09 食べられるということ
ゴクリとつばを飲み込んだ私のお腹が勢いよく悲鳴を上げた。
時刻は夕方になったころだった。
祖父はにっこりと笑って、飯にするか、と言った。私もそれに頷いて二人で台所へ向かう。
祖父は祖母が生きていた頃からよくご飯を作ってくれた。洗濯も掃除も好きで自分でやってたから祖母もきっと助かってたと思う。いい旦那さんだな、と思ったりもする。
冷蔵庫から今朝もらったというソイを丸々一匹出して祖父はそれを手際よくさばいていく。ソイの刺身は私も祖父も大好物だ。
私はその横で鍋に張った水に煮干しと昆布を入れて火にかける。狭い台所だが祖父の使ってる手作りの木製のまな板の隣に、プラスチック製のまな板を出して豆腐をサイコロ状に切ってそのまま鍋に入れた。あとは祖父が朝、畑から採ってきた小松菜を切ってまた同じように鍋に入れる。
「柚、小松菜はまだ早い、豆腐が煮えてからでないと色悪くなるぞ」
「えー。入れちゃったよ」
「次から気を付けぇ。見た目奇麗だと多少味が悪くてもごまかせるからな」
そういって祖父はニカっと笑う。
祖父の捌いたソイの刺身と、作り置きの豆の炒め物と、みそ汁とご飯でしっかりお腹いっぱいになった私は先に風呂に入ることにした。
祖父の家の風呂はちょっとかわっている。もともとはちゃんとシャワーも蛇口も使えたらしいんだけど、物心ついたころには壊れていてただの飾りと化していた。
でも、風呂桶は使えるからなんてことはない。
台所でバケツに熱湯を入れてお風呂に運ぶ。それを二十回くらいやるといい量になる。そして台所の蛇口にホースをつけて水を入れる。温度調整がいい具合になったら止めればいい。
小さい頃はその一畳ほどの風呂に孫全員で一斉に入り、ホースの水をとにかく掛け合って遊んだ。
今はもうそんなことはしないけど。
祖父は風呂から上がると冷蔵庫からアサヒのビールを出して、水色の色付きガラスコップに注いだ。
私はビールは飲まないので向かいにある「山ちゃん」と呼んでいる商店でチューハイをいくつか買ってきた。「山ちゃん」さんは山田さんなのか山口さんなのか、それとも山本さんなのか、そういえば知らないな、と思いながら私はチューハイを選んだ。
私はコップを用意せず缶のプルトップを開けた。コップで飲むのはぬるくなる気がしてどうにも慣れない。
乾杯をしてチューハイをあおると風呂上がりの乾いた喉に炭酸がパチパチと染み渡る。
私は話の続きが気になっていたけど、なかなか祖父が続きを話さないのでしばらくお酒を飲みながらそれを待っていた。グレープフルーツ味のチューハイを飲み終わる頃、痺れを切らして聞いてみる。
「それで?鳳零凰は絶影を食べたの?食べたらどーなったの?」
祖父は少し考えた様子で煙草をふかしていた。
「柚はもし、自分を食べさせてほしいって言われたら、どうする?」
その質問に私はしばらく考え込んでしまう。考え込んでいるところに祖父がさらに質問を投げかけてくる。
「じゃあ、食べてほしいって言われたら、どうだ」
そんな質問をされてもどう答えたらいいのかわからないのが当たり前だと思うけど、祖父はビールを飲みながら静かに私の頭の中の整理を待ってくれた。
「食べさせてって言われても、今のまま食べられたら死ぬだろうし、断るかな。食べてほしいって言われても、料理されてる肉じゃないし、たぶんムリだ」
祖父は聞きながら煙草にまた火をつけた。
「でも、もし、自分が不老不死でこの世でたった一人で生き永らえないといけないとしたら、仲間が欲しい、から、食べてほしいって思うかも。その時は何とか麻酔を開発してほしいけど。食べてほしいって言われたらかぁ。それが大事な人なら、頑張って食べるかな。でもなるべく、と言うか、絶対、見たくない。その、肉を切ったりするところとかは。できれば料理してほしいし」
祖父は、ふむ、と頷いて煙草の灰を灰皿に落とした。
「この世でたった一人、生き続けなきゃならないってわかって、自分の肉を食べて一緒に生き続けてくれる人が現れたとして、だ。自分は台所で料理されて、その人が自分がいないところでそれを食べるのは許せるか?」
「え」
「お前は、例えば腕を差し出したとして、痛い思いをして我慢してるよな。それを料理人がおいしく料理して、食べてくれる人はお前が痛い思いをしてるなんて知らないんだ。ただ、食べてほしいと言われたから、料理されて出てきた肉を食べるだけだ。それで納得できるか?」
また私はしばらく考えることになる。
もし食べる側だったら人が切り刻まれるところなんて絶対見たくない。
けど、食べられる側だったら。
お願いしてるのは自分だし、食べ方は食べる人の自由だと思う。
そうだよ、食べる人の自由だ。
だけど・・・
「痛みも、一緒に、食べてほしい、気がする」
「痛みも?」
「うん」
私は祖父の後ろにある台所の入り口に目をやった。
「食べてる人が見えないと、きっと、寂しい。どうせなら、目の前でうまいって言って食べてほしい。そしたらきっと、痛いのも少しは我慢できる気がする」
祖父は、そうだな、と言って優しい表情で笑った。
それから、じゃそこから話すか、といって煙草を吸った。




