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トマトの漬物

夕食の時間になった。食堂に呼ばれたが、ここも広い。和室ではなく作りは学生食堂のようだ。もっとも作りがそうだというだけで、あのがやがやした雰囲気は微塵もない。真っ白い壁に真っ白い床。広い壁には装飾らしいものは一切ない。いちばん変わっていると思ったのはテーブルの向きである。向かい合って座らない。全員が同じ方向に向かって座る。なんだか大学の教室のようだ。細長いテーブルにはテーブルクロスもかかっておらず、白い塗料が塗られた天板が剥き出しになっている。一つのテーブルに三人ずつ、男女が互い違いになるように座っている。さっき座禅を組んでいた全員だろう、百人くらいの人が何も言わずに座っている。食堂に入ったら一言もしゃべるなと言われた。そんなことは苦にはならない。この先、世界中で感染症でも流行ったら、ふだんでも黙って食事をするようになるのかもしれない。座るように言われた席は、いちばん後ろだった。黒い後頭部の群れが、なんだかトウモロコシ畑のようだ。目の前にはご飯とみそ汁、皿には野菜サラダが山盛りになっている。小鉢にはトマトの漬物が入っていた。しかし、サラダがあるのに、ドレッシングの類が一切テーブルに無い。

 ここが教室だとしたら、教卓があるような場所に宮口が立っている。

「それでは皆さん、感謝してご飯を頂きましょう。今日新しく参加された方がいるので、改めてお寺の規則についてお話します。五戒と呼ばれているものです。不殺生戒、生き物を殺してはいけない。不偸盗戒、他人のものを盗ってはいけない。不邪淫戒、性行為をしてはいけない。不妄語戒、嘘をついてはいけない。不飲酒戒、お酒を飲んではいけない。この五つが基本となります。さらに、用意された食事はすべていただく。残してはいけません。では、五感の偈をとなえましょう。…一、この食事がどうやってできたのかを考え、この食事に関わった全ての人に感謝します」

宮口の言葉に続いて全員が言った。

「一、この食事に関わった全ての人に感謝します」

「二、自分にこの食事を頂く価値などないのにいただけることを感謝します」

 同じように全員が続く。

「三、空腹のあまり怒りっぽくなったりして、過ちを犯したりしないためにいただきます」

「四、この食事は薬であり、健康のためにいただきます」

「五 自分の道をなしとげるためにいただきます」

 全員が食器の音を立てて食べ始めた。

 肉や魚のおかずが一切無いのは、「不殺生戒」のためだろうか。

 まずご飯を口にした。そんなにいいお米を使ってはいないようだが、まずくはない。

 みそ汁を飲んだ。まずい。しょっぱいだけで何のうま味もない。出汁を取っていないらしい。化学調味料をかけただけでだいぶ味がかわりそうだ。これも、不殺生戒のためだろうか。

 サラダは、かけるものが何もないため、そのまま食べた。まずい。一応塩味はついているが、決してうまくはない。もっとも、二つとも食べられないほどではない。いちばん気になっているのはトマトの漬物だ。

 食べてみるとうまい。これがいちばんおいしい。人によって好き嫌いはあるだろうが、クセがあっておいしい。どうやらこれをおかずにしてご飯を食べることになりそうだ。もっとも、小鉢に入っているだけで量は少ない。

 ふと、右隣を見た。ヒカリが泣きそうな顔をしてトマトの小鉢をにらんでいる。

 トマトの漬物に親でも殺されたのか。

 しかし、トマトを食べられない人っていうのは、けっこういると聞いた。

 そういえばさっき、宮口が「食べ残し禁止」と言っていた。

 …誰もこっちを見ていない。

 右手の箸でヒカリのトマトをつまみ、自分の口に放り込んだ。

ヒカリの安堵のため息が聞こえた気がした。

 夕食後の座禅には自分も参加することができた。

 線香のかおりが快い。

 一時間、足を組んで座った。

 何も起きなかった。

 ただ、廊下でヒカリとすれ違った。

 彼女らしくもない低い声で言った。

「ありがとう」

 もしかしたら余計なお節介だったかもしれない、と思っていただけにちょっと安心した。

「わたしは修行じゃなくて取材に来たのに。トマトなんて人間の食べ物じゃないよ。わたしはスズメバチに刺されたことがあるから、トマトとハチが大嫌いなんだ!」

 そのエピソードとトマトは関係ないと思うが。トマトが人を襲う映画を思い出した。その時、足音が聞こえた。まだ話したそうだったが、ヒカリは足早に去っていった。

 歩いてきたのは和泉だった。

「就寝が近いですから、早く入浴をすませてくださいね」

 それだけ言うと、忙しそうに歩いていった。




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