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まぜもの妖談2 ~人の剣~  作者: 仲山凜太郎
11/12

【十一・決闘前日】


 早朝。朝日が照らし始める侘乃住処の庭先で庭で、狭間は木刀を手にしていた。ゆっくり息をすると、静かに木刀を八双に構える。

「むん!」

 小さな気合いと共に次々と型を変えていく。

 花鳥風月流の剣は、春夏秋冬の四つの大きな型と小さな十六の型からなる。それらを状況に応じて組み合わせ、対応していく。中にはあまりにも限られた条件を前提としているあまり、これらの型に入らない「はずれ」と呼ばれる三十二の型がある。これは春夏秋冬に入らない、季節はずれの型である。

 鞍馬が訪ねてから、狭間は毎朝それらの型を一通り行っていた。これらの型は年月の間に改良され、入れ替わり少しずつ完成に近づけていったが、まだ終ではない。

(わしの代ではここまでだろうが、いずれわしの後を続くものが、さらに磨きをかけ、完成に近づけていくだろう)

 汗を拭くと軽く腰を叩いて伸びをする。

「さすがにこの年になると堪える」

 これまで毎朝の稽古はしても行う型は半分ほどだった。かつてに比べ嫌でも衰えを感じざるを得ない。

「狭間さん、朝食の用意が出来ました」

 女性職員の声に、狭間は軽く返事をして食堂に向かった。

「このあいだお弟子さんたち訪ねてきてから変わりましたね」

 職員が笑顔で朝食を運んでくる。洋食派である狭間はいつもトーストにサラダ、簡単な卵料理にヨーグルトだ。朝の稽古量を増やしてからはそれにハムかベーコンをつけてもらうようになったし、トーストも八枚切りから六枚切りのものに変えてもらった。それを毎日綺麗に平らげる。

「弟子に喝を入れられたからな」

 少なくとも体が動く内は前に進むのを止めるべきではない。そう狭間は思うようになった。宝くじが当たって以来、周囲の欲望に翻弄され、疲れて静かに余生を過ごしたいと思っていた気持ちが今はすっかりなくなっている。

 体もすっかりとはいかないが、かつての動きを取り戻しつつあった。

(これなら、京を相手にいくらかは戦えるだろう)

 しかし、やはり勝つとは言い切れなかった。この十数年で京がどれほど力を増したのかわからないし、そもそも鞍馬の話によると思い出したまぜものは個人差はあるがいずれも高い身体能力を得るらしい。京が人間とは思えぬほどの動きをすることは充分考えられる。

 しかし、それでも狭間は笑いが堪えきれなかった。真剣での戦いなど、何十年ぶりだろうか。

 最も、狭間は京がまぜものであった場合、まず鞍馬が戦うことを承知してしまっている。それを狭間は少し後悔していた。今の狭間は、結果はどうあれ自分が戦ってみたいのだ。

 壁に掛けられたカレンダーを見る。京との決闘の日は明日だ。

「明日は明日の風が吹く……か。成り行きに任せるしかないか」

 食後の紅茶をゆっくり口に運ぶ。

(せっかくだ。これが落ち着いたら弟子たちを訪ね歩くのも良いかもな。皆、どうしているだろう)

 かつて自らが教え、そして免許皆伝となって出て行った弟子たちの顔を一人一人思い浮かべていった。

 職員が持ってきた新聞を何気なく受け取ると

「そういえば……」

 新聞を広げ、角を見る。

「ありゃあ……。どうしてこうなるのか……」

 途方に暮れて唇を吸った。


 鞍馬は美味菜温泉職員寮の自室で、事件の資料を綺麗にたたんでいた。

 京の仕業とおぼしき事件の資料だ。週明けから毎日のように送られた追加分を入れるとかなりの量になる。それらの全てに目を通し、狭間から聞いた京という人間像と蒋や雫から聞いた情報を加え、鞍馬は頭の中で京慎太という男を彼なりに作り出した。

 もちろんそれは鞍馬が勝手に作り出したイメージであり、送られた資料の犯人と、美味菜温泉で暴れ明子を斬った男が京であるという前提に立っている。が、今や彼はそれが正しいものと確信していた。

 鞍馬は無言で立ち上がり、玄関脇にある傘立てに無造作に入れてある杖を取った。無骨で太めのそれは、木の枝を簡単に削ったものに見えた。先の表面が軽く削られ「鞍馬山」と書かれており、文字のある先に開けられた穴には輪にした赤い紐がついている。どう見ても山の売店で売られている登山用の杖である。

 それを両手で握り、力を入れると中から刃が現れた。

 仕込みである。

 これは鞍馬が花鳥風月流の免許皆伝になった時、狭間から

「これをやろう。銘はないがなかなかの業物だ」

 と譲り受けたものだ。

 すでに昨夜の内に研ぎは済ませており、刀身には鞍馬の顔がハッキリ映っている。

時計を見ると夜の九時を回っている 

 刃を納めると部屋を出た。明日の京との決闘は朝早いため、今夜は狭間の所へ泊まることになっていた。

「鞍馬さん」

 明子が立っていた。自力で歩けるほどに回復はしたが、まだ顔色が悪い。

 鞍馬が屋上に向かうのを、明子は後ろからついていく。

「蒋さんから聞きました。何とかあの人を助けられませんか」

 屋上に続く階段を上りながら、鞍馬はゆっくりと首を横に振った。

「無理です。彼は力に溺れすぎました。ましてや、彼の力は相手の命を奪う」

「私も以前は」

「彼の力は振るわれる度に誰かの命を奪います。かつてのあなたのような、姿を消しての嫌がらせなんてレベルじゃないんです。それでも、あなたのように力を使う度に自己嫌悪に陥っているならともかく、今の彼はこういう生き方を楽しんでいるように思えます」

「やけになって、誰も信じられなくなっているだけだと思います。それに、直接自分たちに関わらない限り被害には目をつぶるというのがここのスタンスじゃなかったんですか?」

「それは人喰いのようにそうしなければ生きられないまぜものに対してです。彼は、殺さなくても生きられるのに殺している。遠野君も殺されかけた」

 明子が息をのんで、左肩に手を置いた。すでに斬られた跡は消えている。

「誰を救うかぐらいは自分で決めたい。私が救いたいのは彼じゃない。君たちです」

 言いながら鞍馬が重い扉を開けると、夏の香りを含み始めた空気が流れ込んでくる。

 屋上に出ると、星空が二人を出迎えた。まだこの辺は空気が綺麗で星がよく見える。鴨葱駅周辺の再開発もここ数年遅れ気味のせいで周囲に高いビルもなく、星の光を打ち消すネオンもない。

「今夜は帰りません」

 鞍馬は烏天狗に変わると、翼を広げ夜空に飛び立った。


 侘乃住処を鞍馬が訪れると、

「お話は聞いています。どうぞ」

 先週訪ねたときと同じ職員が怪訝な顔で出迎えた。その表情の理由はわかっている。鞍馬が高校生の姿でいるからだ。前に訪れたとき、三十代の姿で訪れ、高校生の姿で帰った。鞍馬がしまったと思ったときは遅かった。狭間のかつての弟子と説明したため、今が高校生では年齢が合わない。よちよち歩きの時に免許皆伝したことになってしまう。

「先生の弟子は父です。私は稽古の合間に相手をしてもらっただけで。父とよく似ているのでちらと見ただけでは勘違いされることがあります」

 と誤魔化した。苦しい良いわけとわかっているがそれで通すしかない。

 部屋はわかっているからと一人で狭間の部屋の前まで来ると中から微かに声がした。

(先客ですか?)

 が、漏れ聞こえるのは狭間の声だけ。どうも電話をしているらしい。だが、微かに漏れる声は柔らかながら怒気が感じられた。

 鞍馬は静かに聞き耳を立てた。烏天狗である彼の耳は、扉越しでも屋内の電話の会話を聞き取ることが出来る。

「今日華は無事なんだろうな」

《無事ですよ。そんな怖い声を出さないでください。声は聞かせられないですけど、僕を信用してください》

「孫を人質に取る奴を信じろというのは無理だな」

《別に良いじゃないですか。僕は身代金を取ろうとかいう気はないんですから。ただ、先生が勝負から逃げない保証が欲しかっただけです》

「無事というのは命を取らないという意味ではない。心にも危害を加えていないだろうなということだ。そのへんはどうなんだ」

《先生、人の心がどうかなんてわかるはずないでしょ。レイプされて自殺する女もいれば、快楽に目覚めて幸せになる女もいるんですから。

 冗談ですよ。逃げられないよう縛ってますけど、それ以上のことはしてません。服だって着てますし、トイレにだって行かせてます》

「人質を取らねばならないほど、わしが信用できないのか」

《言ったでしょ。保証だって。明日の勝負の場で解放しますから、間違いなく来てくださいね》

 そして電話は切れた。

 鞍馬は一息入れるとドアをノックする。

「先生、鞍馬です」

 中に入ると、狭間は下唇を吸いながらちゃぶ台の上に置かれた携帯電話を睨んでいた。

「聞いてたな」

「はい。マナー違反であることは承知しています。……京槙太ですか」

「そうだ。よりによって今日華を人質に取った」

「彼女でしたら、捕まえるのにそんなに苦労はしなかったでしょうね」

 屈託のない、人なつっこさそうな彼女の顔を思い浮かべた。

「やつは妙なことはしないと言っていたが。信用できると思うか?」

「私は先生と違って京慎太を直接知りません。けれど、私が集めた資料を基に考えれば、妙なこと……イヤらしいことなどの類いはされないと思います」

 狭間はほおと息をつき

「どうしてそう思う?」

「京慎太の犯行と思われる事件記録はかなりありました。被害者が女性というのもありましたが、猥褻行為をされた人は一人もいません。まぜものであることを思い出し、自覚した結果、人間を恋愛や性欲の対象に見ることがなくなったのでしょう。意外と多いんです。

 もちろん、犯罪行為をしなかったというだけで、盗んだ金で風俗などに行った可能性はありますが、それならそれで無理にお孫さんに手を出すほど飢えてはいないでしょう。

 それよりご家族への連絡はどうしますか? 勝負を受けるための人質なら、家には連絡していないと思いますが」

 途端、狭間の携帯電話が鳴った。

「噂をすればなんとやらだ」

 出ると鞍馬も聞き覚えのある女の声で

《お義父さん、今日華を知りませんか? この時間になっても学校から帰ってこないし、連絡もないんです。そっちに行ってませんか?》

 困った顔で返事に詰まる狭間に対し、鞍馬は携帯電話を渡すよう手を出した。何か策でもあるのかと携帯電話を渡すと鞍馬は静かに息をつき

「お母さん。ごめん。連絡するの忘れちゃった」

 なんと今日華の声で応答を始め

「うん。大丈夫。今夜はお爺ちゃんのところに泊めてもらうから。大丈夫だって。それじゃね」

 早々に通話を切り上げた。

「勝手な真似をして申しわけありません」

 元の声に戻って携帯電話を狭間に返す。

「器用なことをするな。誰の声でも真似が出来るのか?」

「声を知っていなければどうにもなりませんが、大抵は」

 鞍馬は今日華と話したことがあるので、声真似はそれほど難しくなかった。ただ、記憶はどうしようもないので、家庭での出来事などを聞かれたら終わりだ。早々に切り上げたのはその為である。

 その夜、鞍馬と狭間は十数年ぶりに枕を並べて眠った。


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