2話 悪役令嬢だったことを思い出しました【sideラテーナ】
私はカルア侯爵家の令嬢ラテーナ・カルア。そんな自分が前世の記憶を思い出して、この世界が乙女ゲームの世界だと気が付いたのは、ごく最近のことでした。
でも実は、それ以前から前世の記憶自体は持っていたのです。
それは明確ではない、断片的な日本という国で生まれ育って過ごした記憶。
全てがふわふわと曖昧で、だからこそ誰かに話したりしたこともありませんでした。ただ幼少期には持っていたその記憶の影響を受けた上で、今の私があることだけは間違いないでしょう。
そのように前世の記憶があっても、その感覚は曖昧で現実味がなかったため、あまり深くは気にせずに毎日を過ごしてきた私ですが……ある日、決して無視できない内容を思い出してしまったのです。
それこそが、この世界が前世でプレイした乙女ゲームの世界と酷似しているということと、私ラテーナ・カルアがそのゲームの中で悪役令嬢だったという記憶でした。
でも、ただ単にそれだけであれば、私もあまり気にしなかったと思います。
だってそのゲームの中の内容と、私が実際に知っている今の世界は、もはや別モノと言って良いくらいには違っていましたから。
でも——
『ああ、穢らわしい妾の子の婚約者なんて心底ごめんだけど、私は優しいから特別に許してあげる』
ゲームの中の私ラテーナ・カルアは身勝手で残酷な恐ろしい人物で、婚約者であるエキセルソ・レオ・アムハル様を身勝手な理由で傷つけたり、場合によっては殺してしまうことさえある人物だったのです……。
事あるごとに彼を『穢らわしい妾の子』と蔑み。苛立つと無抵抗のまま痛めつける。その苛烈な性格は、我が儘な貴族令嬢の域を超えた悪女でした。
彼女が婚約者であるエキセルソの、数少ない好ましく思っている部分は【王子】という肩書きと【美しい容姿】だけで、それ以外の全てを毛嫌いしていました。
でも、今この世界で生きているラテーナ・カルア、私は違います。
この私は、婚約者のエキセルソ様……セル様を婚約者として心の底から愛しております。なので間違っても傷つけることなんて、絶対にしたくはない。
当然ですが、ゲームの中のエキセルソと、私の知っているセル様も、私と同じで大きく様子が違っています。
『僕に関わらないで……』
ゲームの中のラテーナの婚約者である、エキセルソ。彼は怜悧な美貌を持ちながらも、妾の子だという立場のせいで、婚約者だけではなく王宮内でも長年冷遇され、そのために荒んだ性格をしており他人に心を開かない人物でした。
金髪碧眼のとても美しい容姿なのに、纏う雰囲気は暗く、その眼は鋭く冷たすぎて……嫌われ者の彼は、余計に他者を遠ざけてしまっていた。そんな悲しい人物だったのです。
しかし今の私が知っているセル様は、そんな風に冷遇されていることもなく、暗い雰囲気でも冷たい性格でもありません。
まず婚約者である私を大切に扱ってくれて、国王陛下や兄である王太子殿下にも信頼されており、多くの人々から敬愛される第二王子。それが私の知るエキセルソ様の姿です。
ええ、確かにゲームとの共通点もありますが、間違いなくそれとは別の世界なのでしょう。なのに、いくらそう思っていても、私の中の不安は消えてくれませんでした……。
あまりにも色々な部分が似すぎている点もそうなのですが……。
たとえ僅かな可能性であっても、私自身がセル様を傷つけて、あまつさえ殺してしまうかも知れないということが、恐ろしくて恐ろしくて仕方なかったのです。
私は……セル様のことを深く愛しています。それだけは紛れもない事実です。
だから傷つけたくないし、苦しめたくないし、当然殺したくもない。
だけど、もし何かのきっかけで、私が正気ではなくなって彼に危害を加えることになったら……。
そう考えるだけで震えが止まらず、眠れない夜が続きました。
私自身は最悪にどうなっても構いませんが、セル様に何かあるのだけは絶対に嫌だったのです……。
そうして私は何日間も悩み続けた末、私が彼を傷つけてしまう可能性が高い【ゲーム本編が始まる前】に婚約を解消して、彼の側を離れる決意をしました。
本心ではそんなことをしたくないけど……セル様を自らの手で傷つけてしまうよりはずっといいと思ったから。
そのような考えに至った私は、今日の定例お茶会にて、エキセルソ様に婚約解消の意思について伝えるつもりでした。
それなのに——
『ラテーナ、会えて嬉しいよ』
いざ彼の顔を見て、声を聞き、笑顔を向けられると、私の決心は決意が鈍ってしまい……。
『じ、実は私、悪役令嬢なんです……!! だから私との婚約を破棄して下さいませ!!』
なんと【婚約の解消】をゲームの内容に引っ張られて【婚約破棄】と言ってしまったり、挙句の果てには混乱して自分は【悪役令嬢】だと言ってしまうなど散々な行動をしてしまいました。
その言動は、どこからどう見ても異常人物だったと思います。
それにも関わらず……。
『ラテーナ……もっとちゃんと訳を話してくれないか? 一体何がそんなに君を不安にさせているんだ……それとも僕は頼りにならないだろうか』
『全て話してくれ、そして君の悩みを僕が一緒に解決しよう』
セル様はとても暖かく、でも真剣に私のことを心配してくれた上。私が一人で抱えていた不安に向き合って下さった。
その瞬間、私はダメな人間だと思うと同時に、物凄く安心してしまったんです。
彼の言葉の優しさや眼差しで、今まで私の中にあった苦しさや辛さが全て和らいでいって……。
そこで、改めて私は彼のことが好きだって実感してしまったのです。
懸命に離れようとした決意が、一瞬で消え失せてしまうほどに……。
ああ、やっぱり私はエキセルソ様のことが好きです。
彼の為ならば、他の何を犠牲にしても構わないと思えるくらいには愛しております。
だからこそ、今甘えてしまう代わりに決めました。何か、もしもの時があればその時には絶対、私がセル様のことをお守りいたします。
私は……私が愛する人が不幸になるのは嫌なのです、だから幸せであるべき人が幸せであるために、私は私の全力を尽くしましょう。