだ」
「へぇ、なるほど」
説明しながら老人は桜色のドロッとした液体を作業台の上に垂らした。
それからそれを一つまみ取ると、手のひらで転がし飴玉サイズにした。
「これぐらいの大きさにしてくれ。少し熱いかもしれないが、冷めると固まってしまうから我慢してくれ」
「わかりました」
僕らは手早く作業を終わらせ、飴玉サイズの玉が二十個ほど出来上がった。
「結局これは何なんですか」
「ふむ、最初の物はもう固まっていそうだな。ほれ」
老人は僕に玉を投げ渡す。
「それは丸薬だ。一つ食べてみろ」
「どんな効果なんですか」
僕が聞くと、老人は笑って答えなかった。
食べてからのお楽しみ、ってことかな。
僕は思い切ってそれを口に含んだ。
まだほんのり暖かいその玉は、口の中で転がすとヨモギのような味がした。
「のみほんだほうがいいれすか」
「飲み込んでもいいが、口の中でゆっくり溶かす方が持続時間は長いな」
持続時間?本当に何の薬なんだろう。
「うむ、変化が出始めてきたな。ほら、これで見てみろ」
老人は手鏡を僕に渡してきた。
「鏡?、え、わ!」
鏡に映った自分を見て、僕は驚きの声を上げた。
僕の髪と目が、桜色に変わっていたのだ。
「これはトゥアドラーブルと言って魔力の色を染める丸薬だ。お前の場合は魔力とは別の力が変色しているようだがな」
「わぁぁ……きれい」
「レィデージュの強心作用を錬金術によって変化させることで魔力に対する吸着性を生み出し、それと同時に魔力の透過性も高めることによって魔力が表に出やすい髪や目が、っておい!聞いとるの、か…………」
元の髪や目の色が全く残っておらず、透き通るような鮮やかな色をしていた。
瞳を覗き込めば、吸い込まれてしまいそうな独特のスパークルが走る。
頭を振ると月の光を反射してキラキラと髪が揺れた。
「すごいすごい」
「……」
桜色の虹彩が綺麗で、髪がキラキラ光るのが楽しくて、僕は飛び跳ねたり、髪を揺らしたりして、年甲斐もなくはしゃいでいた。
「あはは」
「あぁ……そうか」
『それ、一人でやってて楽しいのか』
「…………こんなにも、簡単なことだったのだ」
少し離れたところで老人は間の抜けたように口を開けていた。
そろそろボケたか。
そんな軽口を言おうかと思ったけど、さすがにそれはかわいそうだと思い直し、代わりに別の言葉をかけた。
「お爺さん。錬金術って面白いですね」
僕の言葉に、老人は初めて目じりを下げた。
「そうだな」
それから老人は、何かつきものが落ちたみたいに表情が柔らかくなった。
「魔力に一度ついた色は消えないが、新たに作り出された魔力は元の色をしている。魔力がすべて置き換わるサイクルは大体半日ほどだが、使い切ってしまえばすぐに元の色に戻るだろう」
「僕のは魔力じゃなくて闘気なんですが、その場合はどうなります?」
「知らん」
「えぇ、そんな無責任な……」
「人体に悪影響を及ぼすものではないから心配するな」
老人はカラカラと笑った。
それから老人は、少し待っていろと言って奥の部屋へと入っていった。
少しして戻ってくると、手に何か持っているようだった。
「これをお前にやろう」
「え、これって」
老人が取り出してきた物は、外で僕が呼んでいた本と同様の物だった。ただ一点だけ違うのは、本が新品のようにきれいだということだ。
「これがこの世界のコアだ。これを持てば、本の所有権が書き変わる」
こんな大事な物を、どうしてくれるんだろう。いや、それよりも――
「そうなると、あなたはどうなるんですか?」
「もう、私のやるべきことは此処にはないからな。本体に戻るだけだ」
「本体に戻る?」
老人は僕の言葉に頷く。
「そもそもここは精神世界だ。ワシ自身は本体の精神を模倣した、ただのまがい物に過ぎん」
「まがい物って、そんな言い方……」
「事実だからな」
老人は何の感慨もなく言った。
「ワシは自身のコピーを本に閉じ込め、無限に続く時の中で一つの答えを探していたのだ」
無限の時間。
老人は一体どれだけの時間、ここで過ごしていたんだろう。
ずっとこんな暗い部屋の中で、一人で。
寂しくなかったのだろうか。
「答えは見つかったんですか」
「あぁ、きっと」
老人は満足そうにそういった。その表情からは、初めて見た時のような寂し気なようすは、どこにも見受けられなかった。
「名前を聞いてなかったな」
「そういえばそうですね」
名前を名乗り忘れるなんて、うっかりしていた。
「僕は蒲生 樹です」
「ガモウイツキか」
老人はしみじみと言った。
「胸に刻もう。お前の名を」
「大袈裟ですね」
「そうでもないさ」
老人は僕に本を手渡す。
【ピロリ】
【オブジェクトNo.10 Wheel of Fortune の所有権が移譲されました】
あ、そういえばここ、ダンジョンの中だったな。
「なんだ今の声は!?」
「あ、お姉さんです」
「は?お姉さんだと。どういうことだ」
しまった。お姉さんだけじゃ伝わらないよな。でも、うまく説明できるかなぁ。
「不思議な生き物が出てくる洞窟があって、ダンジョンって僕は読んでるんですけど、その中でいろいろ教えてくれる……いや、何も教えてくれないお姉さんというか……」
だめだ、うまく説明できない。
そもそも僕自身何も知らないわけだから、説明できないのも仕方ないことなのだけど。
僕はどう説明したものかと頭を悩ませるが、老人はその説明を聞いて、得心のいった顔をした。
「迷宮、か……なるほど。それでワシの本が……」
「迷宮?お爺さん、なにか知ってるんですか」
「あぁ、というか迷宮内にいるお前がなぜ知らない」
「だって、誰も教えてくれる人がいなくて、というよりそもそも人がいなくて」
「呆れたものだ、それでよく今まで生きてこれたな」
老人は眉を寄せ、少し憐れむように僕を見る。
「これ以上は危険だから、潜るのはやめろ……と言いたいところだが、迷宮探訪者にそんなこと言っても意味はないのだろうな」
老人はため息を吐く。
意味がないこと無いとは思うけど、でも止められてもきっと、僕はダンジョンに潜るのはやめないと思う。
それだけここは、僕にとって魅力的な場所なのだ。
「お爺さんの世界にも、迷宮?はあるんですね」
「まあな」
「何か知ってるなら教えてくださいよ」
「ふむ」
僕の問いに、老人は少し考えてから口を開いた。
「十階層へ行け。そうすればお前の知りたいことは大体分かるだろう」
随分じれったい。
「そういうのは良いから、迷宮が何なのか教えてくださいよ」
僕が説明を催促すると、老人はまたバカにしたような笑みを浮かべ、僕に向かって舌を出した。
「いやだな。老人をおちょくるようなガキに教えることなんてない」
「んな!?」
また馬鹿にして!
僕が老人に何か言い返そうと意気込んでいると、急に周りの景色がぼやけ始めた。
「なにこれ……ど、どうなってるんですか」
「この世界が維持できなくなって崩れ始めたのだ」
「なんで急に!?」
「本の所有権をイツキに渡したからだ。お前はこの世界を維持できるだけの知識も技術もない。だから崩れる」
「崩れて大丈夫なんですか!」
「外におん出されるだけだ。だから、ここらでお別れだ」
「え、急にそんなこと言われても」
まだこの老人から何も聞けていないのに。
ダンジョンのこと、異世界のこと、錬金術のこと。
ようやく答えが分かると思っていたのに。
小さな小屋の世界はどんどん輪郭を曖昧にさせていく。僕が何を思おうと、何を言おうと。
世界が消えてしまう前に、何か大事なことだけでも聞き出さないと。
この老人に。
……老人?
「名前!お爺さんの名前、まだ聞いてない!」
「ワシか」
老人は最後に聞くのがそれでいいのかと言いたげに、ため息をつくように目じりを下げた。
「キアミ=レクツィオ・アウレオールス。いつかまた相まみえよう。ワシの初めての弟子よ」
消えゆく世界の中心で、老人は僕に再会の言葉をくれた。
◆◇◆◇
「うわっ」
弾かれるように仰け反ったかと思うと、僕は背後の壁に頭を打ち付けた。
「いったぁ……」
涙目になりながら、頭をさする。
何事かと思い周りを見回すと、僕はすでに錬術師の工房に戻ってきていた。
「……いつの間に」
場所も老人の世界へ行く前にいた本棚の下で、胡坐をかいている姿もそのままだった。
「寝ぼけていたわけでは、ないよな」
あの老人は最後に、キアミと名乗っていた。
キミアと言えば、隠し部屋で見つけた、クィンタ・エッセンチアを作った人だ。僕が闘気を得るきっかけになった人。
あんな短気なお爺さんだったとはね。
だけど、面白い縁だな。
僕はさっきまでの不思議な体験に思いを馳せながら、ふと手元に視線を落とした。
手元を見ると、さっきまで読んでいた本はしっかりと僕の手の中に納まっていた。
ただお爺さんの本は、真新しい綺麗な装丁に変わっていた。
著者欄にもキアミと書き足されていて、題名も変わっているようだった。
僕はその題名をよんで、思わず笑ってしまった。
「お爺さんめ」
本の表紙には、デカデカと『錬金術教本 クソ弟子専用』と書かれていた。




