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 早朝の陽光が静かに車内に差し込む。

 奈々美が窓を少し開けると、爽やかな風が顔を撫で、昨日までの重たい空気を吹き飛ばしてくれるようだった。

 通り過ぎる風景は、まだ静かで、朝の新鮮な光を浴びて輝いている。


 遠くの山々は澄んだ青空の下、くっきりとした輪郭を描いていた。

 道の両側には田畑が広がり、朝露に濡れた草がきらきらと輝いていた。

 田んぼの水面には空の青さが映り込み、まるで絵画のように美しい。


 空気は澄み切っていて、遠くの山並みもはっきりと見渡せる。

 車内に流れる静かな音楽が、景色と共に心地よいリズムを作り出していた。


 太陽が徐々に高く昇るにつれ、風景は少しずつ色彩を増していく。

 木々の緑は鮮やかさを増し、川の水は朝日の反射で眩しくきらめいている。

 車は滑らかにカーブを曲がりながら、まだ眠っている町を抜けていく。

 朝の光が車のボンネットに反射し、まるで道案内をするかのように輝いていた。


「ねえ。怖い話してもいい?」

「なんで? 朝から? やめてよ。もう!」


 この年頃の姉妹にしては仲の良い彩花と奈々美。

 大学生になって受験勉強から解放された奈々美は、彩花のドライブに誘われ、すぐに了承した。


「気持ちいい朝なのに」

「そこで気持ち悪い話よ」


 怖がりの奈々美を怖がらせるのは、いつだって彩花であった。

 二人でキャアキャアと笑い合いながら、彩花のたわいないうわさ話に耳を傾ける。


「昭夫くんでしょ? お姉ちゃんに、そんな話したのって!」

「ええ? どうかなあ?」


 姉がとぼけても奈々美は知っているのだ。

 定時で帰ってきていた彩花の帰りが、このところ微妙に遅くなっていることに。


「いいなあ。お姉ちゃん、モテるもんね。昭夫くん。格好いいし」

「あんたも眼鏡やめて、コンタクトくらいしな。メイクは私が教えてあげるから」


 奈々美はもじもじして、彩花を見ると「うん」と頷く。

「でも、私はおばけの町の話しない彼氏見付けるから」

 彩花は妹の髪をくしゃくしゃにして撫でた。


 ☆☆☆


 ドライブを終えた帰り道、夕暮れが濃い影を落とす中、姉妹は車に乗り込んだ。

 車内にはラジオから流れる不思議な音楽が静かに響いていた。


 奈々美は助手席から姉に微笑みかけ「楽しかったね」と言ったが、姉は少しも表情を崩さず、ただ前方を見据えていた。

 その瞳には何か、どこか遠くを見るような焦点の合わない様子があった。


 やがて姉は何も言わずハンドルを切り、予期せぬ形で高速道路の出口へ向かいはじめた。

 奈々美は瞬間、胸がざわついた。


 これは予定の帰路ではない。

 それでも、何か言い出せずに黙っていた。

 心の中で「違う」と何度も繰り返しながらも、声に出せなかったのだ。


 やがて車はゆっくりと高速の出口を抜け、薄暗い道へと入っていった。

 街灯はちらほらあるものの、周囲の風景はどことなく歪んで見える。

 気味の悪い静寂が辺りに漂い、妹は目の前の状況に目を疑いながらも、恐る恐る訊ねた。


「ねえ、どうしてここに向かってるの? 帰る道は逆じゃない?」


 だが、姉は答えない。

 代わりに口元に奇妙な笑みを浮かべ、まるで何か知っているかのような眼差しで暗闇の奥を見つめ続けていた。

 しばらくしてから、ようやく姉は口を開いたが、その声は普段の柔らかい響きとは異なり、低く響くように、しかし何かを隠すような冷たさが感じられた。


「こっちの方が――近道だから……」


 その言葉に、妹は戦慄した。


 車内に漂う不安な空気が増し、奈々美は必死に彩花の腕を叩くが、引き返すにも道がどんどん変化していく。


 ☆☆☆


 霧が濃く立ち込め、視界がほとんど見えなくなっていく。

「ちょっと! どこよ。ここ!」


 我を取り戻した彩花が、目をパチクリさせて奈々美を見て叫ぶ。

「は? なに言ってんの! お姉ちゃんが運転して来たんじゃない!」

 わけがわからないのは奈々美も同じ、いやそれ以上である。


 彩花は妹がパニックになっていると思って、飲み物を手渡し、落ち着かせようとした。

「本当だって! お姉ちゃん。完全にイッちゃってたんだから!」

「馬鹿言わないで!」


 彩花は大声を出して、はっとする。

 現状を考えれば、妹の言うことを肯定せざるを得ない。

 まるで現実世界から切り離されたように感じる中、奈々美は二人で、ドライブレコーダーの映像を確認することにした。


 そこには、奈々美たちが通ってきたはずの道ではなく、まったく異なる風景が映し出されていた。

 ごくりと唾を飲む音が聞こえた。

 二人は茫然自失として声も出せない。

 荒れた山道ではなく、暗く湿った地下通路や、朽ち果てた街並みが次々と現れる。

「お姉ちゃん。これ変だよ。こんなところ、走ってない。走ってないよ。私、覚えてないもん!」


「お姉ちゃん! ねえ! ここ、どこなの?!」

 映像には、目を覆いたくなるような異形の生物が車を追いかけてくる映像や、存在しないはずの人影が窓に映り込む瞬間もあった。


「確かめてくる。あなたは車から出ちゃダメよ。念の為、運転席にいて。免許証は持ってきてるでしょ?」

 彩花は意を決したように車から飛び出した。

「お姉ちゃん。ダメ! 戻って!」

 奈々美は霧のなかに消える彩花を追いかけようとするが、なにかの咆吼が奈々美の足を止めさせた。


 うなり声が聞こえる。

 野犬か、熊か。


「ちょっと待って。熊が出るの? お姉ちゃん!」

 慌てて携帯電話を取り出すが、電源が切れている。

「嘘! 充電したばかりなのに!」


 車のフロントガラス越しに見えるのは、ただ濃い霧だけだった。

 霧はまるで生き物のように、ねっとりとまとわりつき、視界を覆い尽くしている。


 ヘッドライトの光は霧に吸い込まれ、わずか数メートル先も見えない。

 アクセルを踏む足が自然と重くなり、車はゆっくりと進んでいく。


 春にとったばかりの運転免許が役に立つのも、運命を感じずにはいられない。

 導かれるように、まるで引き寄せられるかのように辿り着いた知らない町。


 ドライブレコーダーは壊れたように、ノイズ混じりの映像を映し続けている。 

 画面には時折、何かが映り込むが、その正体は定かではない。


 ひび割れたガラス越しに映る影は、明らかに人間とは違う異形の存在だった。

 まるで、こちらを監視しているかのように、車の周りをうろついている。


 街の中をさらに進むと、道路はますます荒れ果て、足元から伝わる車の振動が不安感を煽る。

 遠くから微かな音が聞こえてくる。

 何かが這いずり、うごめいている音だ。


 車のライトが偶然にその方向を照らすと、異形の怪物が、歪んだ顔でこちらを見つめていた。

 巨大な瞳、歪んだ口、無数の触手。ありえないほどの大きさで、まるで悪夢から飛び出してきたかのようだ。


 私はなにを見ているの?

 怪物。怪物の町だ。


 ドライブレコーダーはノイズまじりの音がなるばかり。

 車内に緊張感が満ち、呼吸さえも浅くなる。

 両目を閉じて、蹲りたい。


 逃げたいという衝動が全身を駆け巡るが、この霧の中で逃げ場があるのかどうかもわからない。

 ただ、進むしかない。姉を捜して、それから――


 次第に町の様子がさらに異様になっていく。

 建物はひしゃげ、窓から覗くのは明らかに人間とは違う何か。

 歪んだ人間たちが、顔だけをじっとこちらに向けている。


 目が合った瞬間、彼らはまるで引き裂かれたかのように笑い出し、その不気味な笑みが耳にこびりつく。まるで、この町が生き物であり、こちらの恐怖を楽しんでいるかのようだ。


 進むたびに霧はさらに濃くなり、周囲の影がますます現実感を失っていった。

 人間はあまりに恐怖心が昂ぶると、思考が閉ざされていく。


 正気を保て。正気を保て。

 奈々美は自分に言い聞かせて、アクセルを踏んだ。


 車は、まるで重い何かに押しつぶされるように進んでいく。

 誰かが、いや何かがこちらに近づいてくる気配がする。


 全てがねじれ、狂い、逃げ場を失った世界の中で、ただ一つ確かなのは、この町が人間のいる場所ではないということだった。


 ドライブレコーダーのノイズが消えた。

 こちらに向かって何かを叫んでいる誰かの影が映し出された。

 長い髪。綺麗な女性のシルエット。

 ドライブレコーダーのなかで、姉は必死に叫んでいた。

 こっちへ来るな――と。

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