7 運命の赤い糸
「ねえねえ、この前言った占いのお店、これから行ってみない?」
部活の後、汗を拭きながら着替えていると、不意に思い出したようにさやかがそう言った。
ちなみに友人であるさやかも莉子も同じ剣道部だ。むしろ同じクラスで同じ部活だったからこそ全く性格の違う三人が揃ったとも言える。
「私パス。これから塾行かないといけないし」
私が返事をする前に莉子がそう言った。口調は冷めているもののその表情は少し残念そうだ。普段占いなんて興味ないという素振りを見せているが気になってはいたのだろう。
「そっか、じゃありっちゃんはまた今度一緒に行こうね。いっちゃんはどうする?」
「うーん……せっかくだし行ってみようかな」
「やった!」
そう言うとさやかがぱっと表情を明るくした。
全て信じるかは別としても興味があるし、一人では絶対に行かない場所なので一度くらい見てみたい。
着替えを終えた私は莉子と別れてさやかの案内でその占い店に向かうことになった。
「……ここ?」
「そう、ここ!」
さやかが足を止めたのは小さな三階建てのビルの二階。そして私の目の前にどん、凄まじいインパクトを誇る極彩色の扉が立ちはだかっていた。占いの館、と非常に読みづらい文字で書かれているその扉を見た私は、一瞬にして背中を向けて帰りそうになった。なんかもう既にやばい。
「すみませーん」
しかしさやかは全く臆することなく扉を開けて中に入っていく。その扉の先が薄暗いので余計に入るのを躊躇いたくなるが、さやかに続いて恐る恐る足を踏み入れた。
僅かな照明のみの室内は、どっかの民族の人形であったりよく分からない怪しげな首飾りだったりといろいろなものが飾られている。……こう言っては何だが、もうインチキ臭いとしか言いようがない。
「ようこそいらっしゃいました」
「二人とも占ってもらいたいんですけど」
「おひとり様ずつ、十分で千円です。より詳しく占うなら三十分三千円頂くことになりますが、いかがいたしますか?」
さやかは部屋の端にあるカウンターに向かうとそこに座る女性に話しかける。
「いっちゃん、十分の方でいい?」
「うん」
占いの相場は分からないが、恐らくぼったくりという値段ではないだろう。帰りにコンビニで買い食いでもしたと考えれば例え占いが外れていてもそんなに精神的にダメージは来ない。むしろダイエットになったと考えればいい。外観やら内装やらで既に信じる気が失せている。
「……では、奥の部屋へどうぞ」
お金を渡すと薄暗い先に見える扉を手で示された。さやかがあっさりとその扉を開くと、その奥には目に悪そうな紫色の照明が見えた。
意を決して二人で奥の部屋に入ると、水晶玉が置かれたテーブルの向こう側に一人の女性が薄く笑ってこちらを見ていた。
「迷える子羊が二人……ようこそ我が占いの館へ」
噴き出しそうになった私は悪くない。子羊て。
「さて、どちらから占いましょうか」
「いっちゃん、先良い?」
「ぜひ」
さやかありがとう。真っ先に挑むような度胸は私にはなかった。
さやかは「恋愛運を占って下さい」と言いながらわくわくした様子で対面する席に腰掛けた。最初に名前を尋ね、しかし占い師はそれ以上何も聞くことはなく目の前の大きな水晶に両手をかざし始める。
「……ああ、見えます。あなたの今が、そして未来が……」
やばい。ここまでインチキ臭いと笑いしか込み上げて来ない。私は薄闇の中でこっそりと口を押さえながら必死に笑いを押し殺した。
「何が見えたんですか!」
「あなたは今、複数の男性に想いを寄せられています」
「え、そ、そうなんですか?」
「間違いありません」
さやかが自身が分かっていないことなので何とでも言えるが、まあ確かにそれが事実だということを私は知っている。さやかは可愛いので十分に当たる確率は高かっただろうが。
「そうですね……その中の一人と、あなたは一か月後に付き合い始めます」
「一か月後かあー。誰なんだろう、ドキドキする」
「ええ、ですがあまり周りに愛想を振りまきすぎると上手く行かないので気を付けて」
まあ、それはそうなんじゃないだろうか。さやかは嬉しそうに頬を押さえているが……まあ本人が嬉しそうならそれでいいのかもしれない。とりあえず壺やパワーストーンを押し売りされる訳でもなさそうなので一安心だ。
それからそれがどんな人物なのか、付き合ってからはどうなるのかなどを尋ねて十分が経過し、さやかは満足そうに「ありがとうございました!」と占い師の女性に頭を下げた。
「ほら、次いっちゃんの番!」
「う、うん……よろしくお願いします」
「ええ」
椅子に座らされた私は、平然と笑い続ける占い師に緊張しながらそう言った。いざ目の前にすると何となく信じてしまいそうな異様な迫力がある。
「それで、何について占いましょうか?」
「……じゃあ、恋愛を」
「あなたのお名前は?」
「凪野一葉です」
無難にさやかと同じく恋愛運について占ってもらうことにした。本当に信じられる占い師だったら勿論自称兄のあいつをどうにかする方法について聞きたいが。
占い師が水晶に手をかざす。すう、と目を細めた彼女はしきりに水晶玉を覗き込み、そして不意にその動きをぴたりと止めてしまった。
「……これは、珍しい運勢の方ですね」
「はあ」
「占い師さん、いっちゃんの運命の人とか分かりますか!? 例えば身近に!」
「運命の……ええ、います。確かに」
運命の人がいると言われると、なんだか妙に気になって来た。さっきまで後ろであれだけインチキだと思っていたのに、少し期待してしまいそうになる。
「出会いは、最近……? いえ、少し……もっとずっと昔かしら……」
「どっちですか」
思わず突っ込んでしまった。しかし占い師は気にした様子もなく冷静に続ける。
「少し読みづらいわ。でも絶対にいます……真っ赤な糸で結ばれた運命の人が」
「真っ赤な糸、ねえ」
「絶対に解けない、強い運命で繋がれた人です」
赤い糸というありきたりな文言に少し冷静になった。よくよく考えてみれば、今まで何かを当てられた訳でもないのだ。やはり安直に信じられない。
「……凪野さん」
「はい」
「ひとつ忠告を。あなたはこれから先、辛い別れがあります」
「別れ?」
「そうです。けれど辛いからと言ってそれから目を逸らしては決してなりません。真実は全て、その先にあるのですから……」
最後に、酷く真剣な表情で言われたその言葉は何故かとても印象に残っていた。
「ただいまー」
「遅かったわね。もうご飯にするからお兄ちゃん呼んできて」
「はーい」
家に帰った私は制服から部屋着に着替えると、お母さんに言われた通り隣の部屋をノックした。
「ライ、ご飯」
「勝手に入って来るな」
人の家に勝手に住み着いているやつが何を言うのか。返事をする前に扉を開けると、工具片手に不機嫌そうな顔をしたライがいた。また通信機の修理をしていたらしい。
「それ、直るの?」
「さあな。そもそも俺は機械修理は専門外だ。プログラムを組むのならば得意だが」
がちゃがちゃと音を立てながら分解したパーツをいじっているライの隣に座り込む。何となくその様子を見ていると「いつもより遅かったな」と思い出したように言われた。
「部活の後他の所行ってたから。……そういえばライって占いとか信じる?」
「占い?」
ライが手を止めて思い切り顔を顰めた。
「それは何の論理的根拠もないのに予言だとかいい加減なことを言って金巻き上げるやつのことか?」
「身も蓋もない」
「生憎非科学的なことは好きじゃない」
吐き捨てるようにそう言ったライに「魔法使ってる癖に」と思わず言ってしまうと「一緒にするな、あれは科学技術だと言ってるだろうが」と憮然として返された。
「でも似たようなもの……ん?」
ふと、私はライの横顔を見ながら首を傾げた。今何か光ったような気がしたのだ。じろじろと眺めているとライが不愉快そうに眉を顰めて手元から顔を上げた。
「何だ一体」
「いや、何か光ったような気が……あ、これだ!」
「っ止めろ!」
私がライの耳……正確に言うとそこについている透明で小さなピアスに触れようとすると、その直前にがしりと強く手首を掴まれた。
「これに触るな、壊れたらどうしてくれる」
「壊れるって、そんな繊細なものなの?」
僅かに光に反射するピアスは、ぱっと見透明かつ髪に隠れていて酷く見えにくい。私が今見つけたのだって照明の光で偶然見えただけだ。
「これはただのピアスじゃない」
「じゃあ何?」
「……」
やけに困ったように口を閉じたライはしばらく黙り込んだが、ややあって「まあいいか」と呟いて一人勝手に納得して話し始めた。
「このピアスは暗示や加護を使用する際に必要な制御装置だ」
「こんなに小さいのが?」
「この中に燃料となる元素が保存されている。それを消費して目的に応じて変換する機能を持っている」
「これが必要ってことは、じゃあもしかしてこれを付ければ私もその暗示とか使えたりするの?」
「は、まさか」
何となく思いつきでそう尋ねてみると即座に鼻で笑われた。普通に使えないと言えばいいのにあからさまに馬鹿にされるとイラッと来る。
「確かに極論で言えば誰にでも使える素養はある。が、十分な訓練と装置の内部理論を完全に理解しなければ使えない。つまりお前には絶対に無理だ」
「絶対って何よ」
「ん? はっきり言って欲しいのか? お前には一生掛かっても不可能だ。何せ馬鹿だから」
「こいつ!」
本当に憎まれ口叩くのが生きがいなんじゃないだろうか、この男。
「そんなのやってみなくちゃ分かんないじゃん。貸してみてよ!」
「嫌に決まって……って何すんだお前!」
苛立ちの勢いでライに飛び掛かった私はピアスに手を伸ばそうとするがぎりぎりで阻止される。
「いい加減にしないと痛い目見せるぞ小娘!」
「だったら少しくらい言動を慎めこの無神経男!」
暗示が使える使えないはこの際はっきり言ってどうでもいい。正直な所この余裕ぶった男をどうにかしたいだけというのが本音だった。
「ああもううるさい! あんた達何やってんの!」
低次元な罵り合いがヒートアップしていると、突如部屋の扉が勢いよく開かれた。
怒りながら扉の先に居たのは言うまでもなくお母さんだ。それを見た瞬間私達は即座に言い争いを止め、そして二人して何も言わずとも無意識に床に転がっている携帯の残骸をお母さんの視界に入らないようにさりげなく隠した。
「一葉、ミイラ取りがミイラになってどうするの! お兄ちゃん呼んできてって言ったでしょうが」
「すみませんでした……」
「雷もさっさと来ないと夕飯抜きにするわよ」
「はい……」
お母さんの前ではライもみるみるうちに大人しくなる。
言いたいことを言い終えた所為か怒りを収めたお母さんは「すぐに来なさいね」と再度念を押して踵を返す。
「まったく、仲が良すぎるのも困ったものだわ」
しかし去り際にぶつぶつと聞こえて来たその言葉に、私もライも「「仲良くない!」」と不本意ながら声を揃えて叫んでしまった。




