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10 言語学習

 また、あの人がいる。

 ふわふわとした視界の中で何度も目にした彼が私を見つめる。いつもと同じ服に身を包んだ彼は、泣きそうになりながら私に向かって手を伸ばし、くしゃりと笑って口を開く。



「……ずっと――」



 しかしいつもと違うのは、その声が微かに聞こえたことだ。ほんの少しだけ耳に届いた言葉に、私は何を言っているのか聞き取ろうとして同じように手を伸ばした。

 しかし手は重なるどころか彼はどんどん遠ざかっていく。寂しげな顔をした彼に「待って!」と声を上げるが距離は一向に離れていくばかり。

 私は追いかけるように必死に走る。すると少しずつ彼に近付いて、私は飛び掛かるように思い切り彼の体を抱きしめた。

 やっと、触れられた。




「……おい、離せ」



 夢なのに妙に温かい体にしがみついていると、頭の上から不機嫌な低い声が降って来た。



「……え?」

「いつまで寝ぼけてんだお前は」



 声に反応してのろのろと顔を上げると、そこには顔を顰めて自分を見下ろす彼――いや、彼とそっくりなライがいた。

 そこまで考えてようやく、私は今ライに抱き着いているという事実に理解が追いついたのだった。



「ご、ごめん!」

「休みだけど部活あるんだろ、さっさと起きろ」



 どうやら寝坊した私を起こしに来てくれたらしい。べりっと私を引きはがしたライはそのまま部屋を出て行こうとしたものの、しかし扉を開けた所で再度こちらを振り返った。



「いつもに増してとろいな」

「……うん」



 ライの言動にも苛立たないくらい頭が働いていなかった。言われた通りにベッドから降りようとするのだが、頭が酷くぼうっとして体が動こうとしない。

 そんな私を不審に思ったらしいライが私の元へ戻ってくると、おもむろに額に手を当てて眉を顰めた。



「熱いな。風邪でも引いたのか?」

「風邪……」



 そう言われてみれば熱に浮かされたような感じがする。そのままじっと目の前のライを見つめていると、「駄目っぽいなこいつ」とぼそっと呟かれた。



「母親には伝えてくるから、お前は携帯で休む連絡でも入れてろ」

「うん、分かった……」

「しかし」



 ライはしげしげと私を観察するように見る。そして少々考えた末に「この前耳にしたんだが」と口を開いた。



「この国には馬鹿は風邪を引かないという言葉があると聞いたが、迷信だったらしいな」

「……」



 声も出す気力もなかった私は無言でライを睨み付けた。真顔で言っているのが余計に腹立つ。









「一葉、風邪引いたの?」

「そうみたい」

「部活の連絡は?」

「もうしたよ」



 莉子とさやかには連絡したので先生に伝えてくれるだろう。……別に先生に直接連絡してもよかったのだが、頭の回らない今先生への文面を考えるのは少々困難だった。

 部屋に来たお母さんの言葉に返事をしていると、額に冷却シートを張られる。ひやりとした感覚に目を細めていると心配そうに覗き込まれた。



「……そういえば、お母さん今日出かけるって言ってなかったっけ」

「そうだけど一葉が」

「もう高校生だし大丈夫だって。大人しく寝てればすぐに治るよ」



 前々から今日はバスツアーに行くと楽しそうに言っていたのだ。そろそろ家を出なければ間に合わなくなるだろう。

 難色を示すお母さんに大丈夫だと繰り返し告げると、最終的に頷いてくれた。



「じゃあ夕方頃に帰って来るけど、それまでは大人しくしてるのよ」

「うん」

「あとのことは雷に頼んでおくから」



 何かあったら連絡するようにと言われて頷くと、お母さんはようやく慌ただしく部屋を出て行った。

 誰も居なくなると途端に眠気が襲ってくる。言われた通り静かにしていようと目を閉じると、何も考える間もなく再び夢の中へ入ってしまった。













「……」



 がちゃがちゃと何やら金属音が聞こえて不意に意識が浮上した。まどろみの中目を開けて音のする方を見ると、テーブルの上でライがまた何やら機械をいじっていた。

 寝る前より随分頭がすっきりしている。時計を見るともう午後三時だ。随分寝てしまった。



「何してんの?」

「見て分からないか?」

「いやそうじゃなくて、なんで私の部屋にいるのかってこと」

「お前の世話を頼まれたからな。とはいえお前はずっと寝ていたが」



 私が起きたのに気付くと、ライは立ち上がってこちらにやって来た。



「……さっきよりはましみたいだな。飯は食べられるか」

「食べられるけど……」

「じゃあ持ってくる」



 そう言って部屋を出て行ったライを思わずぽかんと口を開けて見送ってしまった。そのまま出て行った扉を呆気に取られて見ていると、ややあってライが戻って来る。



「食え」



 ライが差し出して来たのはお粥だ。ついライにお粥にと視線を行き来させていると「食わないのか」と首を傾げられた。

 お母さんはあれからすぐに出て行っただろう。ということはつまり、これはライが作ったということになる。



「……これって」

「俺が作ったが? レシピを見たから失敗しているはずはない」

「……」



 おかしい。この状況がおかしくて堪らない。



「あのさ」

「何だ?」

「……何で今日、そんなに優しいの?」



 いつもならば面倒だと放置されそうなものだというのに、今日は違和感があるほどライが優しい。



「それは俺がいつも優しくないと?」

「それはもう」

「風邪を引いても生意気な」



 不意打ちで頬を引っ張られた。痛い。病人にも容赦ない、やっぱりいつものライだった。「……ふみまへん」と引っ張られながら謝ると馬鹿にしたような顔をされながら手を離された。



「いただきます」



 スプーンを手に取って恐る恐る口に運ぶ。温かいお粥を冷ましながら食べると優しい味が喉を通っていった。……これは。



「美味しい」

「だろう?」



 顔を上げるとライが自信満々に笑みを浮かべていた。こいつ、料理までできるのか……。

 二口三口と食べているとライは再びテーブルの前に戻っていった。工具を手に取ったライはまた作業を再開させるが、そこにあるいつまでも直らない通信機を見て私は頭の中に疑問が浮かんだ。



「思ったんだけどさ、それ直さなくても魔法でライの世界に戻ればいいんじゃないの? 転移だっけ?」

「……転移を使うことは可能だが、入れないからな」

「どういうこと?」

「転移が使えれば誰でも不法侵入できるようだと困るだろう。特に戦争中だしな。だからあらかじめ許可を得る為に通信機が必要なんだ」



 つまりビザのようなものだろうか。けれどそう尋ねると今度は逆に「ビザが何か俺は知らん」と言われてしまった。



「まあ結論から言えば通信機は必須だ。だから修理しなくてはならない。まあ地道にやるさ。時間はあるしな」

「……早く帰りたいとは思わないの?」

「そんなに俺を追い出したいか」

「いやそうじゃなく……そうと言えばそうだけどそう言う意味じゃなくて……」



 私は何を言っているのだろう。ライは勝手に家族の振りをしている不法侵入者だ。だからさっさと出て行けと言えばいいというのに、なんで私はこんなに言葉に困っているのか。



「寂しく、ないのかなって」

「はあ?」

「ホームシック……その、自分の世界が恋しくないのかなって思っただけ」

「別に。そもそも俺はあの世界に対して何の感慨も抱いていないからな。仕事に支障があるから戻る必要はあるが」

「……」



 じゃあどうして、工作員なんて危険な仕事をしているのだろう。その世界を守りたいからじゃないのだろうか。

 しかしそれを尋ねようとした所で、突然インターホンの音が鳴り響いて邪魔されてしまう。ライも私が口を開いたのには気付かなかったようで、「出て来るから大人しくしてろよ」と部屋を出て行ってしまった。

 ライが居なくなると当然だが途端に声も修理の音もなくなって、部屋の中は静寂に包まれる。



「……はあ」



 食べ終わったお粥の器を持て余しながら小さく溜息を吐く。風邪を引くと人恋しくなるというのは本当だった。でも本来ならばライはこの家にいるはずもない人間で、私は今頃きっと誰もいない家で一人寝ていたのだろう。

 ……早く戻って来ないかな。


 そう考えてしまった時、階段を上がって来る足音が聞こえて顔を上げた。だけどその足音は決して一人のものではありえないものだったのだ。

 そして、ライがするはずもないノックの音が扉を叩いた。



「はい」

「凪野、体調はどうだ?」

「……せ、先生!?」



 扉を開けて入って来たのはなんと白山先生だ。唖然として先生を見ていると、先生はそんな私を見て小さく笑った後部屋に入って来た。



「どうしてここに……」

「今日の部活は午前中だけだっただろう。仕事も終わったから凪野の様子を見に来たんだ」

「……わざわざ仕事の後に生徒の見舞いとは、本当に生徒思いの先生ですねえ」



 先生に気を取られていると、その後ろから眉を顰めたライが何故か嫌味ったらしい口調でそう言った。けれど先生は「それほどでも」とさらりと受け流す。

 何だか急にライの機嫌が悪くなった気がする。



「体調はどうだ?」

「はい、随分よくなりました」

「お兄さんに看病してもらってたのか? 相変わらず仲がいい兄妹なんだな」

「……」



 先生が私の頭を撫でて目を細める。少しは下がっただろう体温がまた上がるのを感じていると、先生の背後でライが妙に冷めた目で私を見ているのに気が付いた。



「ライ?」

「何だ」

「それはこっちの台詞なんだけど……」



 威圧の込められた声で返事をされるが、一体何にそんなに怒っているんだ。

 ……あれか。先生が来た途端浮かれている私を馬鹿みたいだと思っているのかもしれない。



「あの、先生も頭の怪我は大丈夫ですか」

「ああ。出血の割にそんなに大きな傷でもなかったみたいなんだ。それに凪野……お兄さんの応急処置もよかったらしい。凪野君、本当にありがとう」

「……いえ」



 先生がライに向き直ってお礼を告げる。先生の表情は見えないが、ライは何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。

 本当にどうしたのか。いつもならもっと上手く猫を被っているというのに。



「私はお兄さんに嫌われているみたいだな」

「そんなことは」

「それとも、凪野が大切で大切で仕方がないという所かな?」



 小さく笑いながら、そして何かを含むような口調でそう言った先生に私はますます首を傾げた。なんだか今日は二人とも少し様子が可笑しいように思えるが、気のせいだろうか。



「……それじゃあ凪野、ちゃんと治すんだぞ」

「はい。来てくださってありがとうございました」



 最後にそう言ってにこりと微笑んだ先生は、玄関まで着いて行こうとするライに「いいから凪野に着いていてくれ」と手で制して部屋を出て行った。

 しばらく扉の方を見ていたライを見て、私は聞きたくて堪らなかったことを尋ねる。



「ライ、あんたどうしたの? 先生に何かあるの?」

「あの男は俺について探っていた。だから何かあると思っただけだ」

「でもそれって似ているって人を探してたんじゃ」

「それが本当である証拠がどこにある? 馬鹿正直なお前と違ってああいうやつは腹の底で何を考えてるか分からないからな」

「……ライだって同じようなものじゃん」

「俺はスパイだ。簡単に考えてることを読まれたら問題だろうが。……それにしても、あの教師」



 ライが扉から視線を外して私を見る。胡乱な目を向けられて何を言われるか身構えていると、あまりに予想外な言葉が降って来た。



「……ロリコンかよ」

「どこで覚えたそんな言葉!」




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