生み出す未来
……時間がない。
あまりの焦燥感に頭を机に打ち付けてみたが、何の解決にもならない。
当たり前だ。
心血をそそいで開発したタイムマシンも、この肝心な時に役に立たないのではガラクタも同じ。
俺の力など、こんなものかと絶望する。
突如として世界中を襲った未曽有の伝染病。
俺のおやじの命を今まさに吹き消さんとしている、憎き敵だ。
妻も子も無い俺に、たった一人残された肉親。
おやじが死んだら、俺は天涯孤独の身になってしまう。
もっか世界中の医学者が対抗策を研究中だが、未だ芳しい話は聞こえて来ない。
だが人類の英知は、こんなものでは無いはずだ。
あと一年か二年……それだけの時間があれば、ワクチンや特効薬が開発されるに違いない。
だが、おやじの命はそこまでもちそうにない。
何もできない歯がゆさに、身もだえしそうになる。
子供の頃から機械いじりが好きだった俺は、見識を広げたくて理系の大学に進んだ。
そこを卒業してから、かねてからの夢だったタイムマシンの開発に着手した。
周りからは夢物語だと散々バカにされたが、この頃は幸運期の絶頂に居たらしい。
資金のつて、研究施設、そして志を同じくする仲間。
望めば全ての物が手に入った。
ついに実用化のめどが立った時、そりゃあ皆こぞって俺を持ち上げた。
散々罵倒していた奴らでさえ満面の笑みで握手を求めてくる。
あの時のことなどすっかり忘れているようだ。
あまりの手のひら返しに、いま思い出しても苦笑いしか出てこない。
試作した一号機による実験は大成功。
対象の人間を数年前の過去に飛ばすことに成功した。
どうやって確認したかって?
そんなものは簡単だ。
過去に飛んでもらった後、そこから手紙なり何なりを残してもらえば良い。
現実に居る俺たちはそれを見て、何年前まで飛んだのかを確認するだけ。
物好きはたくさん居る。
サンプルには事欠かなかった。
実験は順調だったが、ここで思わぬ欠陥が露呈した。
過去にはいくらでも飛べるが、未来へは一秒だって先に行けないのだ。
これはまずい。
すぐにでも改良しなければ。
時間を渡航するのだから、過去も未来も理屈はそう変わらないはずだ。
どっかに見落としがあるに違いない、それさえ気づければ。
全力を傾けた俺の努力は、結果的に徒労に終わった。
そこに持ってきて、伝染病騒ぎだ。
このタイムマシンが未来へ飛べるなら、さっさと何年か先に行って治療法を見て来れるのだが、これもかなわない。
なんという皮肉な結末なのか。
神なんてもんが居るなら、いまごろ雲の上で嘲笑っているに違い無い。
おっと、神なんてオカルトに頼ってるようじゃ、科学者失格だな。
とはいえ、この間の悪さは愚痴の一つも吐きたくなる。
実際問題として、もう手の打ちようが無い。
いや、この表現は正確では無いな。実はまだ一つだけ可能性が残されている。
迷いに迷って、決心するまで三日を要したが、やはり他の手段は思いつかなかった。
俺が自ら過去へと飛び、まだ小学生の俺自身を見つけ出して徹底的に鍛え上げるのだ。
子供のうちから俺の知識を全て叩き込めば、いま抱えてるタイムマシンの問題も改良が期待できる。
だがタイムマシンは過去への一方通行だ。
仮に成功しても、こっちに戻ってくることはできない。
ひとたび飛べば、もうその時代の住人として生きるしかない。
別にこの時代に未練があるわけでは無いが、俺が小学生だった頃まで時を遡るとなると、ざっと三十年以上戻る計算になる。
そうなれば俺の年齢は、おやじより年上だ。
この伝染病を乗り越え、おやじの命が救われるのを見届ける事は難しいだろう。
つまり、俺自身は仕込みだけで結果を確認する術は無い。
こうして考えてみると、か細い可能性だ。
それでも、これに賭けるしかない。
俺はタイムマシンに乗り込み、迷うことなく起動させる。
装置は低い唸り声を上げ始めた。
もう後戻りはできない。
それでも、今まさにベッドで苦しんでいるおやじを助けられるなら本望だ。
* --- * --- * --- *
目を空けると、見慣れない……が、どこか懐かしい光景が広がっていた。
少々不安ではあったが、無事に狙い通りの時代に到着したようだ。
さて、今をもって俺はこの時代の住人なわけだが、まずは戸籍を始めとした身分を証明する物が必要だな。
日本において、無戸籍状態から戸籍を取得するのは、簡単とは言わないが可能だ。
この時代には、マイナンバーのような、しっかりした管理システムも無いだろうしな。
戦争孤児、複雑な家庭の事情、きちんと話を組み立てておけば、やりようはある。
少々手続きに手間取りはしたものの、俺は本来の名前を捨て、偽名での戸籍を取得した。
名前を変えたのはカモフラージュだ。
これから俺自身に会おうというのに、同じ名前では不都合が出る可能性が高い。
顔に面影があって名前も一緒なんて、どう言い繕っても無理がありすぎる。
この当時の俺は、間違いが無ければ小学四年。
自分で言うのも何だが、こと勉強に関しては神童で通っていた。
特に理系の科目が得意だったんだが、並の塾では物足りず、個別に指導してくれる相手を探しているはずだ。
そこに俺がおさまれば良い。
大丈夫。
なにしろ自分の家族のことだ。
どういう風に話を持っていけば気に入られるかも知り尽くしている。
最初こそ胡散臭い目を向けられたものの、一時間も話す頃にはすっかり気に入られ、無事に家庭教師としての立場を手に入れた。
我が教え子は非常に優秀だった。
まさに砂漠に水が染み渡っていくが如く知識を吸収していく。
俺は、いつの間にか、この子の才能を引き出すことに夢中になった。
この子なら、きっと俺が越えられなかった壁を越えてくれる。
そして、人間関係を深めるのも忘れてはいけない。
相手は俺自身だ、好みなども熟知している。
チャンスがあれば遊びに連れ出しては、色々な経験を積ませた。
これらも将来必ず役に立つはずだ。
無駄な事などひとつも無い。
そしてあっという間に月日は流れ、あいつは今日、高校を卒業する。
仕込みは上々。
なにしろ、高校からして俺が通ってたランクとは比較にならないのだ。
これなら自分の力で歩いて行ける。
もう俺の力など必要無い。
一方で、俺自身はすっかり体調を崩し、いまやベッドからロクに起きられないでいた。
時を超えた影響なのか、元々疾患があったのかは今となってはわからない。
原因はさっぱりだが、どうやらそう長くは持ちそうも無い。
自分の身体のことだからな、それだけはわかる。
やるだけの事はやった。
俺の持てる知識は、全てあいつに伝授した。
自力でタイムマシンの理論に辿りつくのも、さほど遠い話では無いだろう。
人事を尽くして天命を待つ。
これでもダメであったなら、それこそ神に見放されたというやつだ。
あいつから報告メールが来た。
どうやら来年から米国に留学する事になったらしい。
返事くらいはしてやらないとな。
激励のメールを震える手でようやく送り、携帯電話を放り出す。
あいつと勉強をしてる時は本当に楽しかった。
まだ元気だった、おやじやお袋にも会えた。
自分が何者かを明かせなかったなんて、どうでも良い。
おやじを失って、孤独に死ぬのに比べると、悪くない人生だった。
俺の作ったタイムマシンも、あながちガラクタというわけでも無いらしい。
元の時代のおやじには迷惑かけたかもしれないが、こっちに来て良かった。
やけに眠くなってきたな。
一休みするか。
俺の代わりに、おやじを大切にするんだ。
後は……頼んだ……ぞ……。
* --- * --- * --- *
……どこかで私を呼ぶ声が聞こえる。
導かれるままに目を開けると、そこはいつもの研究所だった。
いつの間にか眠り込んでしまっていたようだ、いかんいかん。
こんなんじゃ彼女にまた心配をかけてしまうな。
ああ、彼女というのは、そこでコーヒーを淹れてくれている女性で、私の助手を務めてもらっている。
大学で知り合って以来、ずっと私の良きパートナーだ。
研究に没頭すると寝食を忘れがちな私にとって、文字通りの生命線と言える。
彼女が居なければ、私は栄養失調と睡眠不足で間違いなく倒れている。
仮にも薬学博士なのだから、これは不名誉なことこの上無い。
それにしても不思議な夢だったな。
妙にリアルな子供の頃の夢。
おかげで、色々と思い出した。
子供の頃は、なぜ勉強しなければいけないのか、わからなかった
そんな時に出会ったのが先生だった。
家庭教師にしては年配で、色んな事を知ってて、私はあの先生から勉強だけじゃなく色んな事を教わった。
恩師、というものが居るのなら、間違いなくその筆頭に来る人だったと思う。
専門にしてると言っていた機械工学や電子工学の分野では、未だに追いついたと自信を持って言えない。
先生は、私が高校を卒業するころまで、ずっと面倒を見てくれた。
私が真っ直ぐに勉学に励めたのは先生のおかげだ。
楽しさも、苦しさも、その先にある達成感も先生の導きがあってこそだ。
憧れだった米国への留学を果たしたのも先生のおかげだ。
だが、その時の私は、一つだけ懸念材料が残っていた。
先生の顔色が徐々に悪くなってきている気がしていたが、それを伝えられなかったことだ。
先生の勧めに従って、工学系の大学に進んだものの、私はそれが気になってしかたなかった。
医学に関する本を取り寄せてもみたが、独学ではまったく理解できない。
今すぐこの大学を中退して、医療系の大学を受け直すことも考えた。
しかし、先生の勧めてくれた進路を裏切る気がして、決心がつかなかった。
大学を卒業し、日本に戻ってきた私を待っていたのは、先生の訃報だった。
間に合わなかった……。
本人にきちんと伝えておけば。
あるいは既に自覚していたのかもしれないが、他に手立ては無かっただろうか。
もう後悔はしたくない。
その思いは、私を医療へと向かわせた。
改めて研鑽を積み、専門の大学へ入り直した。
そこでは、苦労の連続だった。
専門を志すのはそう簡単な事では無い。
必死に背伸びをし続ける私を救ってくれたのが、彼女だった。
私の経緯を聞いて、彼女は本当に親身になってくれた。
その手助けがなければ、私は道半ばで折れてしまっていたかもしれない。
依存していたわけでは無いが、大きな力になっていたのは間違いない。
その後、私が薬学博士の称号をもらった後も、彼女はずっと私についてきてくれた。
ほどなくして人類を襲った未曽有の伝染病。
それに罹った父が倒れた時、私は運命のようなものを感じた。
先生も彼女も、これを乗り越えるために私の前に現れたのではないか。
そんな気さえした。
今まで培ってきた全ての知識に無駄なものなど無い。
私は全精力を傾け、彼女と共に研究に没頭した。
刻一刻と世界中に広がっていく伝染病。
父の容態も思わしくない。
誰もが絶望に飲まれていく中、私と彼女はついにその対抗策に行きついた。
私たちが開発した特効薬は、瞬く間に伝染病を駆逐した。
人類は未来を手に入れたのだ。
これからも色々な事があるかもしれない。
だが、彼女と二人でなら明るい未来が築けそうな気がしている。
だから私は今日、伝えようと思う。
「今度、私の父に会ってもらえないだろうか。これからの人生を共に歩むパートナーとして紹介したいんだ」
「ええ、もちろんよ。その後には、先生のお墓にも連れて行ってくれるかしら? あなたの恩師にもお礼を言わなくちゃ」
「もちろんそのつもりさ」
私が差し出した指輪を見て、彼女は涙を浮かべながら、花のような笑顔を見せた。