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座主

それからは、グループワーク、座禅、清掃、食事、就寝を毎日繰り返した。全て時間で動いているため、寺の各部屋には全て大きな時計がかけてある。時間に追われる毎日を過ごした。スマホを預けたが、ここにはテレビも新聞も無い。むろんネットも無い。外界からの情報が遮断されている。信者たちだけでなく、宮口も自分を外の情報から遮断しているらしい。

別に苦にもならないが、自分が変わったとも思えない。そんな毎日だった。しかしひとつ気になったのは、いっしょに行動するメンバーが毎回変わっていることである。寝室は男性全員で雑魚寝であるが、毎日布団の位置が変わった。食事の時でさえ、同じテーブルに座る人たちが毎回変わっていた。ヒカリのことは気になったが、あれ以来トマトが出ていないので多分大丈夫なのだろう。そういえば、食事ごとに配膳される量が減ってきている。

 そんな、ある朝の座禅のときのことだった。

 脚を組んだ後、いつものように、教えられた通りの手順を踏む。

 下腹部を引き締め、鼻の穴から息を吐きだす。

 鼻の穴から息を入れ、入れた息を腹、胸の順に満たしていく。

 下腹部を引き絞るように息を出し切る。

 これを何回も繰り返す。

 目の前に緑色が見えてきた。

 そのうちに、菊の花のような模様が見えてきた。

 模様は、ぐるぐる回り始めた。

 しかし、ただの錯覚のような気もした。

 その日のグループワークの時である。

 メンバーは、自分と和泉、初めていっしょになる若い男だった。若い男は黒田と名乗った。

 和泉から、初日と同じように、ここに来た理由を問われた。

 初日と同じことを答えた。

 黒田が言った。

「おまえ、教師になんかなるな」

 そうかもしれない。

「何だそのあまったれた思考は。目の前で人が怒られてると、自分も怒られてるような気がする? だったらなんだ! 社会人っていうのは、自分が苦手なことを克服してこそ成功者になれるんだ!」

 成功したいわけではないが。

「教師になろうっていうなら、自分独自の教育の理想ってものがあるはずだ! だけどおまえの話を聞いていても、そんなものは全く感じられない! おまえは、何を子供に教えたいんだ!」

 今までおれが出会ってきた教師たち。彼ら彼女らがおれに教えてくれたことって何なのだろう。色んなことを言われてきたけれど、変わらず目の前で人が怒られているのを見るのが辛い。ずっと前からそうだ。おれは教師にどんなに怒られても殴られても、この辛さに慣れることはなかった。怒りや暴力というのは、慣れることなどできないものなのだろうか。

 黒田が似たようなことをずっと大声で言っている。

 別のグルーブで、少し離れたところに座っていたヒカリが、こちらを見ていた。

「おまえみたいな奴が教師になったら、こどもが気の毒だ!」

 そう思って教官に、「この単元はやりたくない」と言ったら怒られた。

「おれの親父はな、おれが小学生のときに、担任に『殺しちゃ困りますけど、死なない程度だったら殴ろうが蹴ろうが何をしてもかまいませんよ』って言ったんだ!」

 すると、ヒカリがこっちを見たまま立ち上がった。

「それはね、あんたの父親が、『うちは過保護じゃありません。すごいでしょ』って周りの大人に自慢したかっただけなんだよ!」

 黒田がそちらを向いた。ヒカリに何か言い返そうとしている。ああ、目の前でケンカするな。ものすごいストレスだ。耳をふさぎたい。ここから逃げたい。ふいに後ろから声がした。

「黒田さん、あなたは変わらないですねえ」

 振り向くと、赤ら顔で禿げ頭の中年男が立っていた。五十代くらいだろうか。粗末な作務衣を着ている。少しアルコールのにおいがした。

「成功とは、苦手なことを克服すること。それはそうかもしれない。だけど仏道っていうのは、努力すればなんとかなるとか、そういうことじゃあ、ないんだよぉ」

 中年男はそれだけ言うと別のグループのところに行ってしまった。ヒカリはというと、宮口に何か言われている。

和泉に聞いてみた。

「今の方はどなたですか」

「この寺の座主の、森岡祐司さんです」

 やはり平凡な名前だ。本名なんだろうか。住職ということは、森口より偉いのだろう。だけどアルコールがにおった。

「不飲酒戒もそうなのですが、五戒を守るというのは、あくまでも手段であって目的ではありません。悟りを拓くのがわたしたちの目的です。座主は解脱をしていらっしゃいます。修行などなさらなくても、最初からそうなのです。実は、生まれつきのご病気で、毎日薬を飲まないとお命が縮まってしまうそうなのですが、そのようなことは何も気になさらず、悠々と生きていらっしゃいます…。と、宮口さんから聞きました」

「名前で呼んでいるのですか」

「はい。『僧侶らしい名前で呼ばれると、偉くなったような気がするから』と、名前で呼ぶように言われています。ただ、座主本人には『森岡さん』と呼びかけますが、他の信者に言う時は『座主』と呼んでいます。宮口さんから、そうするように言われました」

 なんでも宮口次第らしい。

「つまり、座主がいちばんこの寺で偉いということですか」

「『偉い』などと言われたら、座主はきっと大笑いすると思いますが…。先ほど言った通り、座主は解脱をしている。解脱とは、『心の中のとらわれ、こだわりから自由に生きる』ことです。座主はそれを修行などしなくても獲得している。座主が昼間からビールを飲んでいることなど珍しくもありませんが、『酒を飲みたいという欲にとらわれる』などということは決してありません」

 そうだ。だからおれは、修行すれば『目の前でケンカしないでほしい』などという思いから解放されるんじゃないかと思ってここに来た。

「しかしわたしなどはまだまだその境地に達していない。だから毎日修行をしなければならない。ここを出たら、またいろんな欲や迷いにとらわれてしまうでしょう。だけどここにいれば、修行を強制してくれる人がいます」

「修行を強制って…、まさか閉じ込められるんですか?」

「部屋に監禁されるわけじゃないです。しかし、部屋の四隅に他の信者さんがいて、出ようとしたら連れ戻してくれます」

 黒田が言った。

「監禁してもいいと思う。学校教育でも、それくらいすべきなんだ!」

 どうやらこの男には、さっきの宮口の言葉も影響しなかったらしい。



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