3、すれ違う自分
どうやら本当にただの夢ではないらしい。下校風景の中には私の忘れていた物が多くあった。別系列の店舗になる前のコンビニや今はないはずの公園、火事で燃えてしまう予定の住宅などどれも懐かしく感じる。鮮明に映る景色に夢を見ているという事さえ忘れてしまいそうになっていた。
「伊達はさあ、クラスの女子で誰か良い感じの子いる?」
「ん、そうだなあ…」
高校の頃は図らずもこんな会話ばかりしていた気がする。私は容姿端麗でクラスの中でも人気の高かった狩谷という女子と付き合うのに必死になっていたが、今改めて誰が魅力的か考えるとなるとつい将来性を考慮してしまう。狩谷は高校三年になるのをキッカケに芸能界に入るが鳴かず飛ばずで苦しい生活を強いられていた。その狩谷に今も思いがあるかと言われるとそうではない。純真な恋心などそんなものだ。淀みを増す程に、自分の理想から遠ざかっていく程に脆く崩れ去ってしまう。もしここが過去であるのならば、彼女がまともな道を歩める様に止めてあげる事も出来るかもしれない。何がまともかは分からない。結局私のさじ加減という事になってしまうであろうが…。
「俺は水嶋さんかな…」
「えぇ!お前ああいうのがいいの?すっげえ地味じゃん。いや、良い子そうだけどさ」
水嶋とはクラス内では地味な方で滅多に笑う事のない女子である。この頃は気にも止めていなかったが、大学に入ってから彼女は別人の様に素敵な女性になる。
「俺は狩谷さんだなあ。やっぱり、ザ・女子高生って感じで楽しそうだし」
現実では高校生と触れ合う機会など一切なく、あったとしても電車の中だ。だからこそ冤罪などが恐ろしく、橋田の言う様に女子高生らしさの強い狩谷には若干の苦手意識が刷り込まれていた。すれ違うだけで少しビビリが出る。
けれどそれは、形は違えど今も昔も変わっていない様に感じる。そこまで根が暗い訳ではなかったが、女子に対しては意識しがちでいつも緊張していた。今でこそ若りし頃の自分が挙動不審であったと認められるが、恐らくこの時代の自分は何かと理由をつけてそれを否定していた。少なくとも、男と居る方が楽だと言い聞かせて諦めていた部分はやはりあるだろう。
大学に入り経験を積み、性別問わず下の名前を気兼ねなく呼べる様になった。社会人になった今となっては不必要なスキルに思われがちだが、その経験があったからこそ人間関係で妙なわだかまりが発生しなくなった。意識の壁を破ったとも言えるかもしれない。
もしこのまま夢が続いていくとしたら、きっと前とは全く違う高校生活になる。過去に戻れたら、と誰もが一度は考えた事があるだろう。しかし、どんなに頑張っても全く同じようにはならない。僅かな蝶の羽ばたきが台風を起こす事もある。私が花のそばでクシャミをする事により暴風警報で休校などという事も無いとは言えない。少しずつの変化が積もっていき、大幅に未来が変わるのだ。ここは夢の世界であり、ある種過去とも呼べる。
そうこうしている内に駅前のラーメン屋に到着した。暖簾の前には僅かな列が成っており、十分ほど待つ事になった。
その間は橋田とずっと話していた。自分のコミュニケーション能力が高くなっている事もあるが、自然と会話は続くものだった。授業やクラスメイトの話はもちろんラーメンの話や趣味の話で盛り上がる。
事件は携帯機種の話になった時だった。
「マイフォーンZだよ。この前機種変更して…」
「…Z?」
キョトンとする橋田を見て気付く。この時代の私の愛用機種ではまだナンバリングがアルファベットではなく数字で行われていた。話が通じるはずが無い。
「あ、いやいや4!マイフォーン4だよ。Zってなんだよ。アハハ…」
夢だと分かっていても少し血の気が引いた。ここの人間にとって私は未来人と言っても過言では無い。この先の事を考えれば面倒事は御免だ。私は夢であってもせっかくならのんびりとした自由な学生生活を楽しみたい。夢でないとしたら、今後に関わる大問題だ。
直に店内に入り久々のラーメンを楽しむ。懐かしむ気持ちとほんの少しの物寂しさが湯気と共に立ち込める。高校卒業後にも定期的に通っていたはずだが、何故ここに来なくなったか、そのきっかけが思い出せない。あるいはきっかけなど無かったのか。
懐かしい味を確かに感じた。味覚がハッキリしていると表現していいのか、濃厚で味わい深く、夢とは思えない程に昔のままの味だ。夢中で食べている間は社会人としての忙しさや、夢であるはずの虚しさを忘れていた。
お腹がいっぱいになって満足したのか、私は少しばかり油断していた。店を出るために暖簾をくぐると、そこにはいつもの天井が広がっていた。
また、夢から覚めてしまった。そもそもそうあるべき物なのだが、どうも納得がいかない。まだ起きるつもりはなかった。
進歩した事があるとすれば、ラーメンを食べに行けた事だろう。それに、もしかしたら現在の橋田に連絡を取れば携帯機種の「未来予知」を覚えているかもしれない。期せずして別のアプローチの仕方を見つけたようだ。一日の終わりを意識した覚えは無いが、恐らく約束を終えた事による区切りが無意識に現実に引き戻したのだろう。
それにしても不可解な夢だ。私はまだ、お腹いっぱいだ。夢の中で追いかけられると起きた時に汗をかいている事はあるが、それは実際に起きてない事に対して焦りを感じているだけだ。それとはまるで違う感覚がある。本当に腹の中にラーメンが入っているかのようだった。
一応、軽く朝食を済ませ会社へ行く事にした。夢は少し楽しめるようになってきているが、現実の苦しさは増す一方である。出来る事が増す一方で責任や物量も増え、結局いつも何かに追われていく。憂鬱な一日は時が飛んだようには過ぎていかない。苦しくて辛い事ほど都合よく時を進めてはくれない。夢と現実が逆だったら良かったのに…。