Quo Vadis ?
更衣奏の葬式は、生前の彼女をイメージさせる、ちろちろとした儚い粉雪のなかで行われた。
最後の別れを告げに行かないのか、と家族に問われたが、俺は首を振って。
今、自室のベッドに閉じこもっている。
現実を受け入れられていないという訳じゃない。もう君は亡くなった。
手に掬った砂が、間からこぼれ落ちるように。
俺の前から居なくなった。
――でも、無くなった訳じゃないと、俺は信じたい。
今でも俺の心の中に、生き続けてるんだから。
◆◆◆
「何処に行くんだ?」
そう訊いた俺に、貴女は答えてくれなかったから。
奏さんの行き先を、俺は分からなかったから。
貴女に生涯を捧げる――って、決めたはずなのに。
もしかしたら俺も、貴女も。
訪ねるほうも、訪ねられる方も、行く先が分からなかったのかも知れない。
この世界に生まれたことが、覆しようのない大罪で。
生きることによって贖罪になるとするならば。
――死ぬことが、本物の救いとするならば。
貴女の後を追うのは、もう少し先になる事でしょう。
奏さんを護りきれなかった俺に、罪が加算されてしまったのだから。
◆◆◆
「運命と宿命の違いって、何だと思い、ますか?」
奏と出会った日、俺は木かげのベンチで本を読んでいた。
本は友達。本は相棒。
人付き合いの苦手な俺は、高校生活が始まって早々に孤立を始めていた。
周りの騒がしい様子に嫌気がさして、図書館に移動しようかと考え始めた頃。
――俺は、そんな「大胆すぎる告白」らしきものを耳にした。
「…………」
声がした方に、目だけを向ける。突拍子のない言葉を発した人は、ベンチの空いたスペースから転げ落ちるギリギリの場所に座っていた。
自身よりも学年が上と証明する、ブレザーに縫い付けられた「緑色」の校章を見、周りを素早く見回し。
俺しか声が届かない事に気づき、嘆息する。
「あ、あの」
「聞こえてましたよ」
返事をする。ここで【先輩】に答えたのは、決して彼女が美しかったからではないと思う。確かに、目を見張るほど美人ではあったけれど。
その表情が、周りよりも数段階、痛々しく思えてしまうものであったから、だ。
4月の、入学して2週間目。上級生は新しく入ってくる新入生を値踏みし、新入生は新生活の期待と不安に胸を躍らせる。
「随分と、大胆な告白をするのですね」
「い、いやっ。……その」
俺の言葉に、【先輩】は慌てて首を振る。自身がどれだけ突拍子もない話を、初対面の人にしているのかやっと理解した、という顔だ。
顔がぱっと赤くなり、【先輩】は羞恥かむ。その笑顔はまるで、絶望の中で僅かな気休めを見つけたように儚い。
「……話す、きっかけが作りたかったから」
――囁くような声であった筈なのに。
その言葉は、空気にかき消されずまっすぐ俺に届く。
これが彼女の精一杯である事に気づき、俺もまた……思わず笑ってしまった。
「場所を、移動しませんか?」
慌てて立ちあがった【先輩】にならう。
――と、その前に。質問の答えの片方を、取り敢えずは答える。
「運命は、選択するものでしょう」
「……ええ。私も、そう思います」
俺が立ちあがった時点で、彼女のもくろみは成就しているらしい。
くすくすと、笑っている。
【先輩】は、奏と名乗った。
「運命」は自身が選択した結果で、「宿命」は何をしても回避できない現実だ。
彼女は俺と接する事を「選択した」けれど。
結局、「宿命」は回避できなかったって訳だ。
◆◆◆
――人っていうのは、考え始めると沼にハマるもので。
俺は次々に奏さんとの記憶を思い出してしまい、首を振る。
気にしていない振りをしていたとしても、それは強がりだ。分かっている。
胸が痛くなるほど、良く分かっている。
――自分の、顔をひんぱんに確認した方が、いいです、よ。
奏さんは、俺の表情をいつも不機嫌だと捉えていた。元からこういう顔つきだと言っても、納得してくれなくて。手鏡を手渡された記憶がある。
まさか、こんな時に。初めて使うことになるなんて。
机に仕舞っていた、【先輩】らしいシンプルな鏡には、うつろな目をした俺が映っている。
「……奏さん」
涙は、出なかった。
それだけで、どれだけ彼女の存在が大きかったか、認識はできる。
涙はひとしずくすら、出てこない。重大な部品を無くした機械は、動かない。
――鏡の奥。視線の片隅に、俺は奏さんの姿を見たような気がした。
いつもの、儚く、しかし俺を見守るような慈悲に満ちた笑顔で。
スッと。解けるように消えてしまった彼女の姿は。
最後の別れを、言いに来たんだろうか。
◆◆◆
――貴女とは、ずっと一緒に居られると思っていた。
眠った貴女を直視出来るほど、俺は強くない。
……奏さん、貴女は。
その均整の取れた顔に微笑みを浮かべて、俺を見つめていた。
一度も訊けなかったけれど。
その儚く美しい目で。
――何を見ていたのだろう?