9 似ている男
「……」
一葉を家に連れて帰った後、俺は自室に戻っていつも通り通信機のパーツをいじっていた。しかし全く集中できない。がちゃがちゃと音を立てながらやる気もなく工具を動かしていると、隣の部屋の静寂が一層際立ってくる。
「まったく……」
作業もろくに進まないし惰性でやっていても上手くいかないだろう。俺は工具を置いて立ち上がると部屋を出て、すぐ隣の部屋――一葉の部屋の扉をノックもすることなく開けた。
「……ライ」
部屋の中でぼんやりとしていた一葉が顔を上げる。随分と憔悴しているようで、泣き腫らした目が真っ赤になっている。
俺は無意識のうちに小さく舌打ちした。なんだこいつは。いつもなら勝手に部屋に入ったことに怒鳴っている頃だというのに。
クラスメイトと適当に話をしながら外を歩いていた俺は、不意に聞こえて来たこいつの悲鳴を聞いて咄嗟に走り出した。他意はない、ただ反射的にそうしただけだ。
「いやあああああっ!」
聞いたことのないような一葉の声を追って廊下に辿り着くと、そこには酷い惨状が広がっていた。どうやら誰かが硬球でガラスを割ったらしい、ボールが血だまりの中を転がっている。そして割れたガラスの中で倒れ伏している白山と少し離れた場所で頭を押さえて悲鳴を上げ続けている一葉が目に入って来た。
俺は集まりつつある野次馬を人避けの暗示で遠ざけると、狂ったように叫ぶ一葉の傍に近寄った。
「おい、一葉」
「ああ、やだ……怖い、赤い」
「一葉!」
駄目だ、こいつ完全に我を忘れている。体を揺さぶろうが名前を呼ぼうが一葉はまるで俺の存在など認識していない。ただ震えながら虚ろな目で悲鳴を上げ続けているだけだ。
俺は躊躇うことなく右手を振り上げると、思い切り一葉の頬を叩いた。
「正気に戻れ!」
「……ら……い」
そうしてようやく一葉の目が俺を見た。本当に面倒なやつだ。
しかし我に返っても今度は「先生が」と喚き始める。仕方がないので一葉を置いて血塗れの白山に近付いた。
一瞥しただけでは確かに酷い出血だが死ぬほどの怪我ではない。この程度の惨状は見慣れているので動揺もしないが、しかし一葉が煩いのでさっさと処置することにした。
制御装置であるピアスが脳の電気信号をキャッチして元素を変換し始める。それを白山の傷口に流し込んで応急手当を終えると、大体の大きな傷は塞がったようだった。
……どうして俺が無関係の男にここまでしてしまったのか。正直な所、白山が怪我をしようが何だろうが俺にはどうでもいい。燃料である元素の残量は十分に残されているが、それでも無駄に使いたいものでもないのだ。
らしくもなくしおらしい一葉から視線を外して俺はテレビの前に座り込んだ。そして勝手にゲーム機を起動させて昨日の続きを始めると、背後で一葉が小さく動いたのを感じた。
「ライ……あの」
「何だ」
「先生を助けてくれて、ありがとう」
「……ああ」
振り向くことなく、手も止めることなく一葉の言葉に返事をする。そのまましばらく沈黙が続いたかと思うと、一葉が俺の隣にのろのろと移動して来た。
しかし一葉は何も喋ることもなく、俺は画面の向こうで敵を切り伏せながらそのまま何気なく口を開いた。
「お前、血が駄目なのか?」
「……うん」
俺にとっては見慣れた光景でも、こんな呑気な国で暮らして来た一葉にはあの惨状は耐え切れなかったのだろう。しかしそうは考えても、あれだけ狂ったように悲鳴を上げていたところを思い出すと、苦手以上の何かがあるように感じた。
「昔から、友達が怪我してる所とか見ると何も考えられなくなって、怖くて堪らなかった」
「友達? 自分のは大丈夫なのか?」
「……分からない。私、怪我したことないから」
「ない?」
「うん……トラックに轢かれた時も、偶然工事現場の鉄骨が降って来た時も、奇跡的に無傷だったし……」
それは強運としか言いようがない。詳しく話を聞いてみると、鉄骨の場合実際に衝突した訳ではなくぎりぎりで助かったという話だったが、それにしたって生まれて今まで怪我をしたことがないなんて十分に運がいい。
「……おかしなやつ」
「でも今日は、私が怪我するはずだった。それなのに先生が」
「何だそれ、お前の運がいいから代わりにあいつが身代わりになったとでも思ってんのか?」
「そういう訳じゃないけど……」
あー、うじうじし過ぎて鬱陶しい。苛立って思わず手元が狂い、気が付けば動かしていたキャラクターが瀕死状態になっていた。
「そもそも窓の傍で野球やってたやつらが一番悪いんだろ。お前はただの被害者なんだから、どうせなら慰謝料でもがっぽり請求してやれ」
それに加えて、白山だって悪い。どうせ守るのならば中途半端に傷つけなければいいものを。自分が犠牲になればいいとでも思ったのだろうか。反吐が出る。
俺だったら一葉も俺も怪我などしなかった。あんな風にこいつが泣き叫ぶことだってなかったんだ。
「……ねえ、ライ」
「あ?」
「もしかして、慰めてくれてる?」
「そう思いたいなら勝手に思ってろ」
「……じゃあ、そう思っておく」
隣から消え入りそうな小さな笑い声が聞こえた。ようやく少しだけ調子が戻って来たらしい。
「お前らしくもなく殊勝になってんじゃねえよ。普段は馬鹿みたいに煩い癖に」
「……最後は余計」
大人しい一葉など気持ち悪い。不本意だが、騒がしい声に耳が慣れてしまった。
瀕死状態になったキャラクターを回復させていると、一葉が画面を覗き込むようにして身を乗り出して来る。
「さっき先生を治してくれたのもあの魔法なの?」
だから魔法じゃ……ああもう、それでいい。面倒だ。
「そうだが」
「本当に色んなことが出来るんだ……。他にはどんなことが出来るの?」
感心するように頷く一葉を横目にコントローラーを動かす。戦闘の魔法コマンドを選択すると、様々な魔法の名前が一覧にずらりと並んだ。
「お前が言う魔法で出来ることは色々あるが、大体のものは三つに分類される」
本来ならば言うべきことでもないが、こいつが知った所で何が変わる訳でもなく、悪用できる訳でもない。
「三つ?」
「主に精神、脳に影響を及ぼすようなものを暗示。今日やったような治療や身を守るようなものを加護。そして最後に世界を移動するような時空に作用するものを転移と言う」
表示された魔法の中から、順番に混乱させる魔法、防御力を上げる魔法、テレポートの魔法にカーソルを合わせると、一葉は少し悩むように「転移……」と小さく呟いた。
「……ライ」
「なんだ」
「この世界にライ以外の人も来たことってあるんだよね?」
「? ああ。多少の現地調査はしているはずだ。とはいえ時空が大分離れているから脅威になりえるかどうか判断するくらいの軽い調査だろうが」
「じゃあ、さ」
一葉がじっと俺を見上げる。手を止めて振り向くと、一葉は少し口ごもった後に真剣な表情で口を開いた。
「ライの家族も、ここに来たことってある?」
「……いきなり何を言い出すかと思えば」
一体何があってそんな質問をしたのか。一葉の意図が分からずに思わず首を傾げた。
「どうしてそんなことを思った?」
「実は、今日先生が……ライに似た人を見たことがあるって言ってたから」
「……俺に?」
あの男、本当に何なんだ?
初対面から違和感を覚えていたが、やはり何かあるのだろうか。もしかしたら、今日怪我を治したのは早計だったかもしれない。
一瞬だけそう思ったがすぐに打ち消した。どのみち時間が経てば治る程度の傷だ。治さないならそれだけ一葉も煩かっただろうし今更の話だ。
「それにさ……実は、私も見たことがあるかもしれないの」
「……は?」
一葉も?
どういうことだと視線で話を促すと、一葉は「実際に見た訳じゃないと思うけど……」と言葉を濁した。
「じゃあどういう意味だ」
「私、昔から同じ夢を何度も見るんだけど、その中に出て来る人がライにそっくりなの」
「夢?」
「うん。だから最初にライを見た時、ホントにびっくりした」
夢なんて言葉が出て胡乱な目で見てしまうと「本当だし」と少々不満げな顔をされた。
「……夢自体は短いんだけど、赤い服を着たライが」
「俺じゃないからな」
「分かってるってば! ライにそっくりな人がいつも何か言って泣きそうになりながら笑うの。覚えてるのはそれだけなんだけど……」
「……ふうん」
少なくとも一葉の話から確実に俺じゃないことは分かる。そんな顔をした記憶などないし、そしてこれからもないだろう。そもそもそんな泣きそうな顔をした自分の顔など想像もできない。
だが二人も俺と似た人間を見たというのならそのまま気のせいだと切り捨てるのもどうだろうか。夢を見た――それも複数回同じものを――というのなら、一葉の気付いていない間に実際にその男に会っている可能性だってある。
「その夢はいつから?」
「覚えてないけど、多分物心ついた頃からだと思う」
「随分昔だな。十年は前か」
「それで、ライに兄弟とかいないの?」
「ああ。俺は家族なんて一人もいないし、血縁者とも会ったことがない。仮に居たとしてもここに来たかは分からないな」
「え? ……家族、いないの?」
「そうだが」
酷く衝撃を受けたような顔をした一葉は少し黙り込んだあと何故か小さく「ごめん」と謝罪して来た。
「何についての謝罪だ?」
「いや、無神経なこと聞いたかなって」
「別にただの事実だ。何の問題もない」
「……」
ますます一葉が黙り込んで俯いたので、俺はそのままゲームを再開させながらそっくりな人物とやらに思考を巡らせた。
色んな世界の情報を集めて来たが、流石に自分とそっくりな人間というのはお目に掛かったことはない。遺伝子を採取されてクローンが作られていたとすればまあ筋が通るが、特殊な人間でもない俺のクローンなど作る意味もない。
正直な所そっくりな人間がいようがどうでもいいが、そいつが今後俺を騙って任務に支障を及ぼす可能性があるのならまた別だ。一応記憶に留めておくことにする。
「ライ」
考えがひと段落した所でタイミングよく一葉が声を掛けて来る。
「あんたは今、凪野雷って名乗ってるよね?」
「だから何だ?」
「だから! あんたは今しょうがないけど戸籍上は凪野雷なの! うちの人間なの!」
「はあ? それで?」
「……もういい。知らない」
言葉の意図が分からずに聞き返すと、一葉は脱力したようにそう言って大きく溜息を吐いた。ますます訳が分からなかった。相変わらず要領を得ないやつだ。