【七・鞍馬の予感】
「部員だけではない。事態を知らせようと京の家に人が向かったが、家にいた母親は斬られて死んでいた。家は荒らされ、現金とキャッシュカードが奪われていた上、口座の金は全額下ろされていた。銀行のカメラで確認された。下ろしたのは京だ。しかも、カメラの映像を見る限りあいつは五体満足、骨折しているそぶりなど感じられなかった。
それっきり奴は行方不明だ」
狭間は話している間にすっかり冷めた紅茶を飲んだ。
「周りの連中が出した結論としては、京が部員たちを叩きのめし、母親を殺し金を奪って逃げたということだ。骨の方もわしが砕いたと思い込んだだけで、実際はたいした怪我ではなかったのだろうと言われた」
「先生もそう思われますか?」
「いや、部員を倒し母を殺したのは京の仕業じゃろうが、わしは確かにやつの両腕と片足の骨を砕いた。わしとて表沙汰には出来んが、外国の修行中に何人も怪我をさせたし、命を奪ったこともある。どの程度のダメージを与えたかは感触でわかる」
それは鞍馬も同意した。
「その京という男が先生に真剣勝負を挑んできたということですか」
「昨日の夕方、わしを訪ねてきた。真剣で勝負したい。どちらが死んでも恨みっこなしということだが、あいつに負ける気はないらしい。実際、今の京は当時よりも遙かに強くなっている。わしはそう感じた」
「で、先生はそれを受けると」
「わしには、あいつに剣を教えた責任があるからな。それに……いや、何でも無い」
言い止めた言葉を鞍馬はわかる気がした。狭間は死に時、死に場所を求めているのだ。剣士として狭間は、自分の人生の幕の引き方を無意識のうちに探っている。そうさせたのは宝くじの一件だろうと鞍馬は感じていた。
鞍馬は先ほどの狭間による京の話を反芻し
「伺ってよろしいでしょうか」
「なんだ」
「先生は、京という男を人だと思いますか?」
狭間の目が変わった。
「お話を聞くと、どうも京はまぜもののように思われます。思い出したときのまぜものは、今まで眠っていた分、すさまじい力を発揮します。道場の状況を聞きますと、動けないところへ部員たちの殺気を感じ、それが引き金となって思い出したのでしょう」
「昨日、京がわしを訪ねてきたとき」
鞍馬の言葉を遮るように狭間が言った。
「あいつの姿は、あの時のままだった。あれから、十年以上経っているのにな」
顔は男の履歴書という言葉もあるように、人の顔や体はそれまでの生き方を表す。ましてや高校生から十年以上経っても同じままというのは普通は考えられない。
ただ、まぜものの場合は思い出した途端、その妖の寿命に変わる。ほとんどは人間よりも長く、その分時間による変化は表れにくいため、人間の姿でいるときは思い出したときの姿のままと言うことが多い。京が当時の姿そのままなのは、まぜものであることを思い出した証拠とも言える。
「でしたら先生、そいつとの勝負は私が受けます。まぜものがその力で必要もないのに人を殺していたなら、保護するのが今の私の仕事です」
「奴が望んでいるのは、わしとの戦いだ」
「本当に戦う気なのですか?」
まっすぐ見据えてくる鞍馬の目を、狭間はうらやましそうに見返した。
「鞍馬、わしももう年だ。疲れてきた」
「ならば休んでください。せっかく大金が手に入ったのです。美味しいものを食べ、ゆっくり体を休め趣味に生きても罰は当たりません。つらいことは修行だの何だの理屈をこねて、私たち若い者に押しつければ良いのです」
「言うようになったの」
困ったように狭間は頬を掻いた。
「だが、わしもさっき言ったように京に剣を教えた責任がある。それよりも、花鳥風月流の剣を持って京がどうやって生きてきたのか。それを考えれば、わしが何もせずにいて良いはずがない」
「わかりました」
鞍馬は改めて背筋を伸ばし
「先生のお望み通り、私が先生と京の勝負に立ち会いましょう。ただし、その前に京という男の正体を見定めます。京が人間ならば先生にお任せしますが、まぜものならば私がまず立ち会います」
「そうか」
狭間は立ち上がると、キッチンに向かった。
「わかった。その時はまずお前に任せよう。だがその条件として」
身を固くする鞍馬に、狭間は棚から取りだしたものを見せた。
「久しぶりに焼いてもらおう」
ホットケーキミックスだった。
薄い狐色の熱いホットケーキにたっぷりのバターとシロップをかけ向かい合って食べていると鞍馬は修業時代を思い出した。朝食に、おやつに何度もホットケーキを焼いた。最初はよくわからず、焦がしたり生焼けだったりで怒られたが、そのうちうまく焼けるようになると面白くなってきた。剣や勉強と同じで、自分の上達が実感できる時期が一番面白いのだ。
一度、昼食の時間だというのに姿を見せないと狭間の様子をうかがいに来た職員が、男二人が差し向かいでホットケーキを食べているのを見て笑いを堪えていた。
今の鞍馬についていろいろ知りたがった狭間に、鞍馬は改めてこれまでのことを話し、それを聞いて狭間は面白がった。特に美味菜温泉については強く興味を示し
「そのうち、わしも行ってみよう。葛生という人にも挨拶しておかないとな」
「先生」
「わかっている。従業員たちが人間でないというのはないしょだろう。安心しろ、わしは口が堅い」
笑う狭間に鞍馬は呆れ
「お孫さんの例があります。私が烏天狗であることを話しましたね」
「弟子に烏天狗がいると言っただけで、お前がそうだとは言ってないぞ。それに、お前だって今日華の前で本性を見せただろう」
「どうしてそれを?」
「お前が来る少し前に今日華から電話があった。声が震えていたぞ、あまり脅かすな。お調子者で困ったところもあるが、あれはあれで可愛い孫だ」
皿に残ったホットケーキ最後の一切れを腹に収め
「まあ、ホットケーキの腕は落ちてないようだし、それについては責めんことにしよう。しかし良かった。わしはてっきりお前は和食派に戻ったと思っていた」
「戻りました。けれど先生のおかげで、時々無性に洋食が食べたくなるときがありまして。ホットケーキは今でも月に一度は作ります」
「結構なことだ」
十数年ぶりの再会である。話のネタに不自由はしなかった。ただし、二人とも京については話題にしなかった。
鞍馬の帰り際、
「久しぶりに弟子が訪ねてきたんだ。小遣いをやろう」
狭間が封筒を差し出すと、鞍馬はためらいを見せた。
「気にするな。ここを聞き出すのにどうせ今日華にたかられたんだろう。それに、これから入り用になるはずだ」
無理矢理手に握らせるのを、鞍馬は受け取ることにした。無理に断っても角が立つだけだ。封筒からはしっかりとした厚みが感じられた。
侘乃住処が見えなくなり、辺りに人影と防犯カメラがないのを確かめると、鞍馬は烏天狗となって飛ぶ。
目指すは東京だ。
東京には警視庁情報管理課に勤務するまぜものがいる。彼は他の仲間と一緒に、まぜもの関連の情報をまとめているのだ。鞍馬は彼らに会うつもりだった。
京がまぜものであることを思い出したと仮定したとき、気になるのは彼があれからどうやって生きてきたかだ。それなりの金があるとは言え、特に人脈があるとも思えない高校生が一人で、しかも殺人犯として逃げる場合どうするか。どうしても犯罪に手を染めることになる。ならばそれらしき事件が警察に記録されているはずだ。慣れない内は証拠隠滅に気を配る余裕など無かっただろうから。
もちろん、その前にどこかのまぜもの集団に保護されている可能性もある。その場合は葛生の人脈を頼ることになるだろう。だが、保護の可能性は薄いと鞍馬は感じていた。
もしも鞍馬が逆に葛生の人脈から探るのを優先して東京行きを断念、美味菜温泉に戻っていたら以後は別の展開を見せていただろう。
なぜなら、ちょうどこの時、京槙太は美味菜温泉で湯に浸かっていたからだ。