大好きなサーシャ
「メアリーアン。疲れたでしょう。そろそろお茶の時間にしましょうか」
祖母が独り事の様に呟いた。
「インスタントの紅茶しか用意してなくて」祖母はそう言いながら、紅茶パックを箱から取り出し、ティポットの中に入れた。祖母はテーブルに用意された二つのティカップに紅茶を注ぎ始めた。メアリーアンは沈黙に耐えきれなくなり、ティカップにお茶を注ぐ祖母の痩せた手を、じっと見つめていた。
祖母は、その事に気付くと「昔はね......私の手も、あなたの様にしわひとつない綺麗な手をしていたのよ」と言って微笑んだ。
メアリーアンは慌てて祖母の手から目を離した。
「気にしないでメアリーアン。それよりあなたは、お茶は好きかしら?」
「はい、大好きです」
「そう良かったわ。イギリス人はみんなお茶が好きなのよ」
祖母は再び、口元に笑みを浮かべて、メアリーアンにお茶を飲むようにと言った。
それから再び沈黙が訪れた。
「不思議な事があるものね......」祖母がお茶を飲む手をとめて言った。
メアリーアンは驚いて祖母の顔を見つめた。
「あなたとサーシャの事よ」
「え............」
「この、プラムを見てひとつだけ、思い出した事があるの。サーシャが、もっと小さかった頃の話だけれど......夢であなたに会ったと話していた事があるの」
「サーシャが......わたしに?」
「ええ。夢の中で、メアリーアンがプラムを届けに来てくれたと、この子は言っていたわ。プラムからは、とても良い香りがしていて......それはとても甘くておいしかった......とこの子は話してくれたわ......」
「それは、いつの話ですか?」
「そうね......この子が七歳の頃だったかしら風邪をひいて、家で寝ていた日の事よ」
あの日だわ......
サーシャと初めて話をした日......
サーシャに名前をきいた日......
あの時......
あの時サーシャは......
わたしの手からプラムを受け取っていたんだ────
サーシャ......メアリーアンは心の中で呟いた。
「その後、この子は事故にあって......それからずっと眠り続けているけど............メアリーアンあなたを見ていると、この子の話してくれた事は......この子は夢だと言っていたけれど、あれは......」
祖母は話すのが辛そうだった。
それでも話さずにはいられなかったのだろう。
「あれは......本当に起きた出来ごとじゃないかと思えてくるの」
メアリーアンは、こみ上げる気持ちを、溢れ出す涙をとめる事が出来なかった。溢れ出した涙は、止めどなくメアリーアンの頬を濡らした。
「メアリーアン......言葉じゃ説明できない不思議な事が、世の中には存在するものなのよ......」と祖母はメアリーアンに言った。
メアリーアンは、涙で濡れた顔を上げて〝こくん〟と頷いた。
「ありがとうメアリーアン。サーシャの事を忘れずにいてくれてありがとう」
祖母はメアリーアンの体を、痩せた両腕でしっかりと抱きしめた。それから祖母は、メアリーアンの背中を優しく叩くと、何事もなかったかの様に「さぁもう一度、お茶にしましょうかメアリーアン。のどが渇いてしまったわ」と言ってメアリーアンに微笑んだ。
「はい。お祖母さま」
「おばあちゃんでいいわよメアリーアン」
「はい、おばあちゃん。今度はわたしがお茶をいれます」
「ありがとうメアリーアン。私のお茶は濃い目にお願いね」
「はい。おばあちゃん」
祖母は、メアリーアンの母親が待っているホテルまでついてきた。ふたりは短い言葉を交わした後、抱き合って別れた。翌朝早く────
ふたりの泊まっているホテルに、祖母から電話が入った。メアリーアンと母親は、急いで病院へ駆けつけた。
サーシャは......目を開けていた。
サーシャは目を開けて、メアリーアンを見た。
「メ、ア、リーアン............」
サーシャの声は途切れ途切れで......メアリーアンの名前を言い終わるまで長くかかった。
「サーシャ......サーシャ」
メアリーアンは何度もサーシャの名前を繰り返した。
「サーシャ......あなたに会いたかった!」
メアリーアンは、それしか言えなかった。メアリーアンの母親はハンカチを取り出して涙を拭き、祖母は喜びの涙にくれた。
「プラム、を......」とサーシャが言った。プラムをありがとう、とサーシャは言いたかったのだろうか?メアリーアンは、サーシャの金色に輝く髪に触れた。
サーシャの顔が、わずかに微笑んだ様に見えた。しばらくして、サーシャは再び目を閉じた。
翌朝、メアリーアンと母親は、もう一度病院を訪ねた。祖母の目は赤く腫れぼったかった。
「メアリーアン......ありがとう。あなたが来てくれて本当によかった。あなたのおかげでもう一度、サーシャの声を聞く事が出来た......ありがとう、メアリーアン」
サーシャはベッドの上で眠っていた。
あの後サーシャは、また眠りについたのだった。メアリーアンの胸に、祖母の言葉が突き刺さった。
......サーシャに............
また目覚める日がくるのだろうか......
祖母が(再び)サーシャの声を聞く日がくるのだろうか......
サーシャは......
......サーシャは......
サーシャは────
わたしは約束通り、キャルに買ったお土産を持って店に向かった。キャルは先に来ていて、わたしの顔を見ると椅子から立ち上がり、そわそわしながら側までやって来た。
「メアリーアン。どうだったイギリスは?」
「天気は最悪だったけど、ホテルの料理は美味しかったわ。はい、これキャルへのお土産よ」
キャルは嬉しそうな顔でお土産を受け取り、メアリーアンはキャルと同じレモネードを注文した。
最初の一口を飲み終わると、メアリーアンが口を開いた。
メアリーアンの話が終わると、次にキャルが話し始めた。メアリーアンはキャルの話に耳を傾けながら、海の向こうで眠り続けるサーシャの事を想った。
小さなサーシャ。
小さなメアリーアン。
ふたりは森の中で妖精に出会った。
小さなサーシャは、夢の中でメアリーアンからプラムをもらった。
メアリーアンは、サーシャにプラムを渡す事ができた。
大好きなサーシャ......大好きなサーシャ............
キャルは突然立ち上がると「メアリーアン。そろそろ店を出ようか」とメアリーアンに笑顔で言った。
数日後──
メアリーアンは夢の中で、十四歳のサーシャと出会った。
ドアを開けると、そこにヒースの花畑が現れた。ヒースの繁みの中には、サーシャがいた。
サーシャの口元がゆっくりと動いて〝プラムを届けにきたの〟と言った。けれど、
サーシャの声は風にかき消されて、唇だけが動いていた。
あなたにプラムを届けにきたの、と。
メアリーアンが、プラムの入ったカゴを受け取った瞬間、サーシャはヒースの花と共に姿を消した。
階下で鳴り響く電話の音で、メアリーアンは目を覚ました。
「......サーシャ......」
メアリーアンの目から、涙がこぼれ落ちた。
メアリーアンはゆっくりとベッドから起き上がり、階下へ降りていった。




