3 異文化交流
「それで、一体何の用なの」
学校から出てようやく腕を離されると、私は不機嫌を全面に押し出しながら隣を歩く傍若無人男に話しかけた。
「最低限必要な日用品と、それから壊れた通信機を修理するのにパーツがいる。案内しろ」
「……あんたねえ、人にものを頼む態度ってもんがあるでしょうが」
本当に態度の悪い男だ。教室や家では猫を被っているようだが、正体を知る私には全く容赦がない。
……というか、本当にこの男は他の世界の人間なんだろうか。普通に考えれば最初に言ってしまったように精神病院直行の頭の可笑しい人間でしかないが、この日本であんな銃を所持しているだけで普通の人間とは言い難い。
だがそれはそれとして、異世界なんてぶっ飛んだことが信じられる訳がない。まだ他国の工作員だと言われた方が納得する。
「ねえ、あんた本当に異世界の人間とか言うわけ」
「そう言ったはずだが何か問題でも?」
「あるに決まってるでしょ! というか、そんなの信じられる訳ないじゃない」
「別にお前が信じようが信じまいがどうでもいいが……そうだな」
ライは煩わしそうに私を見た後、少し考えるようにしてから片手を顔の前まで上げた。
何をするのかと見ていると、彼は目を細めて指先をじっと見つめ始める。
次の瞬間、その指先に小さな火が灯された。
「……ええっ!?」
「静かにしろ。周りにばれたらどうしてくれる」
思わず叫んだ私を睨むライはすぐさまその火を消してしまう。火傷をした様子もなく平然としたライを見た私は今しがた火が着いていた指先を食い入るように見た。
「何、今の」
「この世界で言うところの“魔法”のようなものだ。今朝銃を撃った時も誰も来なかっただろう。あれも同じ、人避けの暗示を使っていた。俺のいた世界を含めていくつかの世界では大気中に特殊な元素が存在している。それを収集して凝縮、そして制御装置を通すとこういうことが出来る」
「……よく分かんない」
「別にお前が理解する必要はない。とにかく魔法みたいなことが出来ると考えればいい。この世界の大気にはほぼ存在しないと研究結果が出ているしな」
研究って……既にこの世界は他の世界に知られているのか。何だか話が壮大すぎて何が可笑しいのか分からなくなってきた。
「この世界にはないってことは、使ってると無くなる?」
「まあそうだが……言っておくが逃走時に十分に確保してあるから暗示が解けるのを期待するのは無駄だぞ。大よそ半世紀分は準備してある」
「は……半世紀」
そんなに居座るつもりなのかこの男は!?
一応尋ねると、流石にそこまで留まるつもりはないらしい。というよりも、ほとぼりが冷めて通信機が直ればもうここにいる必要はないという。
……とにかく、一刻も早くその追手とやらが諦めてくれるといい。私の平和の為にも。
そんな話をしながらショッピングセンターに着いた。大体の物はここで揃うだろう。学校の傍にいい場所があって本当によかった。遠い場所だと着く間ずっと文句を言われ続けそうだ。
「それで……通信機のパーツってどういうものがいるの? 私そういうのよく分かんないけど」
「似たような機械はないか。それを分解して使えればいい」
「……携帯かなー」
その通信機を見たことはないので何とも言えないが多分そんな感じでいいだろう。
まず私達はショッピングセンター内にある携帯ショップへと足を運んだ。家族で契約しているのと同じ会社の所だ。
物珍しそうに周囲を観察するライを見ながらその場所へとたどり着くと、ずらりと並んだ携帯の機種を見てライが「ほお」と小さく感嘆の声を漏らした。
「この手の技術はそこそこ進んでいるらしいな」
「はいはい。……ところで、あんたお金とか持ってるの?」
私は言うまでもなくおにぎりを買うほどのお金もない。ちなみに昼食は友達に少し借りて事なきを得た。
そう言った私に、ライは小馬鹿にするように口元を釣り上げた。
「元々お前に期待はしていない」
「されても困るけど……」
「どの世界でも換金できる宝石類は常に所持しているし、ここへ到着した昨日のうちに換金も済ませてある」
「ならいいけど」
人が一人増えるということはそれだけ我が家の出費も多くなるということだ。見ず知らずの(それも銃で脅して来るような)人間にうちの家計を脅かされたら困る。うちは貧乏という訳ではないが特別セレブな訳でもないのだ。
「ところで、これはどういった機械なんだ?」
「電話とかメールが出来る機械だよ。他にもアラームとか付いてたり、ゲームとかインターネットも出来るけど」
「インターネット?」
「何ていうか……世界中の情報を検索できるやつ」
私が自分の携帯を取り出してネットに繋げて説明すると、ライはじっと画面を見た後に険しい表情で眉を顰めてみせた。
「……不用心な世界だな。こんなに簡単に一般人が情報を調べられるとは」
「でも個人情報とかはちゃんとセキュリティ掛かってるよ?」
「そういう問題じゃないしそれくらい破れるやつぐらいいるだろう。それに……お前がもし俺のことを書き込んだら一瞬にしてその情報が世界中に拡散する可能性がある訳だ。追手に知られるかもしれない」
SNSを見ながらそう呟いたライはじとりと私を見て、そしておもむろに懐に手を伸ばそうとした。
「そうなる前に、やはり殺しておこうか……」
「待て待て! ちょっとタンマ! ステイ!」
「何を訳の分からんことを。初めからお前に成り代わった方が楽だったかもしれんな。それじゃあ」
「私が死んだら絶対に化けて出てやるから! 毎晩悪夢を見るように呪ってやる!」
苦し紛れにそう言うと、ライは酷く冷めた目で私を見た。くそう、絶対にこの男幽霊とか怖くないタイプだ。
「冗談だ。お前みたいな煩い小娘に成り代わるのは面倒だしな。だが俺の情報を漏らしたらその時は別だ。分かってるな?」
「分かったって!」
この野郎、とライを強く睨み付けるが、やつはどこ吹く風という様子でさらりと受け流している。命には代えられないから黙っているつもりだが、それでもその間ずっとこの男と過ごさなければならないのかと、初日から酷く気落ちした。
険悪な雰囲気の中、携帯選びは進む。実際に携帯として使う訳ではないのでそこそこスタンダードなものでいいかと適当に選び終えた所で、私はふとまずいことに気が付いた。
「あ」
「なんだ」
「携帯買えないかも」
「はあ?」
「未成年だと保護者がいないと駄目だったような」
そう思い出してカウンターにいるお姉さんに尋ねてみると、保護者が一緒にいない場合は同意書や、保護者の確認書類も必要なのだという。暗示が効いている今、ライが頼めば両親も書類を用意してくれると思うが、それでも今日は無理だ。
「面倒な……」
苦虫を噛み潰したように顔を歪めたライを引っ張ってショップの外に出る。駄目な物は駄目なのだから仕方がない。
「ほらさっさと次行くよ。色々買うものあるんでしょ」
「……そうだな」
なんで私がライの面倒を見なければならないのかと思いながら腕を引いて次の店へと向かう。まず服がいるだろうと一番近くにあったカジュアルな服が置いてあるショップに入ると、ライは不機嫌そうだった表情を緩めて周囲を見渡した。
「……結構種類があるな」
「そうかな? ここで気に入らなかったら他の所もあるけど」
「……」
無言で傍にある服を手に取ったライは特に文句をつける訳でもなく何着かの服を私の持つ籠に放り込んでいく。それらはどれも暗い目立たない色のものばかりで、明るい色は目にいれようとすらしていない。
「ねえこれは?」
「却下」
私が赤っぽい上着を手に取ってライに見せると、彼は一瞬だけこちらを振り返って即座に首を振った。似合うと思ったのに。
ライが赤い服……単純に私が夢の中のあの人と同じ格好をして欲しかっただけだけど。
「次行くぞ」
「はいはい」
特に悩むこともなく服を買い終えたライがすたすたと早足で歩き出す。それに面倒臭いと思いながら着いていくと、急に前を歩くライの足がぴたりと止まった。
それに気付くのが遅れた私は、当然のようにライの背中に思い切り顔面を直撃させてしまう。
「痛い!」
思わず声を上げるがライからの返事はない。てっきり怒られるかと思った私が恐る恐る顔を上げると、ライは私のことなど全く見ていなかった。
何を見ているのかと視線の先を追うとそれは何のことはない、色んな所で見かけるカフェチェーン店のメニューのディスプレイだった。
「……入るぞ」
「え?」
有無を言わせず腕を掴まれてカフェの中へ連れていかれる。訳の分からないうちに案内されて席に座ると、目の前に同じように腰掛けたライがメニューを広げ始めた。
「お腹空いたの?」
「調査だ」
「はあ?」
「この世界の食糧事情についても調べておいて損はない。いずれ敵対する時が来るかもしれないしな」
淡々と言っている割にメニューを見る目が真剣そのものだ。
「よし決めた。お前も頼め」
「え、いいの? お金ないけど」
「今日の礼だ。好きな物を頼め」
ライのまさかの言葉に私は驚きながらもメニューを受け取った。どうしたんだろうと首を傾げながら冷たいミルクティーとパンケーキを選ぶと、ライが傍を通った店員にすぐに注文してくれた。ちなみにライはパフェを選んだらしい。そういえばディスプレイにもあった。
「えっと……あの、ありがとう」
「程度な飴も必要だからな」
「……飴?」
一瞬意味が分からずにぽかんと口を開いたが、冷静になるとすぐにその言葉の真意を理解する。
「結局打算か!」
「脅すばかりでは反抗されるだけだからな。常套手段だ」
「この野郎……」
「別に嫌なら無理に食べなくても構わないが」
「食べるわよ!」
「……そうか」
既にパンケーキを食べる口になっているので何を言われようと今更取り消すつもりはない。ただ食い意地が張っているだけとも言うが。
妙に呆れた顔をしたライから顔を背けてパンケーキが来るのを待っていると、程なくしてパフェとパンケーキ、ミルクティーが運ばれて来た。
二段重ねのパンケーキの上にアイスとクリーム、苺のソースが掛かったそれが目の前に置かれるのを見ていると、そのさらに奥、ライの前にも彼が頼んだパフェがどん、と音を立てて置かれた。
店員が雑なのではない、それだけの重量のある大きなパフェだったのだ。
「……それ食べるの?」
「何か問題が?」
フルーツやチョコレートがこれでもかとデコレーションされたそのパフェに圧倒されていると、ライは平然とした顔で長いスプーンを手に取った。
そして一口。思わずパンケーキを食べるのを忘れてそれを見ていると、ライは驚いたように目を瞠ってスプーンを口から離した。
「……甘い」
「いや、そりゃあそうでしょ」
「これだけの嗜好品がこの値段……? しかも庶民がこんな贅沢なものを食べるのか……」
ぶつぶつと言いながらも手は止まらない。大きなパフェがどんどん無くなっていくのを、私はぽかんと口を開けながら眺めてしまう。
一度もスプーンを置くことなくとうとう完食したライは、最後の一口を飲み込んだ後小さな声で呟いた。
「……この世界、侮れん」
一体どんな世界から来たんだろう。ライの豹変っぷりにただただ困惑していると、彼は私を――正確に言うと、私の目の前に置かれた手つかずのパンケーキを見た。
「何だ食べないのか? なら俺が」
「た、食べるからっ!」
まだ食べるのか!?
必死にパンケーキを死守しながら、私は本当にライのいた世界がどんな所だったのかと思考を巡らせた。
科学技術が発展していて、嗜好品が簡単に手に入らなくて、他の世界にスパイを送り込む。そして何より、躊躇いなく人を殺そうとする。
……あまり、平和ではなさそうなのは確かだった。