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誰かの声がした。
「誰かいるの!」
男の人か女の人か分からなかったけど、確かに喋ってた!
「助けてっ!!ここから出られなくなっちゃったんだ!」
ぼくは声に向かって大声で叫んだ。
けど、いくら待っても返事は来ない。
「こわい生き物がいるの!水みたいのが顔にくっついてきて!白いもやもやなのもいて!全部がワーッとおそってきて!ねえ、いるんでしょ!出てきてよ!おねがいだから!」
叫び声は洞窟内を空しく反響するばかりで誰の耳にも届かない。
「おねがい、します……助けてぐださい……がえりだいんです……」
叫び声は懇願に変わっていく。
だが、応える者はいない。
「いやだ……たずげて……だずげてよーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
どれだけ時間が経っただろう。
ぼくはずっと床で胎児のように身体を丸めて、ただ時が過ぎるのを待っていた。
いつの間にか気持ち悪さは無くなっていたが、動く気にはなれなかった。
もう涙も出なくなり、ただ壁から洩れる青白い光をながめているだけだった。
どれだけ泣いても誰も助けてくれない。
どれだけ縋っても声の人は出てきてくれない。
お父さんも、お母さんも、あこやも、かづきちゃんも、誰もいない。
このまま、ここで死んじゃうんだ。
マイナスの考えがいくつも頭に湧いてくる。けど、その事柄で感情が動くことはなかった。
もう、心が動くのをやめてしまっていた。
ぷしゅっ、ぺったん、ぷしゅっ、ぺったん。
なにかが近づく音がする。
横になった視界には透明な球体が跳ねながら近づいてくる姿が映った。
あぁ、あれにくっ付かれてぼくは死ぬんだ。
全てを諦めてしまったぼくは、引導を渡しに来る丸い物体をただ眺めていた。
球体はぴょんぴょんと跳ねるたびに、何かを後ろに噴射していた。そして一飛びする度に小さくなっていった。
どうやら跳ねるように動くには自分の身体である液体を後ろに噴射する必要があるようだ。
近づくごとに小さくなっていく球体は、ぼくの目の前まで来ると500円ほどの大きさにまで縮んでいた。
最後の一飛びで頬にくっ付くと球体はうごうごと顔を這いまわる。
なんなんだろう、これは。
それは、初めて見たときから思っていたことだった。
何をするでもなく、顔の周りを動きまわり鼻や口に留まろうとする。
ひんやりとした体。目や鼻や口といった感覚器官はなく、透明で生き物っぽさはまるでないのに自由に動きぴょんぴょんと跳ね回る。そして、石が弱点。
ぼくは、いまだ這いまわり続ける球体に手をやると、手探りで小石を見つけ引っ張り出す。
球体は形を崩しぱしゃりと地面に落ちた。
口元に残った液体をぺろりと舐める。
味はしなかった。
手に残る小豆ほどの大きさの小石を見る。
それは薄紫色で丸みはなく、菱形に近い不規則な多角形をしていた。
半透明でまだらに色づいた石は、まるで混ざりかけの液体のようにもやもやと色が動いている。
ぼんやりと眺めていると、パキリという音ともに石が割れた。
ビクリと身体が震え、冷や汗がでる。
この石から出ていたんだ。
石から出てくる白い靄を目に焼き付けるように見る。
またあれがやってくる。
今までは何とかなったけど、きっとこれ以上は耐えられない。耐えられる気がしない。
これがぼくの見る最後の景色なんだ。
近づいてくる靄に身を震わせる。
最後の涙が頬を伝い、僕は目を瞑る。
さようなら。
誰にともなくそう思った。
しかし、いくら待ってもあの突き抜けるような不快感はやってこなかった。
内側から火で炙られるような痛みもなく、どうしてか逆に身体から活力が満ちてくるような気さえしてくる。
「どうして……」
体を起こす。
服はぼろぼろ。所々ほつれてしまっていて、汗や涙、鼻水、土からあの球体の水までいろんなものが服に染みて随分汚れてしまった。
身体も擦り傷だらけで動く度にじくじくと痛む。幾度となくぶつけたお尻なんかはひどく痛み正直座ってられないほどだ。
だけど、体の奥底に暖かいものが灯ったような、そんな不思議な気持ちが湧いていた。
もう死んじゃうだけだと思っていたけど、どうしてだかぼくはまだ生きている。
諦めていた気持ちが、いつの間にか消えてしまっていた。
今なら前に進めそうな気がする。
立ち上がると、今更お腹がすいていることに気が付いた。
ずっと何も食べてなかったんだもんな。
早く帰って、お母さんが作ってくれていたご飯を食べよう。あこやも手伝ってたんだっけ。
そんなことを考えられるところまで気持ちが回復してくると、不意にピロリと電子音がなった。
【刻印スキルを獲得しました。該当箇所に印が刻まれます】
左目の周りが一瞬、明るくなったような気がした。
「ねぇ、あなたは誰?」
誰何する声に、応えるものはない。
ぼくはぐっと手を握ると、振り絞るように足を前に出した。
踏み出した一歩はすぐ近くに下ろされ、半歩も進めていなかった。
けれど、それは確かに前へと踏み出した一歩だった。
続く足取りは軽く、そこにはもう諦めに満ちた自分はいなかった。
固く握りこまれた手の中で、砕けた石の破片が手に食い込んでいた。




