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13 伝言

「一本!」



 バシッ、と音を立てて体に衝撃が走ると共に白山先生の声が響き渡った。

 夏休みの部活中、私は同じ一年の部員と練習試合を行っていた。……が、結果はぼろ負けである。



「いち、あんたどうしたの?」

「体調悪い? 熱中症とか」



 休憩の為に面を脱ぐと、少々心配した顔で莉子とさやかが近寄って来た。けれど私はただ曖昧に笑って首を振るだけだ。



「別に体調は悪くないよ、大丈夫」

「でも何かあったの? いっちゃん最近ぼーっとしてること多いよね?」

「……ちょっと、考え事」



 ライのことについて、考えても仕方がないことばかりがずっと頭の中を回っている。しかしだからと言って部活に集中していなくて負けてしまったことの良い訳に出来る訳じゃないけど。



「凪野」



 端に座って他の部員の試合を見ていると、ふと白山先生がこちらへやって来る。



「先生」

「ちょっと部活のあと時間取れるか? 少し話がある」

「あ……分かりました」



 それだけで会話が終わると、先生はまた他の子を指導する為に離れて行ってしまう。



「いっちゃんよかったじゃん、先生と話せるよ!」

「さや、あんたねえ……。多分そういう話じゃないでしょうに」

「……きっと、怒られるだけだよねえ」



 最近の部活を始めとする学校生活の身の入らなさに流石に痺れを切らされたのかもしれない。試合も負けっぱなしだったし、何を言われるかとどんどん気落ちしてしまう。


 あまり来てほしくないと思えば思うほど部活終了の時間は刻々と迫って来る。鬱々とした気持ちで着替えて莉子達と別れると、私は再び一人で体育館へと舞い戻った。



「先生」

「ああ、凪野か」



 体育館の奥、舞台の傍でノートに何かを書き込んでいた先生が顔を上げる。その表情が厳しいものではないことにひとまず安心して、だけど緊張しながら近寄った。



「あの、話って言うのは……」

「凪野、最近少し集中出来ていないんじゃないかと思って」



 ああ、やっぱり……。自業自得とはいえ先生に怒られるのは苦しくなる。



「すみませんでした」

「ああ悪い、別に叱るつもりはないんだ。ただ、何か悩んでるんじゃないかと思ってね」

「それは……」

「私に言えることなら聞こうと、そう思っただけなんだ」

「……」

「私の勘違いかもしれないが……凪野が悩んでいるのは、やっぱりお兄さんのことかな」

「え?」



 俯いて黙り込んでいた私の上から振って来た言葉は、あまりに予想外のものだった。

 思わずがばっと顔を上げて驚きながら先生を見ると「当たりか」と確信めいた声で呟かれる。



「な、んで」

「何となくね」



 ふっと、先生が眼鏡の奥の瞳を和らげる。安心させるようなその微笑みに少し肩の力が抜けて、私は再び俯きながら懺悔のようにぽつぽつと先生に向かって言葉を紡ぎ始めた。



「……いつかは分からないんですけど、あいつ、ライがそのうちどこかへ行っちゃうかもしれなくて」

「……」

「それを止めたくて。でも、無理で」



 詳しく言う訳にはいかない。だけどずっと抱え込んでいるのは苦しくて、私は事実を曖昧にしながら今の気持ちを吐露する。

 先生は何も言わない。相槌も打たないが、じっと私を見て静かに話を聞いてくれている。



「考えてもどうしようもないことなんです。でも気が付いたらそんなことばっかり思って」

「……お兄さんのこと、大事に思っているんだな」

「そう、なんでしょうか。……本当はよく分からないんです」



 ただの不法侵入者だった。それだけのはずだったのだ。けどいつの間にかそれだけじゃなくなった。

 ライのことを考えると色んなことが頭の中を駆け巡って思考がぐちゃぐちゃになってしまう。



「非常識で、傍若無人で、すぐ人のこと馬鹿にして、でも」



 私があいつに抱いている感情が一体何かは理解できていない。境遇への同情か、仮初の家族としての愛情か、あるいはもっと別の何かなのか――。

 それでも、ぐるぐる回る思考の中ではっきりしていることがある。



「どうしても、放っておけないんです」

「放って、おけない……」



 先生が小さく目を瞬かせたのが見えた。



「一人になるのを当たり前みたいに思ってて、忘れられるのを受け入れて、馬鹿みたい……勝手にずかずか入り込んで来たくせに、ずるい」



 いつになるかは分からない。もしかしたら通信機なんてずっと直らなくて、あいつはずっと家にいるかもしれない。そんな希望を抱いたって、不安は消えない。

 あいつを一人にしたくない。……同じくらい、きっと私が一人になりたくないのかもしれない。当たり前に家族も友達もいる私とライの“一人”は全く違うけれど、それでも今更ライがいなくなった時のことなんて考えたくない。

 こんなの、私の我が儘でしかないと分かってるけど。



「……はは」



 気分がどんどん鬱々としていくというのに、何故か聞こえて来た小さくて穏やかな笑い声に不思議になって顔を上げる。

 僅かに笑みを溢していたのは、やはりと言うべきか先生だ。



「先生?」

「いやごめん、彼は幸せものだと思って」

「幸せ、ですか?」

「ああ。そこまで真剣に凪野に思われて、きっと幸せだろう」

「そうですかね……」



 ライが幸せ……。疑念を抱く私に、先生は静かに微笑みを浮かべながら頷く。



「それに、凪野が彼を思っているようにお兄さんも凪野のことを大切に思っていると思う。この前お見舞いに行った時にもそう感じたしな」



 先生が私の頭にそっと手を添える。安心させるような温かさと共に、「だから」と彼は更に言葉を続けた。



「だから、凪野がそんな暗い顔なんてしてたらお兄さんを心配させるだけだ。いつかいなくなるなら、それまでの時間は大切にしなくちゃいけない」

「……そう、ですよね」



 こうして落ち込んでいる間にも時間は減っていく。先生の言う通りだ。

 どうしていなくなるのか、そんなことは一切尋ねることなくそう言った先生はそのまま私の頭を撫でて、そして目を伏せた。



「――」

「え?」

「いや、なんでもないよ。ともかく、帰ったらお兄さんに明るい顔を見せて上げたらいい。凪野はいつも通りの元気が一番だからな」

「……はい。ありがとうございます」



 そういえば前、先生の怪我の件で落ち込んでた時もライが言っていた。らしくもなく殊勝になるな、と。そう言って励ましてくれた。



「すみませんこんな話をして」

「いや、少しでも気が楽になったんならいいんだ」



 私は先生に頭を下げて、ちょっとだけ笑った。勿論現状の何が変わった訳でもないんだけど、少し心が落ち着いたのだ。



「聞いてくださってありがとうございます」

「ああ、それじゃあ気を付けて――」



 何だか早く家で自称兄の顔を見たくなって、私は先生に挨拶をしてそのまま体育館を去ろうと踵を返した。

 しかし、外に出ようとした所で慌てた様子で先生が私を呼び止める。



「凪野、すまない。言い忘れたことが」

「え、何ですか?」

「凪野……君は最近、事件に巻き込まれただろう」



 疑問の余地もないようなその言葉に、当然私は驚かずにはいられなかった。動きを止めて思わず先生を凝視してしまう。

 事件、そう言われれば勿論のこと思い浮かぶのはついこの前の誕生日に人質になってしまったコンビニ強盗のことだ。だけど、どうしてそれを先生が知っているのか。

 ライの意向もあって警察には行かなかったし、お母さんを始めとして誰にも話していない。もしかしてあの時近くにいたのだろうか。



「どうして、知っているんですか」



 無意識に声が硬くなるのを感じた。ライが先生のことを疑っていたのが頭に過ぎったのかもしれない。勿論私自身がライと同じ考えという訳ではないけど、それでもどうしてと強く疑問が残る。



「コンビニ強盗に巻き込まれた、で合っているな?」

「そう、ですけど」

「実は偶然、これを見つけたんだ」



 そう言って先生がポケットから取り出したのは携帯だ。画面を少し操作した後私に見せるように携帯を差し出して来る。



「え、これは……」



 受け取って覗き込んでみるとそれは動画だった。一分にも満たない短いそれには、この前のコンビニ強盗、ライ、そして私が映っている。つまり、この前の事件時の映像が映しだされたのだ。

 人質になってナイフを突きつけられた私を素早い動きで解放して、ライが犯人を気絶させる。そして逃げるように画面外へと消えて行った。



「店にいた客が撮影したものらしい。ネット上に上がっていたんだ」

「この動画がですか?」

「ああ。加工もせずにそのままアップロードされたもんだからすぐに削除されてもう残ってはいないが」



 話によれば颯爽と現れて人質を救ったライを賞賛する為のものだったらしいが、当然ながら顔も隠さずにそのままネットにあげられていたなんて冗談ではない。他の子には何も言われていないのでそんなに知られた訳ではないだろうけど、それでも自分が命の危機に瀕している時に呑気に動画を取られた時点でたまったものではない。



「ナイフを突きつけられていたようだけど、怪我は?」

「いえ、大丈夫です」

「ならよかった。これを見た瞬間に凍り付いたよ。まさか教え子がこんな目に遭ってるなんて思いもしないから」



 「心配だったんだ」と安堵するように先生が大きく息を吐く。



「私も怖かったですけど、ライが助けてくれたので」

「そうか。……凪野」

「はい」

「彼に一つ、伝言があるんだ。伝えてもらえないかな」



 先生がライに伝言?

 唐突に切り出された頼み事に思わず首を傾げる。それでも伝えることは構わないので頷くと、先生は酷く真剣な表情を浮かべて予想よりもずっと短い一言を口にした。



「――気をつけろ」



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