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15 別れの時

「ライ!」



 すぐさま階段を駆け上がった私は、一目散にライの部屋へと飛び込んだ。

 思い切り扉を開く。いつもならば勝手に入ることに文句が飛んでくるはずなのに、そこには静寂しかない。そしてそれだけではない。そこはライの部屋などではなく、以前と同じただの物置に戻っていたのだ。



「一葉、一体どうしたの」

「お母さん……ごめん、私行かなきゃ」

「一葉?」



 お母さんの戸惑う声から逃げるように今度は玄関へ走る。転びそうになりながら靴を履いて外に出ると、私はとにかく全力で駆け出した。


 ライが居なくなった。昨日の嫌な予感が蘇って来て居ても立っても居られなくなる。ただ居なくなっただけじゃない。あの時言っていたように本当に他の人間の記憶を消して、自分の痕跡を消して居なくなった。……つまり、もうこの世界にはいないかもしれない。



「……っ」



 それでも諦めて立ち止まることは出来なくて、どこへ行ったのかも分からないのに闇雲に探し回る。酷い、ずるい。何も言わずにいなくなるなんて、本当にあいつは馬鹿だ。

 けれどいくら走り回ってもライの姿はどこにも見当たらない。息が切れて苦しくて、ふらつきながら電柱に手を置いて咳き込みながら息をする。



「ライ……」



 泣きそうになって余計に呼吸が苦しくなる。周囲には殆ど人も居なくてジョギングや犬の散歩をしている人が数人見えるだけ。いない。ライがいない。

 スポーツタイプの自転車が意気揚々と私を追い抜かしていく。私休んでいる場合ではないと電柱から手を離して再び走り出した。せめて、何か手掛かりがあれば。



「……ん?」



 私が走り出した所で、不意に追い抜かしていった前方の自転車がぴたりと止まった。それだけならなんとも思わない。けれどすぐにその自転車はこちらに引き返して来たのだ。



「……戻らないと」



 乗っている人は、酷くぼんやりとした顔をしてそう小さく呟きながら私の横を再び通って行った。それを振り返って見送った私は、確証もないまま自転車の進むはずだった道を走り出した。

 今度は前方から二人の老人が歩いて来る。一人は犬を連れているが、どちらも虚ろな目をしてふらふらと足を進めている。

 すれ違う時に小さな声で「ここにいてはいけない……」と言ったのが聞こえた。


 確証はない、だけど私は無意識に確信していた。その可能性にしか縋るものがなかったともいう。

 彼らはきっと暗示を受けている。“人避け”の暗示を。きっとこの先に、ライがいる。一欠けらの可能性を信じたかった。


 走って、走って。また一人虚ろな目とすれ違う。その先にあったのは錆び付いた遊具がいくつかぽつんと置かれた寂れた公園だった。



「……ライ!」



 そしてその公園のベンチに一人腰掛ける見慣れた男を見つけた瞬間、私は息が切れていることも忘れて大きく名前を叫んでいた。



「やっ、と、見つけた……!」

「一葉……」



 どうしてここに、と驚いた顔をしたライの口が動く。だけど私は返事を返す気力もなくてふらふらとライの目の前までたどり着くとそのまま地面に膝を着いた。



「馬鹿……ホントに、勝手に居なくなろうとか、馬鹿」



 逃げないように服を掴む。その手を見たライは、戸惑いながらも苦笑していた。



「いつもはねぼすけな癖に、こんな日に限って早起きするとはな」

「お母さんがライのこと忘れてて、部屋も元に戻ってて……」

「……やっぱり、なんでか分からないけどお前には暗示が効かないんだな。本当に不可解だ」

「っあんたみたいな無神経で非常識な人間忘れられる訳ないじゃん!」

「俺の所為か? でも」



 小さく笑ったライ立ち上がり、私の腕を引っ張って立たせる。



「今ばかりはその不可解が、嬉しい」

「……馬鹿じゃないの」



 なんでそんなに優しい顔するの。止めてよ泣いちゃうじゃん。いつもみたいに馬鹿にしたような顔で見下ろせばいいのに。

 ライの顔が滲んで見えて、必死に目を擦った。



「自分の世界に、帰るの?」

「ああ」

「何で急に」

「……俺がここに留まる意味が、必要がなくなってしまったから。それだけだ」

「それ、どういう意味」

「通信機が直ったからだ。昨日の襲撃してきた人形の内部パーツを使って、今までどうしても修復できなかった部分が修理出来た。だから、向こうの世界と連絡を取ることが出来るようになった」



 連絡したのがライ自身であることを確認の為に、今はその世界の人が来るのを待っているのだという。そしてそれは、もうすぐに来てしまうと。



「そうでなくても、俺はまもなくこの世界を去るつもりだった」

「何で……もっとここに居ればいいでしょ!」

「ここは俺にとって、平和過ぎるんだ」



 掴まれていた手が離れる。もう一度掴もうとしてもそっと拒絶された。



「ここは俺が生きる世界じゃない。俺はこれまで通りスパイとして戦争の中で生きていく。それが正しいんだ」

「何馬鹿なこと言ってんのよ!」

「馬鹿じゃない、当たり前のことだ。元々俺はそういう目的の為に生かされて来た。だから一葉……ここでお別れだ」

「ライ!」



 優しく言い聞かせるようにそう言われる。縋るように声を上げても、ライは静かに首を振って静かに私を見ている。

 何を言っても聞き入れてくれる様子もなかった。もう、ライの中では完全に決まりきったことだと言うように。



「勝手に家に入り込んで家族の振りをしていたこと、今更だけど謝る」

「……馬鹿、馬鹿馬鹿ライの馬鹿野郎! 謝る必要なんてどこにもない! だってあんたは――私の家族だもん!」



 ライを兄だと思ったことは、正直言って一度もない。でもライは確かに私の家族だった。離れていくのをなりふり構わずに止めるくらい、大事な人になってしまっていた。

 堰を切ったかのように涙が次々と溢れて来る。どれだけ拭っても視界は滲んだままで、最後だというのにライの顔もろくに見ることが出来ない。



「一葉――!」



 歪んだ景色の中でライが私に躊躇いがちに手を伸ばす。しかしそれが届く前に、彼は何かを察知したように目を瞬かせて周囲を見渡した。

 そしてその目が一点を捉える。私がそれを追った時には、気付かないうちに公園の中心部に光の粒子のようなものが次々と集まっているのが見えたのだ。

 まるで非現実的な光景。それに目を奪われているうちに、ライが私に伸ばしていた手を下ろしていた。



「来たか」



 ライの声に呼応するようにその光は収束し、そして人型を形作っていく。光がゆっくりと和らいでいったかと思えば、そこに一人の男が無表情で立ち尽くしていたのだ。

 男は静かにライの方を振り返った。



「照合中……照合中……№6239だな。確かに本人、および生存を確認した」

「ああ」



 男の口から出て来たのはノイズ混じりの機械のような声だった。涙を拭ってよく男の顔を見てみれば、それが無表情ではなくまるで動いていないことに気付く。……恐らく、昨日の追手同様、人間ではないのだろう。

 この世界のものではないもの……それが、ライを連れて行ってしまう。



「一葉……それじゃあ」



 きっと私じゃ止められない。それが分かっているから余計に辛い。

 ここで別れたら、恐らく二度と会うことなんてできない。それでも別れなければいけないなら――。



「ライっ!」



 私はこちらを振り向いたライに飛びついた。きつくきつく抱きしめて、涙を見られないようにその肩に顔を埋めた。



「忘れない!」

「……一葉」

「ライのこと、忘れない。世界中の……どんな世界の誰もが忘れたって、私は絶対に忘れない! どんな暗示を掛けられたって、たとえ記憶を失ったって、何度だって思い出す! だから……」



 私にできることなんてきっとそれくらいしかない。だけど、だからこそ私はこの約束を守りぬく。絶対に。



「一葉」



 不意に背中にぬくもりを感じた。そして、酷く心地の良い優しい声が降って来る。

 もう二度と、この声は聞けなくなる。



「ありがとう。俺も、お前のことを絶対に――」



「――え」



 ライの言葉がぶつ切りに途切れた瞬間、その衝撃は襲ってきた。

 何が起こったのか分からない。分かったことは、突然前からライに押されるように……いや、ライと一緒に強い衝撃を受けて吹き飛ばされたことだけ。

 背中から地面に落ち、更にその上にライの体がのしかかる。



「どういう……つもり、だ」

「どうもこうもありません。任務に失敗し、かつこの程度の攻撃が避けられないスパイなど必要ないと判断されました」



 攻撃……?

 ライがふらりと私の上から退こうとするが、腕も足もがくがくと震えていて苦しそうに顔を歪めている。



「らっ」

「見るな一葉!」



 ライに続いて体を起こした私にライの声が飛ぶ。しかしその前に私の目は砂にポタポタと流れ落ちる血とその血を滴らせているライの背中を見てしまっていた。

 ライが――



「本来ならば昨日の時点で処分するつもりでしたがどうやら失敗したようですね」

「っ昨日のやつは」

「敵方に顔を知られているスパイを生かしておけない。捕まって余計な情報を漏らされる前に処分、と管理者から命を受けています。そしてそちらの人間も同様、我が世界の情報を知る可能性のある者は例外なく排除せよと」

「っ」



 血で頭が真っ白になっている私の目に、男がこちらに銃口を向けているのが微かに映った。ライを血塗れにしたそれが、今度は私を狙う。



「一葉!」



 体が震えて何も考えられない。けれど再び私は何かに突き飛ばされた。

 そして次の瞬間、数発の発砲音が公園内に高らかと鳴り響く。



「ラ、イ……ライ!」



 私を突き飛ばしたライが、今度は真正面からその体に銃弾を受けた。体をくの字に曲げて、酷く苦しそうに絶え絶えと息をして男を睨む。

 ライが、死んでしまう。



「一葉……にげ、ろ」

「逃がしません。ですが先に邪魔なこちらを処分しましょう。死体を再利用されない為に、何も存在しない次元――ゴミ箱へ、転移を開始します」

「やだ、ライっ!」



 動かない体を無理やり動かしてライの傍へと走る。だけどライの目の前に光が収束する方がずっと早くて、私が手を伸ばした時には既にライは動かぬままその光に吞まれかけていた。

 ライは何も言わない。何かを言う時間など欠片も残されていなかった。けれどその口が微かに何かを言おうとしたのを、私は見た気がした。


 刹那、大きな爆発音と共に光が弾けた。

 その勢いは凄まじく、傍にいた私はおろか男までもがその衝撃に吹き飛ばされる。「エラー発生……」という機械音が淡々と聞こえて来た。

 光の残像が目を焼く。まともに視界が開けた時には、もう既に血だまりだけを残してライは姿を消していた。



「あ……あ、」

「5%損傷、解析不明……しかし、対象の当次元からの消滅を確認」



 ――消滅を、確認。

 ライが消えた。消滅、した。


 そんなこと信じられない。だけどもう彼の姿はどこにもない。



「引き続き任務を継続、処分開始」



 ただ血だまりを見つめて動けない。体に全く力が入らなくて、思考が全く働かなくてただ現状を否定したくてたまらない。

 男が目の前に来て銃を構えても、それすらも私はぼんやりと見つめることしか出来なかった。

 重い発砲音が、響いた。銃弾が私の体に食い込む……はずだった。



「処分完……エラー発生、エラー発生」

「……え?」



 けれど、私の体に痛みは一切襲って来なかった。確かに弾は当たったはずなのに、それは何かに弾かれるようにして跳ね返り地面を抉っただけだった。

 理解できない状況に、ようやく思考が動き始めた。



「原因不明、再試行します」

「ひっ」



 間髪入れずに再び銃弾が私の頭目がけて撃たれる。思わず目をつぶったが、またしても痛みはなく、恐る恐る目を開けても何も起こってはいなかった。

 一体、何がどうなっているの。



「エラーエラーエラー、処理プログラムを変更します」



 男が早口でそう告げると、彼はおもむろに銃を地面に投げ捨てた。そしてすぐに懐へと手を入れると、今度は大振りのナイフ……包丁のようなものを手に持ったのだ。



「排除します」

「い、いや!」



 足を縺れさせながらなんとか立ち上がったというのに、すぐさま足払いを掛けられて背中から倒れ込んでしまう。ずるずると後ずさろうとしても足を押さえつけられて、そしてもう片方の手が大きく凶器を振り上げた。

 刃が私の腹に吸い込まれるようにして落ちる。目を閉じる間もなくその光景を見ていた私だったが、しかし刃は私の腹に突き刺さることなく、かんっ、と軽い音が鳴らしてその直前で止まった。


 銃弾の時と同じ、まるで何かが私を守っているかのように。

 いやまるで、ではない。私は確実に“何か”に守られていた。



「……エラー」



 能面のような無表情が小さく呟いたかと思うと、その手はまたもや振り上げられた。



「再試行……再試行再試行再試行再試行――」

「ひ、いや、ああああ!」



 狂ったように何度も何度もナイフが振り下ろされる。痛みはない、何かに弾かれてその刃が私に届くことはない。けれど全身をめった刺しされるような感覚が恐ろしくて恐ろしく堪らない。

 このままいつかは殺されてしまう。私を守るものが無くなったら、想像もできない程の痛みを受けて死んでしまう。



「助、けて」



 誰にも届くはずのない言葉を呟いた。










「――ああ」



 誰にも届かなかったはずの言葉に、幻聴のような返事が聞こえた。



「……あ」



 突然、ナイフを振り上げていた男の手が止まった。だらりと腕を垂らし俯くようにしたかと思えば、糸の切れた人形のようにぐらりと前かがみに倒れ込んだのだ。



「なんで」



 男が倒れたことで私の視界が開ける。そして、いつの間にか男の背後に立っていた人物を見上げ、私は限界まで目を大きく見開いたのだ。

 どうして、ここに。



「……先生」



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