序章 未知との邂逅 1
中一の夏、おじいちゃんが死んだ。
三橋憲継 享年72歳。とても溌剌とした人だったけど肺がんを患ってからは坂道を転がり落ちるように体調が悪化し、三月と経たず亡くなってしまった。
ガタッガタッ
「おじいちゃん、天国で楽しく過ごしてるかな?」
「おじいさんなら今頃は昔の仲間を集めて釣りにでも行ってるんじゃないかな」
「きっとそうね。おじいちゃん、定年後は、釣りに生きてたから」
僕はおじいちゃんっ子だったけれど不思議と悲しみはなく笑顔でお別れをすることができた。おじいちゃんが最後にかけてくれた言葉がうれしかったから。けど、お葬式の時に笑っていたからか、親戚筋からは薄情者だと陰口を叩かれていたようだった。
少し悲しい。
ゴトゴトゴトゴト
「釣りって楽しいのぉ?」
妹のあこやが聞いてくる。
「おじいちゃんと何度か行ったことあるけどけっこうおもしろいよ。あこやも今度やってみなよ」
「生臭いのは嫌~」
田舎に住んでいたおじいちゃんはその土地の地主とまではいかないが、いくつも土地を所有していた。「地元では名手と呼ばれていたんだぞ!」とは本人の言である。相続にあたり土地を分けることになったのだが資産価値の高い土地は粗方他の兄弟にとられ、押しの弱い母さんは使い勝手の悪い山林を相続させられてしまった。
ガタンッガタンッ
「相続税もかかるし、相続を放棄することもできたんだけど、そうなると、別の土地を私に回さなくちゃいけないって思ったのね。兄さんたち、ものすごい早口で話すものだから、会話に入ることも、できなかったわ」
「それにしても揺れるね」
「ねぇ~いつになったら着くの~」
「もうそろそろだと思うんだけどなぁ」
資産価値が低かったり土地の狭い山林なんかは固定資産税を請求されないことが多く、母さんが押し付けられたという山も例外ではない。山と言ってもそこまで立派なものでもないそうだ。ただ、建物に対する税金は取られるらしいけど。
「せっかく相続したんだから、行ってみましょう」と母さんの提案により夏休みを利用して別荘があるというその山に家族4人で泊まりに行こうということになったのだ。
今は自家用車での移動中である。
整備されていないむき出しの土が見える山道は周りを草木に覆われて、まるで獣道のようにみえる。隆起した木の根や岩などで路面はデコボコとしていてスピードを出すとひどくゆれるのでそのうち車酔いになりそうだ。隣でゲームをしているあこやが信じられない。
「目印の看板があるってお義兄さんが言ってたんだけど」
「父さん、あんな人たちお義兄さんなんて言う必要ないよ」
「そうだよ。あんなのクソでいいよ」
「こら、あーちゃん、クソだなんて言っちゃいけません」
「クソクソクソクソ!」
「あっ、看板ってあれじゃない」
とりとめのない会話を繰り返しながらぼんやり外を眺めていると草木の陰に隠れてひっそりと佇む看板を見つけることができた。その看板は木製で手作りだと一目でわかるような雑なつくりをしていて、三橋家 別邸と大きく書かれていた。
それから少し進むと開けた場所にでた。木々がきれいに取り除かれているそこは山頂に近いようで、麓の町がよく見えとても見晴らしがいい。別荘もすぐに見つけられた。ペンションのような洋風の建物で白く塗られた外観はあまり汚れていないように見える。三角屋根は木製の自然な色味で全体的に落ち着いた印象を与える。2階にはバルコニーもあるようだ。ただ、この広い空間の中にあると少し小ぢんまりとして見える。
「ようやく着いたな」
「鍵かして鍵!早くはいろうよ~」
車を止めるとあこやはすぐに車を飛び出し鍵のかかった扉をガチャガチャと揺らし始める。
「もう、急かさないで」
母さんが小走りに玄関へ向かうのを眺めながらのんびりと車を降りる。別荘の前の空間は広いが裏は木が伐採されず森になっているようだ。別荘の裏を少し覗くと細い小道が伸びているのを見つけた。どこに繋がっているんだろう。
「いつきー中入ってるぞー」
「うん、すぐ行くからー」
まあ、後で探索すればいいか、そう思いながら父さんに遅れ僕は別荘に入っていった。
洋風の外観だが、玄関に入るとちゃんと上がり框がある。土足厳禁だね。
いそいそと靴を脱ぎ中に入ると玄関のすぐ先はリビングになっていて、2つあるソファはすでに父さんとあこやに占領されていた。
「2人して寝っ転がってる……」
「「だって疲れたんだもん」」
「ハモってるし」
あこやはソファでゲームの続きを始めていて、父さんはリモコンを片手にテレビを見ている。
「ここは父さんのソファーだ、譲らんぞ」
「向こうの椅子座ったらぁ?」
2人ともこちらを見ようともしない。
何だかため息が出そうになる。
「別にいいよ、中見て回ってるから」
リビングは吹き抜けになっているようで、玄関から向かって左は台所と食卓スペースのある部屋になっている。そこで母さんが来客用らしいお茶を入れていた。琺瑯製のやかんからはもうもうと湯気が出ているけど、そのまま出したりしないよね?
右には2部屋あり1つはお風呂、もう1つの部屋は物で溢れていて物置部屋のようだった。あとで漁ってみよう。
リビングの正面には大きな暖炉が備え付けられている。暖炉は煤けてさえいないもののしばらく使われた形跡はなく埃っぽい。
吹き抜けの2階は少し狭い廊下だが壁には本が並んでいて、奥へ行くと2階にも広間があった。木製のイスとテーブルが置いてあり端からはバルコニーに出られそうだ。そのほかには寝室を2部屋、書斎を1部屋見つけることができた。
外からは少し小さく見えた別荘も中に入ってみると意外に広く、木造の室内には西日が差して温かみのある空間に見える。
ただ、一つひとつの部屋は壁とドアで仕切られていたり、窓が小さく少なかったりと設えが所々に古臭く見え、歩くたびにギシギシと音が鳴る床は建ててからの年月を思わせる。
「番茶、入れたわよ~」
1階に戻るとお茶を入れていた母がリビングに来るところだった。
ようやく避けてくれたあこやの隣に座りひとまず休憩。
そして案の定、出てきたお茶は熱かった。
やかんから直接出てくるお茶に何とも言えない気持ちになるが、皆心得たもので特に突っ込んだりはしない。
母さんがぬけているのは今に始まったことではないからだ。
僕はひっそりとエアコンの電源を入れた。
「道が荒れ放題だったからどんなぼろ屋敷かと心配だったけど、意外と良いところだな」
「木目の模様がいいわね~」
「感想が独特」
「母さんは変わってるからね」
「ほら、ここなんて、とってもいいわ~」
夏の暑い日に全員で淹れたての熱いお茶をちびちび飲んでいるのかと思うと何だか可笑しな気持ちになってくる。
お茶を口に入れると、香ばしい味わいが鼻を抜けていき美味しい。こんな暑い日じゃなければまた飲みたいな。
「あーちゃん、これ飲み終わったら、晩御飯の手伝いしてね」
「やだ~、めんどくさ~い」
「あーちゃんもそろそろ、花嫁修業をしなきゃだわ」
「母さんはいつの時代に生きてるんだろう」
なんてことを話していると遠くからゴゴゴゴッと小さな音が聞こえた。雷の音かな?と思うも窓の外に見えるのは晴れ渡った青空ばかり。
「今の何の音かな?」
「ん、音なんてしたか?」
「気のせいじゃない」
どうやら小さな音だったのでだれも気付かなかったようだ。
「周りに誰も住んでないから静かでいいね」
「そうね~、でも明かりが一つもないから、日が暮れると、真っ暗になりそうよ」
「そうだな、動物も出そうだし夜はあまり外へ出ないようにしようか」
なかなか冷めないお茶をちびりと飲みながら話を聞いていると、ふと別荘の裏の小道が気になっていたことを思い出した。
「じゃあ暗くなる前にちょっと外を見てきていい?」
「ん~」
父さんは少し考えるような仕草をした後で「あまり遠くには行くなよ」とOKしてくれる。
「山は日暮れが早いって言うから気を付けるのよ」
「わかってる」
湯呑に残ったお茶を一息に呷ると火傷しそうなほど熱く、思わず立ち上がってしまったのでそのまま勢いに任せて玄関まで小走りに駆けていく。
玄関を出る前にちらりと振り返ると、すでに父さんはソファの陰に隠れて見えなかった。