嵐が来る前夜
今までの休んだ分を取り返す為に俺は1日中働いた。そして、予約したホテルに到着した頃には日付が変わりかけていた。部屋に着いてベッドに倒れ込んだ。
「流石にしんどい…。」
ベッドのシーツがさわり心地がよくてグデーッと横になった。
「代議士、疲れている所申し訳ありませんが、奥さんに電話した方がよろしいのでは?」
「雪乃に?もう夜も遅いし明日でいいか?向こうだってこんな夜中に電話されても迷惑だろ。」
「いえいえ、今回の事もそうですが苦労を掛けているのです。遅くても一言ぐらい、何か労いの言葉を掛けてはどうですか?」
後藤があまりにもしつこいので夜も遅くて大丈夫かなと思いながらも実家に電話をかけた。数コールの後、妻は出た。
『もしもし?どうしたのです?何かありました?』
「もしもし…夜に済まないな。えっと、その…今回の事で苦労をかけたな。申し訳ない。」
『大丈夫ですよ。貴方が騒がしいのは昔からの事でしょう。』
謝った俺に対して、クスクスと笑いながら電話越しに言った。そんな昔に何かあったかな?と頭の中で探っていると電話口から声がした。
『貴方、お見合いで初めて会った時に自己紹介で慌てて立ち上がって椅子を倒した挙げ句、落としたハンカチを拾おうとしてしゃがんで机に頭をぶつけて、立ち上がって頭を抱えて座ろうとしたらその時、机の角に足をぶつけて痛がっていたじゃない。』
「そんな器用な事を昔の俺をしていたんだな。」
『そう。もう今更何も思いませんよ。』
「そうか…。」
女は強しというが本当にそうだ。少し話してから電話を切って後藤に『これでいいだろ?アイツもまあ、元気だった。』と言う。後藤は眉を寄せて『貴方という人は…。』という顔をしていた。
「襲撃の件も大変でしたが、まだ逃亡犯の方が残っていますから危険です。これからは毎日、夜に奥さんに連絡をしてください。」
「毎日……!?」
「あちらも心労も重なっていてツラいでしょうからそれぐらいしてください。」
後藤が凄んでくる。こういう時の後藤を怒らせると後々面倒だ。頷いた。『毎日、妻に直接電話って…新婚ホヤホヤのラブラブカップルじゃあるまいし…。』と気恥ずかしく思うが、『まあ、こんな時だから仕方ないか。』と無理矢理納得させた。
「後藤、そろそろお前も部屋に行ったらどうだ?隣の部屋だっただろう?」
「ええ、そうですね。ですが、部屋に戻る前に代議士、実は…報告があるのですが…。」
「なんだ?良い事では無さそうだな。まあ、怒らないから言ってみろ。」
俺の問いに後藤の顔が更に厳しさになる。余程、良くない話らしい。後藤は言い淀んだ。
「……実は、明日発売の週刊フォーカスで代議士の記事が出るという不確定な情報が。何とか探ろうとしましたが…。」
「フォーカス……襲撃の件か?それとも逃亡犯の方か?エレノアからの話だが、フォーカスの佐々木記者は中井先生の弟君誘拐の時に現場に居たそうだからな。後者か…。」
「申し訳ありません。」
どうして次から次へと…後藤は悔しさを滲ませた厳しい顔になる。俺が乗っている神輿も軋み始めたか、そろそろ色々な意味で限界かな。自虐的笑みを浮かべ、後藤に『大丈夫。』と言って、外に下がらせた。彼は恭しく腰を90度に折り曲げて慇懃な最敬礼をして下がっていった。
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後藤が居なくなった部屋を静寂が支配する。誰も居なくなった部屋で俺は風呂に入るのも面倒臭いので翌朝に後回しにして眠ろうとした。少しネクタイを外し、上までキッチリと留めたボタンを1つ、2つ、外すと解放された気分になる。
「身体がグレードアップしたとはいえ、俺も無敵じゃないな。お腹空いた。」
アマテラス曰く“身体のアップデート”のお陰で俺のバロメーターの数値は最早オリンピック選手3人分ぐらいになっている。感覚も敏感になっている。しかし、良い事だらけでもない。この目まぐるしい予定のせいもあるのかもしれないが、お腹が空きやすい。人より多めに食べないと倒れそうだ。夕飯だって多めに取った筈なのにもうお腹が空いている。良いこと尽くしではないと天井の染みを見ながらウトウトしていると視界の左に人影が映った。そちらに目をやるとエレノアだった。
「うん…エレノアか。なんだ。」
『御主人様、呼んだ?』
「いや、呼んでないが…。」
エレノアを呼ぶつもりはなかった。今の自分が欲しているのは睡眠だ。一刻も早く寝たい所だが言いたい事もある。『ごめんなさい。』と申し訳ない顔をして帰ろうとするエレノアの手を引っ張って引き留めた。
「まあ、言いたい事はある。今日からお前は雪乃と真理を…家族を守ってくれ。」
『分かった。しかし、それでは御主人様の方ががら空きになる。』
「俺の方は大丈夫だ。俺の周りには人が居るから狙いにくいだろう。その他の命令は今度、眠くない時にしよう。」
『……分かった。もし、非常事態が起こった時は駆けつけるので知らせてください。』
「分かった。」
エレノアが話は終わったと早速命令をこなそうと目的の場所に向かおうとしていた。中井家の方は彼らに並々ならぬ思い入れがある“大臣”が美咲と共に守るだろう。そうなったら後はこちらだけ。俺の側には後藤が居る。家族はエレノアが守る。これで大体は大丈夫か。
「後は俺が体調を万全に整えるだけ。」
そう、それで奴が狙おうとしている者は皆守られている。決して奴の思い通りにさせやしない。そうさせて堪るか。逃亡犯に怒っていると眠気が荒波のように襲ってきてフワフワとした感覚になる。そして、俺は熟睡した。




