5 デート(仮)
次の日曜日の朝、私は何度も何度も念入りに髪や服装をチェックして鏡の前に居座っていた。
「一葉、あんた珍しく早起きしてどうしたの?」
「ちょっとこれから出かけるの」
「どこ?」
「遊園地!」
自分でも分かるぐらいへらへらと表情を緩ませながら怪訝そうな顔をしたお母さんに答える。するとしばらく私をじっと見ていたお母さんがややあって「ふうん」としたり顔を浮かべた。
「もしかしてデート?」
「でっ」
「やけに浮かれてるしおしゃれしてると思ったら成程ね。それで? 相手はどんな子なの? イケメン?」
矢継ぎ早に問われる質問に私は何も答えることは出来なかった。何しろデートという言葉が頭の中をひたすら駆け巡っていたのだから。デート……そうかデートなのか。
あの後、先生は最終的に私の誘いを受け入れてくれた。……少し悩んでいた先生を私が押し切ったようなものなのは秘密だ。
おまけにアドレスまでゲットできたのだから、顔が緩んでしまうのは仕方がない。
慌ただしく準備を進めていると、リビングを通りかかったところでライが朝食を食べているのが見えた。
「一葉、どうしたんだ?」
「それがデートらしいのよ」
「……デート、ねえ」
「ち、違うからね!」
お母さんの前だからか口調は柔らかいものの、私に向ける目は胡乱なものだ。それを無視して準備を進める。ちょうどライが食べ終わる時に準備は完了し、私は意気揚々と玄関へと向かった。
「行って来ます」
「あまり遅くならないようにね」
「……」
お母さんの後ろでライが何か思いついたように悪い笑みを浮かべていたことを、背を向けていた私は当然気が付かなかった。
「先生!」
電車を乗り継いで辿り着いた県内一の大きさを誇る遊園地。そのチケット売り場の横で待っていた先生は、走る私を見て眼鏡の奥を和らげた後、何故か首を傾げた。
「お待たせしてすみません」
「いや、私も今来た所だけど。お兄さんも一緒に来たんだね」
「……はい?」
一瞬言われた言葉の意味が分からなくて先生同様に首を傾げる。そして先生の視線が私を通り越してその後ろを見ているのに気付いた私は、ぎぎぎ、と油が差されていない人形のような動きで背後を振り返り、絶句した。
「どうも一葉の兄の凪野雷です。妹がいつもお世話になっています」
私の背後で愛想良くそう言った男――ライは先生に向かって頭を下げた。……俯いたやつの顔が面白そうに笑うのを見た私は我に返って、「ちょっとすみません!」と先生に一言断ってライを全力で引っ張って先生と距離を取った。
「あんた、どうしてここに!?」
「後をつけて来ただけだが?」
「そういうこと聞いてるんじゃない! なんで着いて来たのかって言ってんのよ!?」
できるだけ声を小さくしながらもそう叫ぶと、ライは困惑する私を楽しそうに眺めて平然と口を開いた。
「通信機の修理が難航している」
「はあ?」
「やはり本来使う部品とは違うからな。代用品だと勝手が違って中々上手く行かない」
一体何の話だ。
ちなみに以前断念した携帯だが、先日お母さんの了承を得て購入している。が、速攻で無残に分解されてしまった。毎日がちゃがちゃと修理をしているのが私の部屋の隣である元物置部屋から聞こえて来てうるさい。
それはそうと本当に何で脈絡もなくその話になったのか。
「手が止まって苛々してるところでお前が浮かれてへらへら笑ってたのが癇に障った。だから邪魔してやろうかな、と」
「ほんっと性格最悪だこいつ!」
ただの八つ当たりか! 私は思わず先日のようにライの足を蹴り飛ばそうとしたが、その前に「おーい」と先生の声が掛かって咄嗟に踏み止まった。
「……すみません、兄が勝手に着いて来たみたいで」
「いやー、一葉がデートなんて言うから一体どんな相手かと気になりまして」
「な」
私はデートなんて一言も言ってない。それなのに先生に勝手に勘違いした女のように思われるじゃないか!
「違います違います、私そんなこと言ってな」
「という訳で、俺もご一緒してもいいですか?」
「あ、ああ。勿論だ」
少し困ったように笑う先生に、誤解されたあああ! と内心で悲鳴を上げる。そんな私を置き去りにしてさっさと話を進めてしまったライに軽く殺意が沸いた。
ライなんか携帯分解したのお母さんにばれて怒られればいいんだ!
結局三人で入ることになってしまった。一生恨む。
私達は一日フリーパスのチケットを買って(なんとライの分も含めて先生が出してくれた。本当にすみません)、まず最初にどれに乗ろうかとパンフレットを覗き込んだ。
「二人はどれが乗りたい?」
「一葉に任せます」
「……先生、ジェットコースターって平気ですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
「なら最初はそれがいいです」
人気のアトラクションなので後に回せば随分待つことになるだろうと思ったのが理由の一つだ。……ちなみにもう一つの理由は、万が一ライがジェットコースターが苦手である確率に掛けたのだ。私の恨みは深い。
歩きながら、私は世間話をしている二人を見上げた。私に向けるものとは違う外面の良い笑顔を張り付けるライを見ているとなんだか腹が立ってきた。何しろやつは私の好みの顔だから。
「……」
そして隣を歩く先生もそうだ。やっぱり二人は少し似ている。特にライが猫を被っているとその雰囲気も似て来るのだ。多分私はこういう癒し系の顔が好きなのだろう。多少面食いなのは否定しない。
……ライ自体が好きな訳じゃないけど!
「もう結構並んでるな」
そうして辿り着いたジェットコースターの下では、開園してすぐだというのにすでにたくさんの人が列をなしていた。後から来なくてよかった。
「おい……ちなみにここはどういう施設なんだ?」
「分かってなかったんかい」
並び始めるとすぐにライが小さな声で尋ねて来た。……まあ確かに、戦争中ならライの世界にはこういう場所がないのかもしれない。
私は先生を気にしながらこそっと「色んなアトラクションが楽しめる娯楽施設だよ」と耳打ちした。しかしその声は傍のレールを疾走するジェットコースターの音にかき消され、ライは少々驚きながらコースターを見送った。
「……何の訓練だ」
「訓練て」
「三半規管を鍛えるものなのか、それとも戦闘機のスピードに慣れる為のものなのか……」
ぶつぶつとそういうライに、今度は私も返事をしなかった。
「先生は、遊園地ってよく来るんですか?」
ライのことは放っておいて先生に話しかける。
「いや、殆ど来たことはないな。昔教師になりたての頃に一度だけ同僚に連れていかれたくらいだね」
「え、じゃああんまり好きじゃなかったんですか?」
「そういう訳じゃないよ。ただ慣れてない場所だから一人で行くのも、と思ってた所だったんだ。今日は楽しみだったよ」
にこ、と微笑み掛けられて私も釣られてへらへらと緩んだ笑みを浮かべてしまう。
「でもこの前は色々言ってたけど、凪野はお兄さんと仲がいいんだな」
「そ、そんなことないです」
「そうか? 凪野のことを気に掛けて来てくれたんだろう?」
「あいつはただ私を揶揄って面白がっているだけです!」
必死に否定するのに先生はあんまり信じていないように笑っているだけだ。そうこうしているうちに列は進み、ようやく私達の番になった。
「乗るぞ」
「え?」
早速コースターへ乗り込もうとした私の腕をライが引っ張ったかと思えば、当然のように隣の席へと座らされた。コースターは二列だ。つまり全員横に並ぶことは出来ない。
先生が私の後ろに座ったのを見て、私はついライを睨み付けた。
「お兄ちゃんと一緒で嬉しいだろう? 妹よ」
「……一回痛い目見ろ」
ライがいなければ隣に座れるどころか一日先生を独り占め出来たのに。
がたがたと音を立てながら登るコースターに揺られながらそんなことを考える。周囲を見れば随分高い所まで来ている。ジェットコースターは全く怖くない訳じゃないけど好きだ。むしろその微妙なハラハラ感が癖になるともいう。
そろそろ落ちる頃だと僅かに緊張し始めると、出来るだけ右側を見ないようにしていた私の油断を突くように、突然ライが右耳に口を寄せて囁いた。
「お前、あの教師のこと好きだろう」
「……え?」
瞬間、私は落ちていた。
虚を突かれた所に容赦なく襲ってきた心臓に悪い浮遊感と強烈なスピード感に、私は普段絶対に出さない悲鳴を大声で上げてしまった。
「ぎゃああああ!」
「うるさい」
誰の所為だ誰の! かろうじて聞こえて来た隣からの苦情に怒りを増幅させる。一周回ってようやくコースターがゆっくりと動きを止めると、私は疲れてぐったりとしながらのろのろと外に出た。
「凪野、大丈夫か?」
「ああはい……大丈夫です」
ふらついている私を心配してくれたのか先生が優しい言葉を掛けてくれる。ああ、やっぱり先生は優しい。それに引き換えこの自称“兄”は……。
「……なんで知ってるの?」
「どう考えても分かりやすすぎるだろうが」
「そうかな……」
そういえばさやかにも分かりやすいと言われた。
先生にばれないようにこそこそと話した後、とりあえず近場のアトラクションから回っていこうという話になり、私達は移動し始めた。
シューティングのアトラクションでは意外な結果だが私が一番だった。「普段のものと違うからやりにくい」なんて言い訳をしていたライはあまり点数が伸びず、終わった時は無言で睨まれた。何て大人げない。私と大して年変わらないけど。先生の方が僅かに上だったので最下位だったのが余計に気に障ったのかもしれないが。
次に乗ったのは急流すべりのアトラクションだ。今度は先生の隣に座れたので喜んでいると、先生と共に正面から思い切り水を被ってしまった。ちなみにライはその後ろで私達を盾にして涼しい顔をしていた。
「凪野、ほらタオル」
「ありがとうございます!」
しかし先生がタオルを貸してくれたので全く悪いばかりではない。お礼を言いながら髪や顔を拭くと、なんだか先生の匂いがしてドキドキした。変態くさいのは否定しない。それを見ていたライの視線が冷めたものになったのに気が付いて、私は急いで服の水分を拭き取った。
「すみません、洗って返します」
そうは言ったものの先生は笑って首を振り、私の手からタオルを持って行ってしまう。
「じゃあ、次行こうか」
「はい!」
「……」
微笑む先生に私は大きく頷いて隣に並ぶ。ちらりと振り返ると、何故かライはじっと先生を無言で見続けていた。
トラブルが起こったのはそれから少し経ってからだった。
「凪野」
「どうしたんですか先生……あれ?」
先生が後ろを振り返ったのを見て一緒に後ろを向くと、そこにライはいなかった。しまった、先生と話すのにいっぱいいっぱいでライに全く意識を向けていなかった。
「居ないな。どこかではぐれたのかもしれない」
「どうしよう……」
この世界ではとにかく常識知らずの男だ。一人だと一体何をしでかすか分からない。
「お兄さんの携帯は?」
「あー……すみません、あいつ持ってなくて」
「珍しいな」
持っているといえば持っているが原型を留めていないのでノーカウントでいいだろう。
「先生、ちょっとここで待っていて下さい。探してきます!」
「いや、私も一緒に」
「大丈夫です!」
私は傍のベンチに先生を座らせると、急いでライを探す為に駆け出した。もしライが何か不審な行動をしていたら先生に知られる訳にはいかない。
……なんで私、あいつのこと庇ってるんだろう。