魔境
次の日の、昼の座禅の時である。
完全に目をつぶっているわけではない。
座禅を組んでいる人の後頭部がぼんやり見える。
宮口が警策を持って座っている人々の間を歩いている。
静寂がここちよい。
聞こえてくるのは、蝉の声だけ。
山中であるためか、盛夏であるのに、ヒグラシの透明な声が聞こえてくる。
いつものようにゆっくりと呼吸する。
呼吸する。
呼吸する。
呼吸する。
呼吸する…。
それは突然やってきた。
尾てい骨からマグマが湧き上がってきて、背筋を通り抜けていった。
振動する。
しびれる。
太陽のようにまぶしい。
明るい。
金色の光が頭上から目の前にかけて昇る。
なんだこの幸せは。
何回も何回も昇る。
光が昇るたびに幸せが強くなっていく。
断じて夢ではない。
その証拠に、前の人の後頭部がぼんやり見える。
ヒグラシの声が聞こえる。
ヒグラシの高い声が、きいいんと体の中を通り抜ける。
目の前にスクリーンが現れた。
見たこともない草原が見える。
青々とした草が濡れたようにつややかだ。
ぎらぎらとした太陽がいくつも出ている。
仏の顔が見えた。
そのお顔は洗練された整った目鼻立ちながらも、慈愛に満ちている。
聞いたこともないお経とともに、快い音楽が聞こえてくる。
すべてがきらきら光っている。
おれは、一度も経験したことのない幸せに包まれていた…。
「喝!」
目の前に警策を構えた宮口が立っていた。
肩を警策で叩かれた。
いつのまにか、さっき見えていたものが全て消えた。
「おまえは今、魔境に入っていた」
いきなりおまえ呼びをされた。宮口とは二日目以降ほとんど接触がなく、ここに来た時の紳士的な対応が心に残っていただけに、少なからずショックだった。
「光明寺さん、あなたが今見たものは、ただの錯覚だよぉ」
いつかのように、背後から森岡の声がした。
「栄養が不足して、ずうっと静かなところに座っていれば、幻覚だって見えてくる。つまりは、腹が減りすぎてワケのわからないものが見えてきただけだぁ」
その言い方に、宮口が少し顔を歪めたようだった。
「仏に会うたら仏を殺す」
森岡は、それだけ言ってどこかに言ってしまった。
「『殺す』とは『黙殺する』ことだ。何が見えようと『受け流す』。これが修行だ」
宮口が親切にも解説してくれた。