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まぜもの妖談2 ~人の剣~  作者: 仲山凜太郎
9/12

【九・決意】


 烏天狗の姿で、鞍馬が文字通り美味菜温泉に飛んで帰ってきたのはそれから二時間ほど経ってからだった。

「遅えぞ部長、何してた!」

 美味菜温泉の屋上では高尾山太郎が怒声で出迎えた。既に日は落ちているとは言え、駅前にある美味菜ビル周辺は明るい。烏天狗の姿で降り立つのは目撃される恐れがあるが、そんなことを考えている場合ではなかった。

「それより明子、遠野さんは無事ですか?!」

「かなりやばい。爺さんが油塗りたくってるけど」

 高尾の先導で鞍馬は美味菜温泉寮の明子の部屋に駆け込むと、明子は葛生や雫たちに囲まれ、ベッドの上で上半身を包帯に包まれて横になっていた。顔からも肌からも血の気が失せており、妖力はもちろん、生命力もほとんど感じられない。雫が両手を明子にかざしている。明子に妖力を注ぎ込み、少しでも抵抗力を上げようとしているのだ。運び込むときに流れ出たのだろう、部屋の床は血まみれだった。

「遠野さん」

「静かにせい」

 葛生が油壺の蓋を閉め、血まみれのタオルや包帯を脇に置いた。この油は大蟇のまぜものである葛生の体から流れでた「蟇の油」である。かまいたちの薬と並ぶ日本の妖に伝わる妙薬で、病気には効かないものの、怪我、特に切り傷や火傷などに効果が高い。

「とりあえず傷は塞いだ。が、安心は出来ん」

 妖力を注ぐ雫の邪魔にならないよう、鞍馬たちは部屋を出た。

「温泉は臨時休業にした。このまま営業するわけにはいかんからの」

 お客のいない美味菜温泉フロント。

 出口へと通じる床は血で汚れ、蒋たちが掃除しているがなかなか落ちない。

「葛生さん。警察の人が」

 女性従業員の一人が困ったように呼びに来た。あんな騒ぎがあったのだ。誰かが警察に通報したのだろう。

「仕方がないの。ちょっと説得してくるか」

 困ったように笑い、葛生が出て行った。彼の言う説得とは妖力を使った催眠、つまり誤魔化しである。

「まったく、用心棒のプライドを踏みにじる一件だぜ。これで遠野が死んだら目も当てられねえ」

 自虐的な笑みを浮かべ、蒋は事情を説明した。

「その男、いきなり会計もせずに柵を跳び越え逃げやがった。ありゃ金がなくて逃げようとしたんじゃねえ、ゲームのつもりで逃げをやらかしたんだ。一般客だから名前もわからねえ」

 その男は、明子の体を切り裂き、彼女が倒れた混乱をついて逃げ果せていた。蒋も男の追跡よりも明子の介抱を優先して深追いはしなかった。

「防犯カメラの映像は?」

「さっき見たが映ってねえぜ。最初から金を払う気がないんだったら、入るときも映らねえようにしていただろう」

「どこかのグループに所属しては」

「あちこちに問い合わせたけどまだ返事はない。あんなことやってんだし、さすらいだろう」

さすらいというのは、思いだしたもののどこのグループにも属さず、一人で勝手気ままに活動しているまぜもののことである。最初からどこにも接触しないものもいれば、グループに接触したもののそりが合わず出て行ったものもいる。

「その男はどんなでした?」

「そうだな」

 蒋が男の見た目や能力を説明するにつれ、鞍馬の顔が険しさを増していった。

「なんだ。心当たりでもあるのか?」

「……いや」

 小さく首を横に振る。

「まいったまいった。久しぶりに人を操るのは疲れるわい」

 軽く首筋を揉みながら葛生が戻ってきた。

「少なくとも、表沙汰にはならずにすみそうじゃ。後は明日までに痕跡を消すことじゃな。それは立壁にまかせようか」

 立壁はぬりかべのまぜものである。左官の能力が高く、壁や床の修繕をさせたら超一流だ。この血まみれの床や壁の血痕も、一晩でどうにかするだろう。

「あとは明子ちゃんが回復してくれればとりあえず一安心じゃな」

「安心のわけねえだろう。あいつを捕まえてぶちのめさなけりゃ、俺の顔はつぶれたままだ!」

 如意棒を生み、床に突き立てる。突き立てられた床石が割れて破片が飛び散った。

 さらに蒋は鞍馬を見、

「鞍馬、遠野が助からなかったら、俺を斬れ。犯人の男をぶちのめした後にな」

「お断りします。蒋さんに落ち度はありません」

「落ち度はなくても責任があるんだよ」

 互いに厳しい目を向ける蒋と鞍馬を

「二人とも落ち着け。それと鞍馬、いつまで烏天狗のままでいる」

 と葛生が割って入る。

 鞍馬は改めて自分の姿を見た。戻ってからずっと烏天狗のままだ。軽く舌打ちすると人間の姿に変わった。

「明子ちゃんはそう簡単に死にはせん。何しろわしが彼女にたっぷりと油を塗っておいたんじゃからな。いや、塗ったときのおっぱいの感触は何とも」

 鈍い音と共に葛生の体が壁に叩きつけられた。蒋と鞍馬が同時に蹴り飛ばしたのだ。蒋はともかく、鞍馬も参加するのは珍しい。

「痛い。老い先短い年寄りの冗談ではないか」

「冗談にして良いネタと悪いネタがあるんだ!」

 騒ぐ蒋たちを残して、鞍馬は明子の部屋に戻った。

 相変わらず横になった明子の傷の部分に手をかざし、雫が妖力を注いでいる。妖力を注いで相手の生命力を回復させるのは、かなりの熟練を要する。美味菜温泉でもこれが出来るのは雫と葛生だけだ。その雫もこれだけの妖力を注ぐのはほとんど経験のないことだろう。彼女の顔色も少し悪い。

「大丈夫ですか」

「ええ」

 妖力を注ぐのを止めて雫が大きく息をつくと、傍らに置いてあった湯飲みの冷や酒を一気に仰いで喉に流し込んだ。

「すこし落ち着いたね。このまま安定すれば」

 確かに、明子の顔色は先ほどに比べて血色が戻っていた。

 明子の傷は、左肩から乳房にかけて袈裟懸けに斬られた一刀だけだが、その威力はわかる。人間だったら間違いなく真っ二つにされているだろう。

「襲いかかられたとき、とっさに身を引いたんだね。でなければ、いくらまぜものの生命力でもたまらなかったよ」

 鞍馬は「失礼」と明子の裸の上半身に手を伸ばす。

「おっぱいには触らないようにね」

「爺と一緒にしないでください」

 真顔で答えながら、包帯越しに明子の傷をなぞる。

(この太刀筋は……)

 次第に鞍馬の顔が険しくなっていく。

 明子の部屋を出ると、廊下では高尾と瑞雪が不安げな顔で立っていた。

「あの……、先輩は」

「大丈夫です。それより、君たちも休んでください。明日は学校があります。遠野さんはしばらく休みますから、新聞部の仕事が少し増えますよ」

「部長、犯人捜しはしないのかよ」

「どこをどうやって捜すんですか?」

「とにかく聞き込みなり何なりして」

「この前の人喰いの一件でもわかっているでしょう。このことは公には出来ません」

 鞍馬は指を高尾の胸に挿し

「君は何でも自分がやらなければ気が済まないようですけど、それは他の仲間を信用していないと言うことです。密かに情報を集めるのを得意とするまぜものは何人もいます。彼らに任せましょう」

「部長!」

 高尾の怒声が廊下に響いた。

「遠野先輩をああした奴を自分の手で見つけてぶちのめそうとは思わないのかよ!」

 いきり立つ高尾の体がいきなり硬直した。細めた鞍馬の目が、その目から放たれた視線に体を射貫かれた途端、動けなくなったのだ。

 鞍馬は無言のまま二人の脇を通り過ぎた。廊下を曲がり、鞍馬の姿が見えなくなった途端、高尾はその場にへたり込んだ。

「山太郎……さん。大丈夫」

 蚊の鳴くような声と共に、心配そうに瑞雪が高尾をのぞき込んだ。

「は……はは……」

 高尾が顔を崩しながら笑い出した。引きつってはいるが、どこかうれしそうな笑いだった。


 鞍馬を待ち構えていたのは高尾たちだけではなかった。

 彼の部屋の前では、蒋が壁にもたれて待っていた。

「ちょっといいか」

 鞍馬は頷くと、蒋を自室に招き入れた。鞍馬の部屋は十二畳二間の和室である。美味菜温泉の職員寮は、入寮者がまぜものの姿でくつろげるように広めに作られている。

「相変わらず面白みのねえ部屋だな」

 家具と言えば部屋の隅に小さな本棚とノートパソコンを乗せた大きめのちゃぶ台だけだ。ただ、壁に飾られたいくつかの絵がそれなりのにぎやかさを作っている。もっとも、蒋は絵に興味はないのでそれについての評価はなかった。

「エロ本ぐらい買えよ。それともそのパソコンにはお気に入りのエロサイトが登録されているのか」

 本棚に並ぶ雑誌を見て蒋はため息をついた。どれも人間の姿になるときに変化をつけるために買ったファッション誌だ。他には数冊、絵画や俳句の本がある。

「このパソコンは情報収集用です。それで何ですか。言いたいことがあって来たんでしょう」

 真顔になった蒋が座り直し

「さっきは言えなかったが、お前の耳には入れとかなきゃならんと思ってな」

 つまり、鞍馬以外には聞かせたくないことなのだ。

「遠野を斬った奴だが、ロビーで何度か打ち合った時に感じたんだが、そいつの太刀筋はお前の剣とよく似ている」

 鞍馬の眉が微かに動いた。

「打ち合ったのは数度だし、俺の気のせいかも知れねえ。けど、どうもあいつの剣はお前の剣と根は同じ、ぶっちゃけた話、お前と同じ流儀のような気がしてたまらねえんだ。あのやたら格好つけた名前の流派」

「花鳥風月流」

「それそれ。お前だってその流派の剣士全員知っているわけじゃねえだろうが。こいつに関しちゃ、お前、心当たりがあるんじゃないか」

 わかってるさとでも言うように蒋が口の端を緩めた。

「まったく……」

 鞍馬は諦めたように

「私もその男のことは今日知ったばかりで、調査を始めたところです。ですから、これから言うことは全て仮定の話として聞いてください」

 そして鞍馬は話し始めた。

 しばらくして鞍馬の部屋を出た蒋に、高尾と瑞雪が駆け寄った。

「蒋さん、部長の様子はどうでした。遠野先輩の仇を取る気になりましたか?」

「仇って、まさか死んだのか?」

 真っ青になった蒋に高尾は慌てて首を横に振り

「いや、仇ってのは言葉の綾です」

「馬鹿野郎、脅かすな」

 睨み付けながら蒋が高尾の頭を軽く小突き

「この件に関しては何もするな」

「へ?」

「鞍馬に任せる。あいつから助けを求めてくるまで何もするな」

「それって、部長一人でやるって事ですか? 俺達は仲間はずれですか」

「馬鹿野郎!」

 先ほどよりも強くど突き

「ぐだぐだ言うな。こいつは鞍馬の獲物ってことだ!」

 それだけ言うと蒋は自分の部屋に戻っていった。

「痛え……」

 殴られたところをさすりながら高尾は起き上がる。

「大丈夫?」

 心配そうな瑞雪の頭を軽くなで

「大丈夫だ。けど安心した。やっぱり部長はやる気満々だ。俺達の助けは入らねえっていうのはちょいと気に入らないけどな」

 高尾はうれしそうに鞍馬の部屋の扉を見て笑った。


 自室で鞍馬は、東京で仕入れてきた事件記録を畳一杯に並べ、それを順に手に取り読みふけった。どれもハッキリしたわけではないが、京がやったのではと思われる事件だ。

 高校での京の逃亡から後、似たような手口、つまり大ぶりの刃物が凶器と思われる事件で犯人が捕まっていないのをリストアップしたのだ。時間の都合で完全ではないが、追加情報は後で送られることになっている。

 人の被害は京の逃亡から三ヶ月ほど経ったときに立て続けに三件起こっている。だが、それから二年は人の被害はない。その代わり自動販売機やATMが被害に遭っている。どれも機械が綺麗に両断されている。

(つまり金を目当てに人を襲ったものの、現金をあまり持っていないので目標を自動販売機やATMに変えた)

 最初は自動販売機。しかし、当然ながら手に入るのは小銭ばかりだ。ATMを避けたのは、防犯カメラを恐れてのことだろう。それが襲うようになったのは

(妖力によってカメラに写らないようにすることを覚えた。あるいは単に面倒くさくなった)

 からだろう。ATMの被害は今でも続いている。直近のは先週だ。

 その後、今まで京が犯人と思われる手口の殺人は十二件。被害者はみんな喝上げや暴行の常習者だった。中には警官もある。

(亰君を良いカモだと思って脅したら返り討ちに遭った。ということですか。警官は職質でも受けたのでしょうか)

 被害者たちの傷はみんな左肩からの袈裟懸け、しかも、肩の後ろの方まで斬られている。斬った奴が前にではなく、上にいるような袈裟懸け。明子の傷と同じだった。

 蒋の話によると、男は明子に向かって跳躍し、彼女の肩を跳び越え様に切りつけたと言うことだ。

「やっぱり」

 鞍馬は呟き頷いた。すでに彼の頭の中では、京慎太と目の前の事件記録の犯人と美味菜温泉で明子を斬った男は全て同じ人物になっている。

(次の日曜日ですか……)

 京を捕まえようとするならば、タイミングは難しくない。次の日曜日に彼は狭間と真剣勝負をする。その時を狙えば良い。問題はそれまでだ。

(おとなしくしてくれれば良いですが)

 その時だった。扉が激しく叩かれ

「部長。早く来てくれ。遠野先輩がやばい!」

 高尾の声に鞍馬はすぐに扉を開けると、そのまま高尾を突き飛ばして明子の部屋に走り出す。

「ちょっと部長!」

 慌てて高尾も追いかける。

 鞍馬が明子の部屋に飛び込み、ベッドを見て

「これは?」

 明子のパジャマだけがベッドの上に横たわり、右に左に苦しむようによじらせている。いや、パジャマは膨らみ、包帯も見える。彼女の体が透明になっているのだ。

 明子は無姿と言う体が見えない妖、簡単に言えば透明人間のまぜものである。だから彼女の肉体が透明になっていても不思議はない。しかし、彼女は必要に迫られない限り無姿にはならない。

「まずいぞ。明子ちゃんの力が抜けていく」

 葛生が注連縄をあちこち巻き付けた大蟇の姿に変わる。彼は大蟇と注連縄の付喪神のまぜものである。かれは体の注連縄を外し、姿の見えない明子に巻き付けた。注連縄は様々な境界線を作り出す。妖力の出入りできない結界を作り出し、明子の妖力がこれ以上抜けないようにするのだ。

 できればここで新たに妖力を注ぎ込みたいが、既に葛生も雫もかなりの妖力を彼女に注いでいる。これ以上は二人の方が苦しい。

 ならばと鞍馬の姿が烏天狗へと変わる。

「爺、注連縄を外してくれ」

 一瞬躊躇した葛生だったが、

「わかった」

 注連縄を外した。入れかわるように鞍馬が明子の横たわるベッドに乗り、無言で明子を抱きしめた。

 さらに烏天狗の翼が広がり明子を包み込む。ゆっくりと妖力を彼女に向けて放っていく。

 静かに鞍馬は目を閉じ、そのまま動かなくなった。

「部長、何してんだ?」

 葛生の注連縄を引く高尾に、葛生は

「黙っとれ」

 とだけ言った。

 そのまま時間が流れた。

 窓から流れ込む朝日を顔に受け、壁にもたれていた高尾は目を覚ました。

「やべ、寝ちまったのか」

 体を起こすとベッドを見る。彼が最後に見たのと同じように、鞍馬が翼で明子を包み込んだままでいた。葛生と雫の姿は見えない。彼の横では、瑞雪が床に横たわって寝息を立てている。

「部長?」

 恐る恐る鞍馬に声を掛ける。動こうともしない彼に高尾は嫌な予感がした。

 鞍馬の目が弱々しく開いた。

「高尾君」

「何ですか!?」

「声が大きいです」

「すみません!」

 ゆっくり息をついて鞍馬は

「今日は私も学校を休みますので、先生と部に連絡をお願いします」

 そのまま鞍馬はゆっくりとベッドから転げ落ちる。

 それに合わせて包み込むように閉じられていた彼の翼がほどけるように開いていく。あたかも固く閉ざされていたつぼみが花開くように。

 翼の中から、血色を取り戻した肌の明子が安らかな寝息を立てていた。


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