愛したもの
あの後私はすぐに演劇部に入学し、早2ヶ月が立った。正直言ってつまらない。すぐに劇に出れるなんてさらさら思ってないがそれでも活動内容に退屈さを感じた。
まず発声練習をして軽いドラマワークをする。まあ、ドラマワークといってもゲームを通して姿勢を正す練習をしたりアドリブ力を鍛えたりするだけで、正直意味があると感じられないものばかりだ。発声練習も劇をするわけじゃないからする必要がないだろうに。
一通りお遊びのような事を終えると次は台本探しに移る。ただ本やパソコンと睨めっこして良いと思った台本があれば書き出していく、そんなことを繰り返していた。
退屈だ。本当に。
私はこんなことをする為にここに入った訳では無い。
「くだらないな。」
帰りのホームルームの準備で騒がしい中、教室で窓を見つめながらぽつりと呟いてみる。
私は劇を出来ないことから焦り、苛立ちを感じ始めていた。仲間意識も入部すれば勝手に身につくと思っていたが、案外そうでも無いらしい。元々名前を覚えるのが苦手な私は先輩はおろか、同級生の名前すらまともに覚えられていなかった。唯一演劇部で覚えているのが同じクラスの下野...なんだったか。2、3文字すら覚えられない自分に嫌気が差してくる。
元々友達が少ない訳では無い、寧ろ多い方だと自信をもって言えるだろう。それなりに人に対する興味関心はあるはずだ。転校生がきた初日に、転校生の机を囲うような人達の中には大体私も参加していた記憶がある。正直私は人が好きなんだろう。期待をすることだってよくあった。それほど人に興味をもっていた。
だからこそ人に興味を持たれ期待されることを拒んだのだ。私が興味を持ち、期待するのはその人が「持っている」と感じた時である。才能、努力、そして魅力。大抵の人間は優れたものを持っている。本人は謙遜して気づかないふりをするのだろうが。
私はいわゆる器用貧乏と言われるものだった。大抵のことは人並み、または人よりほんの少しだけできた。だから褒められることは多かった。
最初だけ。人いうものは残酷なことにすぐ学習をし成長してしまう生き物らしい。周りが学習し、成長していく中、「褒められたから大丈夫」という誤った認識に囚われている私は学習ができず成長すらできないまま落ちぶれていく。それに気づいたとて努力をする力が実っている訳でもないのでただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
私は人に期待されることがよくあった。でも最初だけ。同じ所で躓く私を皆見放していった。挙句の果てに私に期待して仕事を任せた子が周りから責められることがあった。
そこからだろうか、私は自分に興味を持たれない為に自分から人を遠ざけて行くようになった。必死に人に興味が無いふりをしてきた。友達なんて1人にならない程度に軽く挨拶して会話するくらいでいい。少なくとも中学ではそうするつもりだ。
「起立」
いつの間にかホームルームも終わり、号令がかけられた。クラスメイトは不揃いな挨拶をするとそれぞれ帰り始めた。
今日は木曜日か、たしか部活があったはず。憂鬱だな。
そんなことを考えながらスクールバッグを背負い教室を後にしようとした瞬間
「夢花ちゃん!」
不意に名前を呼ばれ肩が少しビクりとする。慌てて振り返るとそこにはクラスメイトでもあり、同じ演劇部の部員でもある下野さんが立っていた。
「ど...どうしたの?」
一応少し戸惑いながらも応答する。呼び止められたことにも戸惑いを感じるが、なによりももう下の名前を覚えられていたことに驚きだった。
そんな私の戸惑いを気にも止めず彼女は明るく立て続けていった。
「今から部活行く所だよね?一緒にいこうよ!」
しどろもどになりながらも私はいいよと答える。
正直、あまり素直に喜べなかった。今までまともに話してこなかった上に下の名前すら覚えていないのだ。気まずいな、なんて考えて居ると彼女は気まずさをかき消すように口を開いた。
「ねえ、なんで演劇部に入部したの?」
予想外の質問だ。別に素直に舞台に立って人を魅力する演技をしたかったと答えてもいいが、それを人の前で語るのは少々小っ恥ずかしい気持ちもある。
「なんとなく...かな。演劇とか別に興味ないし」
「えー!そっかあ...」
咄嗟に出た言葉で取り繕う。彼女は私のしょうもない嘘に落ち込み、顔を少し落とした。さすがに興味が無いと言ったのはまずかったか、と少し罪悪感に苛まれ反省する。少し暗い雰囲気になり私は慌てて問いかけた。
「逆に...なんで演劇部に入ったの...?」
私が問いかけた途端、彼女は今までの落ち込みが嘘のように明るくなり、顔を上げた。
「先輩が可愛かったから!!」
「...えっ?」
想像の斜め上の返答に思わず声を漏らす。そんな単純な理由でいいのかと困惑した。それでも彼女は立て続けに
「だってさ!顔も可愛くて声も良くて演技が上手いとかもう最強じゃん!」
「で...でも、それって部活を続けるモチベになるの...?」
「なるよー!!ドラマワークとか、発声してる時とか、そんな凄い人達と同じ空間で同じ事をやってるんだよ!?」
そう語る彼女はとてもまっすぐな目で、眩しいと言えるほど笑顔だった。彼女は心から演劇部を「愛している」のだと私は悟った。
そんな時、ふと2文字を思い出した。そうだった。彼女の名前は莉愛...下野莉愛だ。彼女の思いは本当にその名前に相応しい。
柄にもないが笑顔を浮かべ私は咄嗟に言った。
「莉愛ちゃんもきっと先輩みたいになれると思う」
彼女はまっすぐな目のままお礼を言うと私と同じように笑顔を浮かべた。恥ずかしさを感じながらも太陽のような眩しさで笑う彼女を見ているとそんな感情も悪くないと思える。
他愛のない話に心地よさを感じていると彼女は慌てた様子で
「忘れ物しちゃった!!ごめんだけど先行ってて!!」
そう吐き捨てると同時に背を向け教室へ走り出した...が、しかしくるっと彼女はこちらに顔を向け言った。
「夢花ちゃんさ、演劇興味無いなんて、嘘でしょ?」
「えッ...!なん...で?」
不意をつかれたような質問に思わず図星のような反応をしてしまう。彼女はにやりと笑った。
「だって部活動紹介の劇の時、夢花ちゃんの顔がキラキラしてたから!
もう仲間なんだから嘘つかなくていいのに」
そう言うと彼女はまた背を向け教室へ走り出した。
嗚呼、私が彼女に叶うことはないだろうな
私は仲間という言葉噛み締めながら、軽やかな足取りで部室に向かっていた。