文明の味
おれはぐちゃぐちゃした人間だ。
後悔ばかりするし、執念深いし、いつまでも根に持ってるし、嫉妬深いし、腹を立ててばかりいるし、腹を立てた相手にひどいことを言って言った後に後悔するし、言った後に後悔して謝って、謝ったことを後悔するし。
これから十年、二十年経つうちに、おれは言うことも変わるだろう。やることも変わるだろう。
だけどこのぐちゃぐちゃした性格だけは死ぬまで変わらないだろう。
あの寺にずっとい続ければ、もしかしたら変われたのかもしれない。
だけどおれは、宮口のようにも森岡のようにもなりたくはない。
宮口は悟りを得るために努力し続けていた。
森岡はそんな宮口に「努力し続けている自分」に囚われていると言った。
宮口は森岡に「何ものにも囚われないように努力する」と答えた。
森岡はさらに宮口に「何ものにも囚われないことに囚われてはいけない」と言った。
何ものにも囚われないことに囚われてはいけない。
何ものにも囚われないことに囚われないことに囚われてはいけない。
何ものにも囚われないことに囚われないことに囚われないことに囚われてはいけない。
この教えは、突き詰めれば突き詰めるほどに、玉ねぎの皮むきにしかならない。
だからおれは、いろんなことに囚われながら生きていくことに決めた。
おれは、ぐちゃぐちゃした性格のまま生きていくことに決めた。
おれはこれからも仏壇に手を合わせるだろうが、それは仏様だからではなくご先祖さまだからだ。
教師になれば、説教されている奴を毎日のように見ることになるかもしれない。そのたびにおれは自分が説教されているような気がするだろう。だから、辛かったら逃げよう。逃げられなかったら、そういうもんだと受け入れよう。受け入れきれなくなったら、辞めよう。
とにかくおれは、今の自分のまま生きよう。
安ホテルのベッドでまどろんでいると、懐かしいにおいがした。
ズルズルいう音がする。
緊急避難したホテルにツインの一室しか空きが無かった。昨日ヒカリとともにこの部屋に入った後、「おれは外で野宿しようか? 夏だし。おれが部屋にいたら安心できないだろ。『不邪淫戒』って言われて隠したいことを暴露されたとか、『恋愛関係を潰すために自分をリーダーにされたけれど、潰されないために吾郎を指導者にした』とか、『おれの生涯賃金の半分をもらう』とか言ってたけど、変に自惚れてないから安心していいよ。みんな、『ヤシマ作戦』まで時間を稼ぐための方便だったんだろ」と言ったら、往復びんたを食らった。いや、グーだったか?
その後、のしかかられて「女の子にこんなことをさせて! こんな恥をかかせて! 責任取らせるからな!」と上から言われていたことは覚えている。何日も禁欲していた体で、ヒカリの攻撃に耐えられるわけがなかった。あまり思い出したくない。いや、あれは自分もそうしたかったのだ。一方的にやられたわけではない。男の尊厳にかけてそう思うことにする。
起き上がってにおいと音の元を見ると、夕べおれを暴行し、おれを凌辱し、おれをはずかしめた女が、こちらに背を向けて、全裸のまま長い脚を折りたたんであぐらをかき、カップヌードルをすすっていた。
「謝らないよ。もともとキミが悪いんだからね」
向こうのベッドの上の、ヒカリの背中がひどくきれいだ。白い肌に、よく手入れされた髪がかかっているのがなまめかしい。
ビジネスホテルの硬いベッドのせいで、坐っている体が沈まず、美しい尻の割れ目の上が見えている。
しかし、部屋に充満したにおいと音がおれをいらだたせた。ゆうべの暴挙の記憶も相まって、大声を出してしまった。
「おい、そのカップヌードルをよこせ!」
ヒカリは背を向けたまま、右手を伸ばして封の切っていないカップヌードルをベッドの上に置いた。
「お湯は自分で入れな」
おれはカップヌードルの封を切って蓋を開け、お湯を注いだ。しょうゆのかおりが一気に鼻孔にとびこんできた。待っていられない。そのまま汁を飲んだ。濃い醤油味とはっきりとでている出汁。
うまい。
寺での食事はおろか、あの家で食べた揚げたての天ぷらよりもはるかにうまい。
蓋を完全に開いた。
箸もフォークもない。いやがらせだろうか。
デスクの上のボールペンを二本取った。
箸がわりにして麺を食う。
うまい。
麺が硬いが気にならない。そこに塩辛いスープがからむ。ときどきプラスチックの苦い味がまじるが、これこそが世俗の味、いや故郷の味だと思った。
涙を流しながらカップヌードルをすすり続ける。
ふと視線を感じて振り向くと、丸裸の女が割りばしを手にして、呆れたような顔をして立っていた。
了




