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さて、今日は寝る前に錬金術の勉強を始めようと思う。
いろんなやりたいことが山積みになっている状態だけれど、まず真っ先にやりたいのはこれだよね。
錬金術なんて、絶対楽しいに決まってる。
風呂に入り寝巻に着替えた僕は、錬術師の工房に入る。
それから書棚を眺め、何から手を付けようかと吟味する。
「まずは初心者向けの本だよな。入門書のようなものがあればいいけど」
本の背表紙を見ながら、それっぽいのをいくつか引き抜いて机に並べてみた。
・錬金という名の神秘
・偉大なるバルモンド式錬金術理論 上
・フェーネウィクに吹く風~北部魔大陸の錬金術の歴史と変遷 其之一
・スライムでもわかる錬金術の本
どれも面白そうだ。
それにしても、これって一体誰が書いたものなんだろう。
表紙に著者の名前は書いてあるけど、きっとネットで調べても出て来たりはしないんだろうな。
北部魔大陸なんて中二的な大陸、歴史の教科書を開くまでもなく載っていないのは明らかだ。
そもそも錬金術なんて、昔信じられていただけのおとぎ話のような内容だ。
そんなものが大真面目に書いてあるようなものなんて、それもこんなに。
きっとありえない。
ただの作り話。あるいはただの僕の妄想か――――そう断定するには、いささか僕の身の回りの出来事は不可思議で現実味を帯び過ぎる。
もしかすると、僕らのいる地球とは別の場所。異世界。ないしは平行世界。この本は、そんなものが存在することを示唆しているのではないかと思うのだ。
これもまた、僕の妄想?
いや。きっとここに書かれている内容を再現することができれば、この仮説は真実身を帯びてくる。
否定も肯定も、その結果が出てから決めたって遅くはないはずだ。
頭の中で考えをまとめた後、僕は改めて目の前の本に向き直った。
「この中で最初に選ぶなら、やっぱりこれかな」
僕は右端に置いていた、デフォルメされたスライムの表紙の物を手に取った。
「スライムでもわかるんだから、だいぶ簡単に書かれていそうだよね」
表紙に書かれていた著者の名前はスライム先生だった。
安直だなぁ。
僕はロフトに上がり、ソファの上に寛ぎながら本を開いた。
すぐ近くのテーブルにはジュースとポテチをしっかり用意して、準備は万端。
「さて、どんな内容が書かれているかな」
僕は指先で紙の質感を楽しみながらページを一つめくった。
初めに。
君は錬金術を何のために学ぶのでしょうか。
仕事の幅を広げるため?高名な錬金術師になりたいから?それとも「あ~こういうトコはいいから」
僕はページをパラパラめくった。
「ここら辺からがよさそうだ」
錬金術とは、その名の通り土塊から金を錬り成す術のことをいいます。
しかし、世間一般が思うほど錬金術というのは万能ではありません。
ただ土を捏ねているだけでは泥団子ができてしまうだけですよね。
ふむふむ
それにはっきり言ってしまうと、土から金はできません。それは必要可能性祖界が足りず、変換限界に達してしまうからです。
む?
土からできるのはせいぜいがトペッド・レッドぐらいです。トペッド・レッドは皆さんがなじみ深いフラクトラスの骨子に使われている物ですね。
「知らないんだけど……」
いきなり知らない言葉が出てきて、少しくじけそうになる。
知らない単語が続出すると、途端に瞼が重くなるのは何故なのだろうか。
「むぅ……とにかく読み進めよう」
僕はページをめくる。
錬金術に必要な要素は全部で3つ。作りたい物の素材(錬金術ではこれを小霊と言います)、素材を加工する器具、そして触媒となる魔力です。
「魔力!やっぱり魔法はあるんだ!」
錬金術を学ぼうとして、魔法の存在を明らかにしてしまったぞ。
このまま棚ぼた的に魔法も習得できたりして。ぐへへ。
これは楽しくなってきたぞ。
初心者がまず躓くのは、この3番目の魔力です。
読者の方は魔力なんて誰でも持ってるだろって思うかもしれません。
しかし、魔力を意識的に動かしたことのある人というのは、実はあまり多くはないんです。
……あれ。魔力があるのが当然というように書かれているけど、そんなもの持ってないんだけど。
もしかしてこれ、もう詰んでる?
我々の生活に欠かせないフラクトラスは、使用する時に魔法基盤へ魔力を通しますよね。そんな時、人は魔法を使っていると思いがちですが、実際はフラクトラスに魔力を吸われているだけなのです。
学校の授業などで魔法を使う時も同様で、常に携帯している杖に魔力が勝手に蓄えられていきますよね。
ですので本書では基礎の基礎。魔力の動かし方から学んでいきましょう。
「おぉ、これは助かる!」
これなら、僕が魔力を持っているかが分かる。
さすがスライムでも分かる本だ。その名は伊達ではなかった。
まず仰向けになり、お腹に手を当てましょう。
魔力とは体の特定の場所で作られるものではなく、全身から発露されるものです。作り出された魔力は体内を巡るのですが、体の巡りが一番多いのがお腹なのです。なので、おなかに手を当て魔力を感じ、それから魔力を一か所に集めていきましょう。
「ふむふむ。で、その具体的な方法は?」
あとは、感覚だけが頼りです。感じられるまで頑張りましょう。
「えぇ、それだけ……」
と言いましたが、ここで突き放してしまってはスライムでも分かる本の名折れです。もう少し詳しく書いてみることにしましょう。
だよね。よかった。
究極的に言ってしまえば魔力を感じるのは自身の感覚でしかないのですが、イメージの共有はできると思います。
魔力とは、しばしば水に例えられることが多いものです。体を流れる血液のように魔力も体の中を巡っていると。
さて、魔力が体を巡るには道が必要です。
それは血管をイメージしてもいいのですが、今回はもっとわかりやすく、川をイメージしてみましょう。
一本の大きな川。
魔力という水が流れる川。それが今触れているお腹のあたりに流れています。
それが少しづつ遠くへ行くごとに枝分かれしていく。そして体全体を魔力という水で満たされていく。
そんなものをまずは意識してみましょうか。
魔力とは誰しもが持っている物。なにもここで未知の感覚を発見しようと言っているわけではないのです。
緊張せず、今ある自分を再発見する。そんな気持ちで臨んでみましょう。
良いこと書いてあるなぁ。
よし、魔力があるかわからないけど、とりあえずやってみようか。
僕はお腹に当てている手に意識を集中する。
お腹に当てている手が暖かい。
お腹の熱を手が感じているんだ。いや、手の熱をお腹が感じているのかもしれない。
そのどちらでもあるのかもしれない、混じり合った不思議な感覚。
呼吸によるお腹の起伏。
お腹を圧迫する手の重さ。
血液の流れ。
その奥に感じる、暖かな揺らめき…………これだ。
「ちゃんとあったんだ。僕にも」
僕は魔力の感覚を掴むため、さらに集中してお腹に意識を向ける。
体の熱よりも暖かいその不思議な力は、水というより実体のない空気のように感じられた。僕という器の中をふわふわと漂っているような。
場所によって濃淡があり、煙のように絶えず形を変えている。
不思議だな。
「動かせるかな」
魔力を感じられた後は早かった。
意識を向けたところに魔力は集まっていくようで、ゆっくりではあるが確実に自らの意思で魔力を操作することができた。
僕は右手に意識を集中し、集められるだけ魔力を集めてみようと試みた。
右手に集まっていく力は力強く、内側から体を押されているような圧迫感と共に今にも爆発してしまいそうなほどのパワーをひしひしと感じた。
右手をみると、魔力を集めたところがパチパチと閃光のように発光していた。
「これが魔力」
【ピロリ】
【熟練度が一定を超えたため、闘気操作を獲得しました】
【熟練度が一定を超えたため、身体強化を獲得しました】
「……魔力だと、魔力だと言っておくれよ」
僕はその場に膝をついた。
その後、いくら頑張っても水のような力を感じることはできなかった。
何とかならないかとスライム先生の本にすがると、続きのページにコラムと書かれた文章を見つけた。
column
ごく稀に、先天的に魔力とは別の力を持って生まれる人たちがいます。
その力は体を動かすことに特化したもので、肉体の力を高め、感覚を研ぎ澄ます作用があるとされています。
闘うためにあるような力だと先人は考え、闘気という名がつけられたと言います。
もし闘気を持って生まれてきてしまった場合、残念ながら錬金術を学ぶことはできません。魔力とは全く性質の異なる力のため、小霊の性質変化に全く寄与することがないからです。
闘気と魔力は混ざり合わない水と油。どちらも持って生まれることはありません。もし、二つの力を同時に持っているとするならば、その人は体が二つに分かれているのかもしれませんね(笑)。
しかし、落ち込むことはありません。闘気という希少な力は大変に有用で、戦えば敵なし、一騎当千の戦士になることができるでしょう。
錬金術師として国に士官しようと考えていた方なら、騎士を目指して軍に入る選択肢も十分にあると思います。
「そんな……嘘だと言ってよ」
がっかりどころではない。
これだけの設備がそろっていながら、僕はこれを全く活用することができないのだ。
ほかの本を開いてみても、同じように魔力操作の必要性を説いているものしかなく、絶望感が募るばかりだった。
「ただの休憩所…………ただの」
お姉さん。これをわかってやっているのだとしたら、今回は少したちが悪い。
僕は盛大にため息を吐きながら、書籍を棚に戻した。
「こんなことになるなんて……」
目の前に宝の山があるのに……こんなの、諦めきれないよ。
後ろ髪惹かれる思いで、スライム先生の本を棚に戻す。
「はぁ」
盛大にため息をつく。
その時、本棚の端から古ぼけた装丁の本が落ちかけているのに気付いた。
「なんだろう、これ」
それは、著者の書かれていない、題名だけの本だった。
ほかの物は丁寧に保管されている古本のようなレトロな風合いがあるのに対して、この本だけ明らかに扱いが違う。
表紙はボロボロ、破れかけている部分もあり、変な臭いも付いている。
題名も手書きで走り書きしたような文字だった。
『錬金術ありき』
僕は本を開こうとして、少し躊躇う。
「どうせ読んだって、結果は変わらないのに」
それでも諦めきれなくて、僕は本棚の前に座り込んだままその本を読み始めた。




