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第4話 灼熱の絶望(後編) 

「……あ……つ……い……」


息が、できない。


火が喉から、肺の奥から、皮膚の裏側から、這い上がってくる。

血液が煮えたぎり、骨がひび割れ、内臓がひとつずつ焼かれていく。


目を開けても、見えるのは――ただ、炎。


炎。

炎。

炎――。


何秒も、何分も、あるいは永遠のような時間を、

ただ焼かれ、苦しみ、悲鳴をあげ続けていた。


「いや……いやだ……たすけて……!」


誰かの声が聞こえた。

それは……自分の声だった。


けれど助けなんて来ない。

焼かれて、気絶もできず、死ぬことさえ許されない――



「……ごめんなさい……」

「ごめんなさい……たすけて……ごめんなさい……っ!」


許されない罪。

分からない罪。

ただ、苦しい。それだけなのに――。


でも。


ふいに、また思い出す。


幼い日のこと。

七歳の陽葵。

まだ家族が“家族”だった頃。


――夕飯を囲んだ、あの小さな食卓。

――父が作った、卵焼き。

――母の歌。

――何でもない毎日。それがどんなに、幸せだったか。


「パパ……ママ……」


その声に応えるように、二人が現れる。


優しい目をした父。

微笑む母。

ああ、やっぱり、あたし――愛されてたんだ。

泣きながら、陽葵は手を伸ばす。


けれど、その瞬間。


父の顔が、裂けた。


母の瞳が、黒く濁った。


笑っていた二人の顔が、皮膚を焼き裂かれ、歪み、

次の瞬間には――鬼になっていた。


「ヒマリ……ヒマリ……おまえも、地獄に落ちたんだろう?」


「だから……一緒に落ちようなあああああああああ!!」


巨体が、陽葵を押し倒し、

赤く焼けた手で、その細い腕を掴む。


「やめてっ!やめてっ!!」


ベキッ――ッ!


右手が――ちぎれた。

次は、足。

焼けた爪が、脚を裂き、血が燃える。

それでも、まだ意識はある。


「いや……もう……お願い、ころして、ころして、ころしてっ……!」


身体が、身体じゃない。

肉が剥がれ、骨が覗き、それでもまだ、生きている。


――なぜ?


こんなに苦しいのに。

こんなに焼かれているのに。


どうして――


その時だった。


“光”が走った。


陽葵の身体を中心に、まばゆい光が、ふわりと広がる。

炎が、焼けた空気が、あらゆる苦痛が、その光に弾かれていく。


バリア。




その光が、鬼になった父と母を、吹き飛ばした。


「――っ……」


まだ息が荒い。まだ痛みは残っている。


でも


どこかで聞こえる声があった。

奏多の声だった。

遠くで「ひまり……!」と叫んでいた。


炎の中でも、バリアは確かに彼女を包んでいた。


意識が戻り気付いたのは

自分の身体が燃えていることだった。

でも、それよりも――もっと、もっと怖かった。


奏多が、焼かれていた。

呪いの炎は陽葵だけを焼いたわけじゃない。

彼女の身体から漏れた火は、背負う奏多の肉体へと燃え移り――


パチ……パチ……


奏多の服が、髪が、皮膚が焼ける音が響いていた。

それでも彼は、立ち止まらない。バリアで彼女だけを守り、自分には一切の防御を張らずに。



(なんで……こんな……)


「お兄ちゃん、離して……私なんかのために、死なないで……」


声にならない声を、唇の奥で何度も繰り返した。

でも、奏多は歩みを止めなかった。

焦げ付き、血が流れ、肉が焼けても。


「……僕が、守るって……決めたんだ」


息も絶え絶えの声で、奏多はそれだけを言った。





「なんで……なんでっ……?」




怒鳴るような声が出た。

喉が裂けそうだった。

息を吸えば、熱で肺が焼ける。


涙が、止まらなかった。


自分のせいだった。


あの水を飲んだから。

朔が「だめだ」と言ったのに。


喉の渇きに負けて、飲んだ。

そのせいで――奏多が、今、死のうとしている。




陽葵の中の何かが――音を立てて、壊れた。


崩れた記憶。

過去の痛み。

家族の幻影。


全部が、洪水のように押し寄せてきた。





7歳の頃、幸せだった日々。

父と、母と、手をつないで歩いた桜の並木道。


「ひまりは、お父さんとお母さんの、宝物だよ」




その言葉が、嘘じゃなかったこと。


でも――


崩れた。

父は人を殺した。

母は壊れていった。

陽葵は、あの世界で、誰からも守られず、見捨てられて死んだ。


「……もう、いらない子なんだよ、あたしなんて……」




そう信じてた。


でも――違った。


目の前の彼は、焼かれながらも、抱きしめていた。

何度でも、何度でも――命を懸けて。


それが、陽葵の心に、火をつけた。





「……わたし……まだ、生きたい……!」




震える声が、空に届いた。


「生きたいっ……! この人の隣で……っ!」




「一緒にいたい……! 消えたくないっ!」




全身の神経が焼かれ、脳が悲鳴をあげていた。


けれど――


心だけが、立ち上がった。





陽葵は、初めて自分の意志で能力を使った。


「消えろっ……!」


彼女は、炎の源――自らの胃の中にある呪いの泉に意識を向けた。

残ったすべての力を、バリアに注ぎ込む。



胃の奥に、氷のようなイメージを思い描く。

心の奥の奥から、熱を奪う冷たい壁。

それが、ゆっくりと、炎を閉じ込める檻になる。


「こんなもん……こんな火……!」


バリアの氷が、内臓を凍らせるように広がる。

まるで自らの命を賭けて、炎を押さえ込むように。


「お兄ちゃんを、焼かせるもんかぁあああああっ!!!」




バァンッ!


空気がはじける音がした。


青白い閃光が、陽葵の全身を包んだ。

氷と光が混ざったような、冷たいバリア。

その力が――


自分の炎を飲み込み、同時に奏多を焼く炎をも消していく。


奏多の身体から炎が離れ、彼はそのまま膝をついた。


「……陽葵……?」


静かに目を見開く陽葵。


炎は、完全に消えていた。


彼女の手が、微かに震えながら、奏多の腕をつかむ。



空気が、澄んだ。

熱が、引いた。


奏多の腕に抱かれたまま、

陽葵はゆっくりと、震える唇で言った。


「……わたし、生きてていいの……?」




奏多は答えなかった。

でも――その手が、陽葵の頭を優しく撫でた。





「ありがとう……お兄ちゃん……」


陽葵は、罪の意識も、痛みも、すべて背負って。

その一歩が、彼女を希望へと導いていく。


陽葵の叫びは、確かに地獄を凍らせた。


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