【八・美味菜温泉の惨劇】
美味菜温泉食堂でミックスフライ定食を注文したその客に、遠野明子は同類を感じていた。
(まぜもの……)
どういう仕組みかわからないが、まぜもの同士はお互いそれと感じ取る。ハッキリわかるわけではない。なんとなく目の前にいる人は自分と同類ではないかと感じるのだ。
早い夕食の時間にあたる今、日曜のせいもあり、食堂は客は順番待ちの状態だった。給仕として働く明子たちも忙しい。
先日、美味菜温泉の仲間となった桜島瑞雪も慣れない接客に苦労している。人見知りが激しい彼女にとって、接客マニュアルに従っているだけとは言えかなりの負担なのだろう。彼女の顔から笑顔が消えている。
「桜島さん、笑顔笑顔」
瑞雪に近づき、山のように抱えた食器を半分持つ。返ってきた瑞雪の笑顔はぎこちない。
「厨房の人手が足りないの。食器を持って行ったら、そのまま盛りつけの手伝いに入って」
「あ、ありがとうございます」
厨房に注文内容と瑞雪を届けた明子は、できた料理を持ってお客たちに届けつつ、改めて先ほどの客を見る。見た目なら自分と同じ高校生ぐらいでやせ形。小柄。しかし館内着からのぞく腕や胸元にはしっかりとした筋肉が確認できる。部活や町道場で武道を学び、それなりの力をつけている高校生といった感じだ。
しかし、まぜものだとしたら見た目は当てにならない。思い出して数年ならともかく、年月を経て妖力が高まれば外見はある程度自由に変えられるからだ。しかし愛着があるのか、ほとんどのまぜものは人間の姿でいるときは思い出したときのものである。
ちょうど手伝いに入った猫目石雫を見つけた明子は、彼女に近づいて男のことを告げた。思い出して百年を超える猫又のまぜものである雫は、妖力を測る目は明子よりずっと鋭い。男が本当にまぜものかどうか確かめられると思ったのだ。
「わかったわ。料理は私が持って行くからその時に」
「お願いします」
深々と頭を下げると仕事に戻る。
(私の気のせいか、すでに仲間がいれば良いですけれど)
明子は自分が無姿のまぜものであることを思い出してしばらく荒れた。いらだちを何度鞍馬にぶつけたかわからない。当時の写真を見れば、顔つきやら目つきやらひどいものだ。世の中全てを妬み、毛嫌いしながらそれを踏みつぶせる力もない。
それが鞍馬と出会い、美味菜温泉の仲間と出会って少しずつ落ち着いてきた。
(今度は私が救う番。思いだしたものの仲間がいないため荒んでいくまぜものたちに手を差し伸べなければいけない)
綺麗すぎる言葉かも知れないが、明子は本気でそう思っている。だからこそ鞍馬に合わせて白無垢学園に入り、彼のサポート役となったのだ。
料理を運んで戻ってきた雫が明子にささやいた。
「アタリ。間違いなくまぜものよ。ただ、何のまぜものなのかまでは。まぜものの姿になればわかるんだろうけれど」
「じゃあ」
「早まらないで……血の匂いがする。あいつ、何人か殺してるよ」
思わず目を見開く明子に
「人殺しに慣れたのかもね。声をかけるのはかまわないけど、蒋さんか鞍馬君が戻るまで待ちなさい」
唖然として明子は男を見直した。
のんびりとエビフライにかぶりついている男は、どう見ても普通の高校生ぐらいの男子だった。しかし、まぜものの外見は当てにならないのは先に記したとおりだ。
(どうしよう……)
もしも男が生きるために人殺しをしているのならば、尚更止めなければならない。人喰いならば人を殺さないことは自分の死を意味するが、定食を食べている彼の姿からは人喰いには見えない。
こういうときに大事なのは、どういう形で手をさしのべるかだ。程度にもよるが、心を閉ざしているときは好意でさしのべられた手も
「何もわかっていないくせに」とか
「良いことしているつもりかよ」
というように素直に受け取ることが出来ない。それどころか強い拒否反応を示す。逆効果だ。これは明子にも覚えがある。
考えている内に団体客が来た。古くからの草野球チームで平均年齢が六十才以上という鴨葱ジーサンズの人達だ。美味菜温泉の常連でもある。
「駄目だ。年のせいか五回までしか持たない」
「何言ってる。三回から滅多打ちじゃねえか。外野の身にもなってみろ」
「外野がしっかりしねえからよけいに投げることになるんだろうが」
互いに悪態をつきながら十数名の男たちがどやどやと入ってる。食堂は一気に忙しくなり、明子も男のことをかまっていられなくなった。
(いない?!)
いつの間にか男の姿はなく、食べ終えた食器があるだけだった。
(落ち着いて。食事を終えてすぐに出るとは思えない。それに、出るには受付で精算しなければならないんだから、そこで待っていれば)
頭でわかってはいても、仕事をほったらかしにするわけにはいかない。
明子は葛生を見つけると事情を話し
「何とか彼と話の出来る場を作れませんか?」
「そうは言ってもな」
特に向こうから何かしてこない限り関せずと言うのが美味菜温泉のスタンスである。
「明子ちゃんの気持ちもわからんではないが、もともと妖は一人でいる方が気楽という奴が多い。昔の言葉にある『小さな親切、大きなお世話』になる可能性もある」
「一人でいるからこそ、歪む心もあります」
休憩時間に入った明子が受付前を見ると、男がいた。簡単な菓子類や飲み物、家庭用のお風呂に入れる檜の丸太などが並んでいる棚の前に立って商品を眺めている。
ふと目が合った。男も明子がまぜものと感じたのか、目を細めて小首を傾げた。
警戒されないよう明子は微笑して軽く頭を下げると、そのまま従業員用休憩室に向かった。視界の隅に、男がロッカー室に向かうのを捕らえていた。
着替えて精算、帰るのかも知れないと思った明子は、休憩室を抜けると女子用更衣室に飛び込んだ。素早く着替えて裏口から出る。男が美味菜温泉を出たところで声をかけるつもりだった。
葛生の言うように、自分のやることは大きなお世話なのかもしれない。男はすでにそんな問題はクリアしているのかも知れない。が、そうでなかったら。男に一人ではないことを伝えなければならない。それだけでもずいぶん心が楽になることを明子は身を以て知っていた。
従業員用の出入り口から美味菜温泉の入り口に向かう途中、目指す方向から無数の叫び声が上がった。さらに
「みんな下がっていろ!」
美味菜温泉の用心棒を自称する蒋の声に、明子は嫌な予感がした。
入り口、受付前のホールで蒋が太い赤茶の棒を手に男と睨み合っていた。この棒、蒋が妖力で作り出したもので、西遊記に出てくる孫悟空愛用の武器にちなんで「如意棒」と呼んでいる。
「お客さん。出るときは会計を済ませてからにしてください」
蒋の言葉に男は無言の笑みで応え跳躍した。
男の体は天井まで飛び上がり、体を回転させると天井を蹴って蒋に挑みかかった。男の手がまっすぐに伸びる。明子はその男の腕が日本刀のように見えた。
並の人間ならこの手刀で頭を真っ二つにされて終わりだろう。だが、蒋は美味菜温泉でも古株に入るまぜもの。しかも用心棒を自称するだけ合って、これまで幾十もの実戦を経験している。蒋は体をひねって手刀を躱すと、男の脇腹に如意棒を叩きつけた。
ふらついたもののすぐに体勢を立てなおした男が握った両手を重ねると、それに握られた形で刀が現れた。そのまま蒋に斬りかかる。
「人払い!」
葛生が念じ人払いの結界を張ると、周囲の人たちが一斉に食堂や更衣室、奥のリラクゼーションルームに駆け込んでいく。人の姿のままでは葛生の生み出す人払いの力は半減するが、騒ぎがそれを補っていく。人払いの結界が消えるまで、人間は奥に引っ込んだまま出てくるのはもちろん、様子を見ようと顔を出すことすらしないだろう。
ホールでは男と蒋が戦っている。男の両腕はいつの間にか刀に変貌し、流れるように斬りつけていく。が、蒋はその攻撃をことごとく受け流していく。
「てめえ、人前で物騒なモン出すんじゃねえ」
「うるせぇ!」
怒号と共に振るう男の刀を、蒋が如意棒で受けながしていく。
「手荒なことはしないで!」
駆け寄ってきた明子が叫んだ。
「あなたも、落ち着いて刀をしまって」
初めはなんだこいつはと明子を見ていた男だったが、お願いするように手を伸ばした彼女を見ると、いきなり彼女に向かっていった。
「消えろ!」
蒋の言葉に弾かれるように下がりながら明子は姿を消そうとしたが、男の方が速い。
消える間もなく、男の刀が彼女の胸を切り裂いていた。