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働かざる者…

 おれとヒカリは和泉の運転する車の助手席と後部座席にバラバラに乗せられ、山の中を運ばれていた。

 ずいぶん古い型のカローラは、乗り心地は良くもなく、悪くもない。

 行き先など一切知らされておらず、文字通り「運ばれ」ている。

 いつの間にか日が暮れていた。

 街灯などひとつもない。一応道は舗装されているが、ヘッドライトが照らすものなど何も無い。前に見えるのはただ二つの光の棒だ。

 後部座席のヒカリは、一言もしゃべらない。おれのせいでこんなことになったと思っているのか。もともとおれがスズメバチの巣を刺激したからなので、間違いではない。

 とにかくヒカリの指示に逆らわないようにしよう。

「この修行は、最初は恐ろしいと思うかもしれませんが、なし遂げれば今まで見えてなかったものが確実に見えてきます」

 運転席の和泉が、前を見たまま言っている。さっきからしゃべっているのは和泉だけだ。どうやら和泉もこの「修行」をしたことがあるらしい。

 停車した。

 二人とも下ろされた。

 文字通りの「山奥」だ。

 むろんこんな土地を知らない。

「では、お気をつけて」

 それだけ言うと、和泉の車はあっという間に走り去っていった。

 一円も持っていない。

 これからどうしよう。とりあえずヒカリの顔を見た。このグループのリーダーはヒカリのはずだ。

「吾郎さん、あなたに一つやってほしいことがあります」

 とにかく今は、ヒカリの指示に従うしかない。

「あなたに、わたしの指導者になってほしいの」

「え? だけどリーダーは藤原さんだとさっき言われたけれど」

 絶対に指示に逆らうなとも言われた。

「だったら、リーダーとして命じます。わたしの指導者になりなさい! わたしは絶対にあなたの指導に逆らわない!」

 そう言われれば、そうするしかない。おれは、わけがわからないままに言った。

「わかった。とりあえず、歩こう」

 森と、かすかな水のにおいがする。月明かりはあるので、歩くことはできる。ひどい山奥だが、舗装はされている。おれたちは、道路を下り始めた。

 どこに何があるのかわからないので、当てがあって歩いているのではない。しかし、二十分ほど下っていくと、灯りが見えた。

「どうするの?」

「あの、灯りに向かって行こう」

 そうするほかはない。灯りを見つけてからさらに二十分ほど歩くと、一軒だけ建っている民家の前に出た。

 大きい。

 さすがに萱葺きということはなく瓦葺きだが、平屋建てで幅も奥行きもあり、雰囲気は昭和の百姓家のようだ。

 しかし人が住んでいるだけあって、手入れがされているようだ。荒れている感じはしない。

 玄関の前に立ったが、さすがにインターフォンは無い。

「ごめんください! 夜分にすみません!」

 引き戸の前で叫んだ。

 むろん、一度では誰も出てこない。

「ごめんくださ…」

「はーい」

 奥から、男の声がした。

 ガラリという音がして、引き戸が開いた。

 老人、といってもよさそうな男性が顔を見せた。背は低く、顔は四角い。四角い額には三本の皴が深く刻まれている。目鼻は小さく、唇が薄い。ちょっと笑ったようだった。

「どちら様ですか?」

 嘘をつかない方がいいと思った。

 良心がうずくというより、嘘をつくと後で面倒になると思うからだ。別にそんな経験をしたわけではないが、映画でも小説でもたいがいそうなる。映画も小説も好きではないが、学校で無理に鑑賞させられた。ケンカしているところを見せられるのも好きではないが、主人公が嘘をついて、それがバレて…、という展開を見せられるのもストレスだ。

 そんなことから、おれは自分とヒカリの本名と大学名を名乗った。

「清浄宗照顧寺で体験修行をしていたのですが、修行の一環だということで、ここに来ました。図々しいお願いだと承知していますが、一晩泊めていただけないでしょうか」

 男性は沈黙した。それはそうだろう。いきなり訪ねてきて泊めてほしいって、いくら山奥でも、平成時代に言われることではない。男性がまた笑った。

「いいですよ、お入りください」

 意外にも、この家の主人らしい男性はあっさり承諾してくれた。

 とにかく助かった。

 促されて玄関に入ると、広い土間がある。

 土間には五メートルくらい奥行きがあって、土間の側面に直接、二つの座敷が並んでいた。

 広い土間にぽつん、ぽつんと靴とサンダルといった履物が、きちんと揃えられて並んでいる。

 なんだか後ろから妙な気配がするので振り返ると、ヒカリがおれの肩越しに履物をじっと見ている。

 ヒカリが何を考えているのか、わからない。

 靴を脱ぎ、きちんと揃えて上がらせてもらった。

 ヒカリもスニーカーを脱いで、揃えずに座敷に上がった。

 背中を向けて、ヒカリにも主人にも見えないように彼女のスニーカーを揃えた。

 座敷も、掃除が行き届いている。決して新しくはないが、畳の上には塵ひとつ無い。

 ふかふかの座布団が出され、座卓の前に座った。

 土間に面した座敷なので、奥に入った感じがなく、あまり気を使わないですみそうだ。ここに寝かせてもらえるのだろうか。二間あるので、ヒカリと同室にならずにすむかもしれない。

 主人が奥に入っていたが、盆に食器を乗せて出てきた。ほかに人の気配がない。家族はいないようだ。

「いや、お待たせしました。なんだか今日は、秋津島とか、扶桑作戦とかいうのがこれからあるみたいで、この後不自由をさせてしまうかもしれませんが」

「いえ、勝手に押しかけてきたわけですし、不自由で当たり前です」

 それに、扶桑作戦とは何だろう。秋津島? ともに日本の古名だ。ほかに八島という言い方もある。ヤシマ…? 屋島という土地もある。これは土地というより合戦場として有名だ。そういえば、森岡が壇ノ浦とか、一之谷とか言っていたが、屋島もまた、前の二つと同じように源平の戦いの合戦だ。

 そうか。ヤシマ作戦といえば、あるアニメで、巨大ロボットに搭乗した主人公が敵を超電磁ライフルで狙撃するというものだ。

 狙い撃つということから、屋島の合戦で、平家の小舟に掲げられた日の丸の扇を、那須与一が矢で狙い撃ったという故事がヤシマ作戦の名前の由来の一つになっている。

 そしてもう一つ。必要な電力を日本中から集めてこの作戦を行うというのも、作戦名の由来である。軽快でありながらどこかスリリングなBGMに乗って、次々に街から灯りが消えていくシーンは、ゾクゾクするようなサスペンスに満ちていた。

つまり、日本の古名の「八島」も作戦名の由来であり、「ヤシマ」というカタカナの言葉はダブルニーミングなのだ。

 しかしこの家の主人といい、座主の森岡といい、二人とも世間の情報を遮断してといるのではなさそうだが、アニメなど縁がありそうにも思えない。何かこの「ヤシマ作戦」という言葉、もっと所帯じみたというか、生活に密着した意味があったような気がするのだが。

 お盆から座卓に載せられた食器を見ると、野菜の天ぷらと炊き込みご飯がよそわれている。照顧寺よりもかなりいいものが出た。おれはちょっと情けないことを言ってしまった。

「あの…、おれたちは無一文でして…」

「別に商売しているわけではないし。わたしが食べるためのものを出しただけですよ」

 挨拶をして、シソの葉の天ぷらを口に入れた。

 揚げたてだ。

 シソのさっぱりした食感と、油のじゅわっとした濃厚さが口の中に広がる。

「おいしいです…」

「それは良かった。みんなウチの畑で採れたものです」

 無料でこんなにおいしいものが食べられるのか。それに、無料で泊めてくれるという。おれは今まで、どんなことにもお金がかかると思っていた。この世でタダなのは空気だけだと思っていた。おそらくそれが、自分を金銭に執着させていたのだろう。しかしこの世の中、お金なんか無くても、案外生きていけるのかもしれない。

「はあ…、また野菜…。肉かせめて魚でも食べたいな」

 ヒカリが空気の読めない発言をした。あわてて主人の顔を見た。笑っている。しかし、フォローしなくてはならない。ここでもケンカをされたらたまらない。

「あの、履物がきちんと揃えられていて、清潔感があっていいですね」

 主が笑っている。

「はい。古い家なので、そういうところに気をつけていないと、たちまち汚い感じになってしまうのですよ」

 ヒカリが口の中のものを飲み込んでから言った。

「ずいぶん前に少年院を見学したことを思い出したよ。トイレの便所下駄をここみたいにキチンと揃えてるの。だけど院を出てから再犯して戻ってくる子供も多いみたい。ウチは靴の脱ぎ方は乱雑だけど、犯罪者を出したことはないよ。おじさんの家はどうなの?」

 何を言い出すんだ、こいつは!

「…うちも犯罪者を出したことはありません」

 主人は、まだ笑っている。しかし、このままでは確実に荒れた空気になる。かぼちゃの天ぷらを口に入れた。かぼちゃの甘味が、糖分に飢えていたこのときのおれにはものすごくありがたかった。

「かぼちゃもおいしい」

「それもわたしが作りました」

「『働かざる者は食うべからず』ですね。今は学生ですが、おれも、誰かのために役に立ちたいと思います」

 主人がちょっと顔をしかめた。何かまずいことでも言ったのだろうか。しかしどこかこの表情には、芝居がかったものも感じる。

「『働かざる者食うべからず』ですか…。あまり品のいい格言ではないと思います」

 ちょっと意外な反応だった。確かにおれとヒカリは、対価もなしに食事をしているのだが、主人は農業をしているらしい。ならば、労働を人生でいちばんの価値においてもおかしくないと思うのだが。

「この言葉には、『おまえら、働かないなら食うな』という、他人への恫喝や、働かなくても生きていられる他人への嫉妬が感じられます。そういう品の無さがわたしは好きではありません」

 主人の素朴そのものの姿や所作に反して、なんだか洗練された言葉が出てきた。そしてもう一つ、森岡が宮口に似たようなことを言っていたことを思い出した。

「もともとこの格言はもっと品のいい言葉でした。むかし、中国で百丈和尚という方が、弟子と畑仕事をしていました。しかし百丈和尚が高齢であることを心配した弟子たちが、和尚の畑道具を隠してしまいました。和尚は、道具が無いので仕事ができません。止むを得ず、部屋で書見をしていました。その夜、弟子が和尚のもとに食事を運んでいったところ、和尚は食べようとしません。弟子がなぜ食べてくれないのかと聞くと、和尚はこう言った。『一日作さざれば一日食らわず』と」

 正直言っておれには、これが「働かざる者食うべからず」とどう違うのか、よくわからなかった。

「『働かざる者は食うべからず』というのは、働かない奴は食うな、ということで他人への強制です。しかし『一日不作一日不食』は自分への戒めです。これがあんな品のない言葉に変わってしまったのです」

 そういうことか。

「ねえ吾郎、『一日不作一日不食』が、いつ『働かざる者食うべからず』になったかわかる?」

 ヒカリが天ぷらをむしゃむしゃ食いながら言った。

「他人をテストするって趣味が悪いぞ」

「その言葉が外に出た時から」

「何を言ってるんだ」

「その和尚さんが、自分の心の中だけでそう思っていたなら自分への戒めですんだでしょう。だけど、他人に言ってしまったら、『一日働かなければ一日食べるな』って意味になっちゃうんだよ。だって、言った相手は弟子なんでしょ。弟子からしたら、師匠にそんなことを言われたら『その日働かなかったら、その日は食べるな』って言われたとしか思えないし。その弟子がさらに他人に伝えれば、『働かざる者食うべからず』になるに決まってるじゃん。だから、その和尚さんが『一日作さざれば一日食らわず』って心の中で思っていた時にはそうではなくても、口に出したと同時に他人への強制になったんだよ」

 主人の笑顔が消えた。真顔になっている。ものすごく気まずい。

「しし唐って好きじゃないんだよね。辛くなくても、苦いというかなんというか」

 ヒカリはそんな空気の中で、まずそうな顔をして食べている。

 おれは、とにかく食べることに集中した。

 あっという間に食べ終わってしまった。

 ヒカリが食べ終わるのを待つと、ヒカリを連れてお礼もそこそこに百姓家をあとにした。

 道路に出ると、歩きながらヒカリに言った。

「ヒカリ」

 思わず呼び捨てにしてしまった。それほどこの時のおれは彼女に腹を立てていた。さっき、下の名前を呼び捨てにされたような気もしたが、そんなことはどうでもいい。

「なに」

 ヒカリはすぐに返事をした。

「あのな、おとなしくしてれば泊まれたんだぞ。野宿するつもりなのか!」

 夏とはいえ山の上は涼しい。寒くなってくるかもしれない。それに、蚊に襲われる恐れもある。蚊ならまだしも、また蜂に襲われたら…。

「あなたが野宿しろって言うならそうする。指導者はあなたなんだから」

「そういう問題じゃない。せっかく親切にしてくれていた人に、なんであんなことを言ったんだ!」

「あなたが、生きていくのに大切なことのひとつを忘れかけていたから!」

 その時、一台の車がおれたちを追い越して路肩に止まった。さっきの、お寺の車だ。和泉が降りてきた。

「すぐにお寺に帰ってください!」

 なんだか、ずいぶん短い修行だった。ここに降ろされてから、まだ何時間も経っていない。

「座主が、亡くなりました」




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